昭和30年代に入ると、世界的に原子力の平和利用が進められるようになりました。日本大学はいち早く原子力研究に着手し、日本で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹を顧問に迎え、昭和32年(1957)に工学部(現・理工学部)に原子力研究所を発足し、昭和38年には本部直属となりました。原子力研究所は、当時最先端の研究であった核融合に注目し、昭和37年に日本で最初の高温プラズマの発生に成功しました。
核融合実験装置(左から1人目が古田会頭)