1月にしてはあたたかい空気を切り裂くように、白い軌跡が一直線に伸びる。その距離、50メートルほど。始動して2日目というのに、戸根千明選手(平27年・日本大学法学部卒)のボールは地面と正確な水平を描いて相手のミットに気持ちよく吸い込まれた。1月9日。「スポーツ日大アスレティックパーク稲城」での、自主トレシーンである。
抜群のバランス感覚でフォームを確認する
昨年12月9日、日本プロ野球で初めて実施された「現役ドラフト」。簡単にいえば、なかなか出場機会に恵まれない選手を12球団でお互いにシャッフルし、活性化を図るために採用された制度で、これにより戸根選手は、8年在籍した読売ジャイアンツ(以下、巨人)から広島東洋カープ(以下、広島)に移籍となった。
日大時代はおもに東都大学リーグ2部ながら、左腕からの最速148キロを武器に12勝。3年だった13年秋は、防御率1.72と2部で1位を記録している。14年のドラフト2位で巨人入りすると、ルーキーイヤーの15年から46試合に登板し、1勝1敗1セーブ5ホールドを記録。以来、貴重な中継ぎとして、8年間で158試合に登板し、5勝2敗3セーブ18ホールドという成績を残している。
「僕が在学中にこんな施設があったら、なんと喜ばしい……プロでも見られないほど、すばらしい施設です」
新天地・広島での活躍に向け、「パフォーマンスセンター」で入念なトレーニングを終えた戸根選手は、まずそう切り出した。
「パフォーマンスセンター」は、アスレティックパーク稲城の一角に2019年に新たにオープンしたもので、アスリート育成の基幹施設だ。稲城を拠点とするラグビー、サッカー、駅伝、スキー、スケートなどの各部だけではなく、競技部学生、あるいはOBやOGにとって、最高レベルのトレーニング環境を提供する。
センター内2階のパフォーマンスアリーナには、国内初導入のものも含めておよそ60台の最新マシンがずらり。備えるプレートウエイトは総重量13.5トン、ダンベル総重量は5.6トンに及ぶ。さらにトレーナーが常駐しており、あらゆるスポーツにも、あるいはリハビリにも最適なメニューを処方してくれる。在学時代から無類のトレーニング好きで、食トレなどとも並行して胸囲115センチと、まるでラグビーのフォワード並みのボディを誇った戸根選手によると、
44kgのダンベルを選びトレーニング
「プロ野球選手は、民間のトレーニングジム利用者が多いんですが、民間のトレーニングジムでもこれだけ広い(約650㎡)トレーニングエリアはありません。しかも混んでいれば、順番待ちもある。その点ここなら、好きなマシンを存分に使えます。マシンに装着するプレート1枚にもこだわりを感じますし、とにかく国内ではあまり見ないレベルの施設です。シーズンオフは毎年、あるいはシーズン中でも使わせてもらっていますが、いまの学生がうらやましいですね」
この「パフォーマンスセンター」、競技部の夏合宿の拠点、あるいは高校部活の宿泊利用なども想定し、将来的には地域社会に向けたスポーツ教室の開催も視野に入れているという。
いまの学生がうらやましいトレーニング環境
バランスボードに片足でバランスよく飛び乗りながら、「野球は、床反力をいかにもらうかというスポーツ。大事にしているところです」と話す戸根選手は、こう続けた。
「このアリーナのマシンが赤で統一されているのは、赤がチームカラーの広島に移る僕にとってゲンがいいかもしれません。移籍は青天の霹靂でしたが、現役ドラフトの1期生としては、1年間通してどんな場面でも投げる気持ちでいたい。自分のなかでは、年間通して50試合を投げられれば中継ぎとして価値を認められると思いますし、いまの時期のトレーニングは、そのための貯金でもあります」
広島の本拠地・マツダスタジアムは、好きな球場だ。巨人時代に投げているときは、広島ファンの熱さもひしひしと伝わってきた。
「巨人時代、こちらが登板するときは、広島のチャンスで、甲子園のファンにも負けないくらいのボルテージでした。とにかく広島は、熱い人が多いイメージで、今度はそれが味方になるんだと思うと、ありがたいですね」
甲子園といえば、阪神の内野手・糸原健斗は、同じ島根の高校時代(戸根選手は石見智翠館、糸原は開星)から同年齢のライバルとしてしのぎを削ってきた仲。「人一倍打たれたくない」が、左打者が得意の戸根選手は投げ勝っている印象があるとか。そして広島なら、やはり日大OBで、一時期は巨人でもチームメイトだった長野久義が、入れ替わりで広島から巨人に移籍する。長野さんからは、広島市内のお店などいろいろ情報を教えてもらいました……と笑いながら戸根選手は、こう続ける。
「それとは別に、もし対戦することがあったら真っ向勝負しますよ。いいバッターの胸を借りることになりますが、もちろん打たれるつもりはありません!」
今季は広島と巨人の一戦、なかでも戸根選手と長野選手の対戦が楽しみになってきた。
人との対話には栄養がたっぷり
昨年12月の現役ドラフトで、巨人から広島への移籍が決まった戸根千明。人との会話が好きで、そこから得たヒントが成長を後押ししてきた。それにはまず、相手をリスペクトすること。どこかの国の指導者ではないが、求められるのはどうやら「聞く力」らしい。
在学時代の戸根千明選手をよく知る人によると、多少とんがっていた印象があるという。というより、言いたいことがあれば物怖じせずに直言するタイプ、というべきか。
入学してすぐ、仲村恒一監督(当時)の目に止まり、1年春から2部リーグで登板機会を与えられた。その春に1勝をあげたが、以後2年秋まで勝てない。ことに2年秋は、2回3分の2で4安打3四死球4失点とさんざんだった。それでも仲村監督は、根気強く戸根選手を起用し続けた。
「入学したときは大学野球のレベルに圧倒され、それ以後も結果が出ずにくじけそうになったこともある。だけど、見返してやる、という反骨があったからプロになれたと思います。ずっと投げさせてもらった仲村監督には感謝しています」
むしろ、自分よりポテンシャルはあるのに、へんな部分で突っ張り、指導者と気まずくなったりして実力を出し切れない選手を不思議に思う。プロに入っても、首脳陣とうまくコミュニケーションを取れない若い選手を"もったいない"と感じることが多い。
コミュニケーションの基本「聞く」「伝える」は自然に身に付いたという
「自分も確かに学生時代は、多少突っ張っていたところがありましたが、チームスポーツである野球で、決定権を持つのは監督です。学生時代、監督のいうことに対して"僕はこう思います"と意見をいうことはあっても、それは監督がなぜそういったかを知るためでもある。コミュニケーションを取れば、監督の考え方がより深くわかりますし、監督の望むことに柔軟になれると思います。僕が曲がりなりにも30歳までプロでプレーできているのは、そうやってきたから。ですが若い選手は、監督との対話に尻込みしたり、カゲで愚痴ったりする。プロならなおさら、それでは損をしているのになぁ、と感じるんですよね」
むろん人間の集団だから、ウマが合う、合わないは当然、ある。よほどの人格者じゃない限り、社会、企業、組織には苦手な相手もいるだろう。実力の世界でも、それは同じだ。だが、まずは自分から組織の1ピースにならないと、能力を示す以前に集団からはじかれる。いい言葉が見つからないが、自分が自分が、だけでは渡れない現実の処世だ。
「野球選手は自分のやってきたことに強いこだわりがあって、それがときに、監督やコーチの要求に抵抗を感じさせる面は確かにあります。ですが、たとえ自分のこだわりとは異なることでも、まずは試してみて自分の引き出しにすればいいし、そこで自分の意見も話せばいい。同年代でも、目上の人とは話しにくい、煙ったいという人は多いですが、僕はもともと、歩み寄って人と会話するのが好き、ということもあるかもしれません」
対話と経験が財産
明るく、ひたむきな性格がプロ向き。9年目のプロ生活へ準備を怠らない
たとえば、こんなことがあった。20年のシーズン、戸根選手は右ふくらはぎの不調もあって思うような投球ができず、三軍で投打二刀流に挑戦した。大学時代はDH制だったが、なにしろ高校通算39本塁打。大学の打撃練習でも、日大球場始まって以来初めて、ライト後方にある4階建て校舎の屋上にぶち込んだ実績があるのだ。ただ、イースタン・リーグでヒットを記録はしたものの、野手としてのむずかしさを痛感。11月、おもに若手育成のフェニックス・リーグに向かう前に、原辰徳監督、阿部慎之助二軍監督と十分話し合ったすえに、投手専念を決断している。
その経験が、戸根選手にもたらした引き出しはこうだ。左投手と対戦したとき、内角を攻められたあとに外のスライダーを空振りし、投手にとって内角に投げることがいかに大事かを痛感した。レフトの守備位置からは、投手が弱気になっていることが離れていても見てとれ、マウンドでの立ち居振る舞いの重要性に気づいた……。
「人と対話すること、経験することは、自分の財産になります。たとえばここ(パフォーマンスセンター)でトレーニングしているとき、学生と一緒になることがある。そんなとき僕から話しかけるんですが、"はい""いいえ"だけで、会話がなかなか成立しないことが多いんですよ。僕との会話に、なにか競技生活のヒントがあるかもしれないのにね」
示唆に富む。大学時代、肉体改造で取り組んだ食トレになぞらえれば、対話は自らの栄養になる、ということか。広島に移籍する戸根選手。早めに引っ越しをすませ、まずは新たなチームメイトとの対話からスタートするという。