本学教員の木村秀政は飛行機好きの学生と人力飛行機の作製に挑戦しました。しかし、高い技術が要求されるため失敗の連続でした。ようやく昭和41年(1966)に「リネット号」が、わずか15mでしたが日本最初の人力飛行に成功しました。その後、先輩から後輩へと改良が積み重ねられ、昭和51年に飛行距離の日本記録、翌52年には世界記録を樹立しました。
リネット号