
凛とした表情でカメラを真っ直ぐに見る審判姿の天野さん
日本発祥の五輪競技「柔道」。
東京2020オリンピックでは、日本は個人戦で金9、銀1、銅1の11個のメダルと、新種目・混合団体で銀メダルに輝いた。
本学からも女子78キロ超級・素根輝選手(スポーツ科学部1年)が金メダル。向翔一郎選手(2018年法学部卒)と原沢久喜選手(2015年法学部卒)が混合団体で銀メダルを獲得したが、選手の輝かしい活躍を正しく裁くために畳に上がった人がもう一人いる。
国際柔道連盟審判員で、世界から16人の審判員に日本人で唯一選出された天野安喜子氏だ。
本職は江戸から360年続く花火師。(https://www.nihon-u.ac.jp/feature/article/485.html)
前回の取材から、約10カ月後となった今回は、「東京2020オリンピック公式審判員」としての体験を語ってもらった。
国際連盟から届いたメール
「IJF(国際柔道連盟)からの連絡はいつもメールなんですが、開いてみると『おめでとう、あなたが選ばれました』と書いてありました」
オリンピックの審判員として参加するのは、今回で2回目。前回は2008年の北京オリンピックの時だった。
「あの時は、日本から選ばれたのは男性の審判員と私で、総勢24人が世界中から召集されました。でも女性はたったの2人しか選ばれませんでした」
今回は、採用枠がさらに絞り込まれ、副審がいなくなった分、審判員は8人減の16人。その難関を突破し、日本人で唯一人、天野さんが選ばれた。女性は5人に増えて、天野さんの他にも、モンゴル、韓国、イタリア、ハンガリーから来日した。
「日本から選ばれたのが女性の私だけでしたが、それに対する意見が出なかったことがうれしかったですね」
しかし、大会自体の開催は、直前まで危ぶまれ、天野さんも不安が頭をよぎった。
「それでも、オリンピック前に行われる大きな大会を審判するとき、いつなくなっても自分自身悔いが残らないようにしよう」
そう心に決めて、1試合1試合、試合に臨んだ。
大会開催が決定し、事前に会場環境を確認に行った時、組織委員会に出向いていた柔道関係者に会った際に、思わず目頭が熱くなった。
「よくぞここまで導いてくれた、と。会場には当たり前のように畳が敷かれていましたが、これが当たり前じゃないことを知っていただけに、彼らの努力に感動しました」
こうして公式審判員・天野さんの東京2020オリンピックが開幕した。
オリンピック8日間で37試合
2021年7月24日、11時、日本武道館。
柔道競技が始まった。
天野さんは、競技のオープニングマッチである男子60キロ級1回戦を任された。
驚くと同時に、この試合が今回の柔道競技のリズムを作ることになると、心で構えて試合に臨んだ。
「大きな大会の一番初めの審判というのは、リズムを作るんです。われわれ審判は、技の評価やペナルティーを出すだけではなくて、試合のリズムを生み出して選手がエキサイティングに戦えるよう導いていく役割も担っているんです」
リズムの作り方によって、ダラダラとした試合になってしまったり、逆に焦り過ぎてペナルティーを出し過ぎると、そのペナルティーによって試合が決してしまう。選手の持つ力を存分に発揮してもらうための審判でないといけない。
早すぎず、遅すぎず、負けた選手でも悔いなしと思えるような試合を作ること。ましてや、オリンピックは特別。選手たちは皆、世界中が頂点を目指して、各大会の予選を勝ち抜いてきているからこそ、第1試合のリズムが基準となる。

抜群の話術で取材中も常に笑顔を絶やさない
「いつも試合前は、ホテルの部屋を出る前に、本当に足が震えるんです。それを『ヨシッ』って自分で自分を奮い立たせるんです」
初戦は、延長の末、オランダの選手の勝利で幕を切った。
その後、8日間で天野さんが裁いた試合数は、実に37試合。
内、女子63キロ級と男子100キロ超級では、決勝の審判も受け持った。
男子100キロ超級は、個人戦の最終階級。決勝は、大トリ。結果、天野さんは、個人戦の最初と最後の試合を任されたことになる。
「本当に面白いご縁だなぁと思いました」
日本勢の大活躍に刺激
大会が終わって、今大会の率直な感想を聞いてみた。
「今大会は日本人選手が活躍してくれて、ものすごく楽しかったです。審判は同じ国の選手を裁くことはできませんから、日本の選手たちが活躍すれば、決勝戦を私は一観客として観ることができるんです」
決勝戦に限れば、金銀合わせて10個のメダルを取った日本勢は、男女14ある階級のうち、10階級で決勝の舞台に立った。
「試合前に大声で叫ぶ選手や、コーチに全身をアザができるんじゃないかと思うほど叩いてもらっている選手がいたり。選手たちは緊張感やプレッシャーに負けないよう、個々で戦っているんですよね。そこにドラマがある。人が何かに向かって前進しようっていう表情って、カッコよく見えますし、単純にすごいなと感じました」
試合を観て、改めて、選手、コーチ、関係者も含めて、全員が背負っているものを公平に裁く責任を感じた。8日間、毎日が新鮮で、自分の審判としてのパフォーマンスも、高い評価を受けたことが自信になった。
今大会は、本学(卒業生含む)からも、個人戦では、素根輝選手(女子78キロ超級/スポーツ科学部1年)、向翔一郎選手(男子90キロ級/2018年法学部卒)と原沢久喜選手(男子100キロ超級/2015年法学部卒)の3人が出場した。
「母校の3名は応援していましたよ。個人、団体と後輩の3人とも頑張ってくれましたね。清々しかったです。柔道部の金野監督(男子)、北田監督(女子)の指導のたまものでしょうね」
自らも、町の道場で教える立場にもあり、選手、指導者の気持ちも分かる。
だからこそ、1995年に最初にC級審判になってから、これまで約8,000試合を裁いてきた天野さんにとって、選手や指導者たちの思いが詰まった試合を裁く審判という仕事に、今でも慣れることはない。
緊張とプレッシャー。今回のオリンピック前に、天野さんは世間も注目したある歴史に残る試合を裁くことになった。自身も忘れられない、審判人生の大一番だった。

国際柔道連盟(IJF)から与えられた「2008北京オリンピックレフェリー」のエンブレムを胸に
「柔よく剛を制す」「逆らわずして勝つ」。
柔道の礎となった柔術を、柔道の祖・嘉納治五郎氏はこう表現した。
困難にも逃げず、本質に向き合う。
嘉納氏の生き様のような柔道の考えを体現している天野さん。
後編では、成長を実感できた運命の一戦と、審判としての矜持に迫る。
世紀の一戦で得た確固たる自信
東京2020オリンピック開幕から、さかのぼること約7カ月前の2020年12月13日。 柔道の祖・嘉納治五郎氏に見守られるように聖地・講道館の畳で行われた、男子66キロ級・五輪代表決定戦。 競技時間4分をはるかに超える24分の熱戦となったこの試合を、両選手に厳しい視線を向け、裁いたのが天野さんだった。 「あの時は、代表決定戦をやるらしい、という噂が流れてきて、国内には私を含めて国内S級ライセンスを持った審判員が24、5人いて、もし自分に声が掛かったらと皆思っていたと思います」 史上初の一発勝負で代表が決定されるという異例の試合。兄妹での五輪出場に注目が集まる阿部一二三選手(パーク24)と、対戦成績では上回る丸山城志郎選手(ミキハウス)との世紀の一戦は、テレビ局の番宣も相まって、メディアでも大きく取り扱われた。 「あの試合を裁いたことによって、どういうリズムが選手にとっても、私にとっても良いと感じているのかが、基準のような、柱のようなものが定まったんです。試合直後は分からなかったんですが、翌月の試合で久しぶりに試合に立った時に、『あっ(裁くのが)怖くない!』ってぶれない自分を実感しました」

「娘が一緒にお酒を飲めるようになって」。最近の天野さんの楽しみだ
選手2人の得意技やクセも、長年見てきたからこそ、勝負が精神的な紙一重の勝負になると、試合前から感じていた。案の定、試合は延びに延びて、史上最長の24分。最後は、阿部が丸山を押し込んで脇腹を床に着かせて、技ありで勝利した。
しかし、天野さんが技ありの判定をした後、副審から念のため映像でも確認したいと声が掛かった。
「私はぜひ、チェックしてほしいと思ったんです。選手たちにとってはこの試合が全て。もし判定が誤っていても私がペナルティーを負うだけで、選手たちが求めているのは正しい評価。もちろん、『技あり、阿部選手』と言った時には、私の中で最善の判定でしたが」
結果、判定は正当とされ、丸山選手からは「悔いなく試合ができました」と言ってもらえた。
競技ルールの3本柱と「礼」
他の競技と同様、柔道でもオリンピックの大会ごとに、ルールの見直しがなされる。
天野さんは、前回の2008年北京大会から比べると、今大会は日本人柔道家にとって、有利になってきていると言う。
「審判員はルール変更に順応できるよう、柔軟性が必要です。現在のルールでは、私の中では3本柱という表現をしています」
一つ目は、しっかりと「組み合う」こと。
二つ目は、「場内で戦う」こと。
三つ目は、「技を掛け続ける」こと。
例えば、試合中、相手から離れてばかりいたなら「組み合っていない」から1つ目がダメでペナルティー。なかなか技を掛けなければ、3つ目ができていないからペナルティーというように、単純な考え方で判定を出す。その際、最も気を付けているのが、積極性だ。これが、日本で教える組み合う、技を掛け合う、攻めの柔道との合致である。
そして、もう一つ。国際柔道連盟が大事にする「道」としての柔道。礼を徹底させ、柔道着があまりにほどけるようならペナルティーを出すなど、礼儀・マナーの部分も現行のルールに加味されているという。
「頭を下げるということは相手を敬う心であり、試合後は相手を讃える。スポーツ化してきているとは言っても、こうした心を表現する部分もしっかりと持ち合わせているというのも、柔道という競技の素晴らしさだと思いますね」
実際に、今大会で最後に審判した男子100キロ超級の決勝戦では、劣勢だった選手が抑え込みで逆転勝ちを収めた時に、敗れた選手が礼をしながら相手に拍手を送り、最後は肩を組んでお互いをたたえ合った。「礼」を大切にしてきたことの表れた場面でもあった。
今こそ必要な心の教育
今大会のコロナ禍以前には、天野さんは家族のサポートもあって、長期にわたって海外での大きな大会に参加してきたが、そこでの厳しい現実と評価の間で、心が折れそうになることもあったという。
「失敗しても日本では『頑張れ』と周りは声を掛けてくれますが、海外では失敗すると皆離れていく。大会が終わるたびに自分の裁きが点数化され、低くなると誰も評価してくれません。心の持ちようをちゃんと自分自身でコントロールしていかないといけない」
コロナ禍で海外に行けなかったこの1年、ずっと日本にいたからこそ、日本人としてお互いに認め合う感覚、支え合う感覚に、ほっとすることが多かったという。
そのことは、子供たちを教えている、自らの道場でも痛感した。
「コロナ禍になる前には、子供たちの大会も立て続けにあったので、どうしても勝つための柔道に意識はいってしまっていました。でも、コロナ禍で組み合ってはいけない、となったときに、どういった指導ができるか。模索していくと、どんどんどんどん心の教育という方向に行き着くんですよね」
オリンピックでも、ボランティアの人たちとの触れ合いで感じたことがある。
「今大会中、私の中で決めていたことがあって。それが『ボランティアの人たちに“柔道競技のボランティアをやって良かった”と感じてもらえるようにする』ことでした。なので、毎日笑顔でお会いする方々に精一杯あいさつや声掛けをしていたんです。そしたら3日目くらいから今度はボランティアの方々から精一杯のあいさつを頂くようになって。私の方が元気をもらっていました」
「礼に始まり、礼に終わる」といわれる「道」の競技・柔道。
コロナ禍もポジティブに受け止め、今こそ心の教育に力を注ぐ時期だと、天野さんはいう。
7歳から始めた柔道に魅せられて、選手として果たせなかったオリンピックの舞台に、母国開催で審判として立った。選手、指導者、関係者、ボランティアを含め、競技を通じて一体感が生まれたことの喜びというものを味わった。
「本当に皆さん、ネガティブな方はいらっしゃらない。志の高い方が集まってくる場所。オリンピックっていうのは、人に活力を与える、勇気の宝物というか、そういった魔法を持つ場所だなって、思いますね」
天野安喜子(あまの・あきこ)
1970年10月31日生まれ。1993年文理学部体育学科卒。東京都江戸川区出身。鍵屋の次女として誕生。小学1年生の時に父・修さんが「富道館柔道天野道場」を開いたのをきっかけに柔道を始める。共立女子高へ進学。
86年の福岡国際女子体重別柔道選手権大会では日本代表選手として銅メダル獲得。2008年に北京五輪柔道競技の審判員に日本人女性で初めて選ばれ、今年2021年は東京五輪で2度目の選出を受けた。
2009年、本学大学院芸術学研究科芸術専攻博士後期課程修了、博士号(芸術学)取得。