最初の校歌は、大正9年(1920)5月16日に行われた大学令による大学昇格祝賀会で歌うために、学生の発案でその前日から一晩でつくられたものに過ぎませんでした。
そうした事情から、正式な校歌制定を求める声が上がり、大正12年(1923)2月には、作詞を一般学生から公募することになりました。その結果、学生3名の作品が選ばれ、3作の歌詞を合作した上で、音楽家の梁田貞(やなだただし)に作曲を依頼し、正式な校歌が制定されたのです。そのため、この校歌には特定の作詞者は存在しません。
現在の校歌は、昭和4年5月に誕生しました。自然主義派の詩人・相馬御風(そうま ぎょふう)、日本を代表する作曲家・山田耕筰(やまだこうさく)の手によるものです。初代、二代の校歌の精神を受け継いだ詩に斬新さが加わり、曲は明るく軽快で、しかも荘重さを帯びています。当時は歌詞が難解だとの声もあったと聞きますが、今では校歌集のなかでも名曲のひとつとなっています。