日本大学での4年間の学びを経て、多くの学生が社会に、世界に羽ばたいていく。アスリートも、その学生の一人である。急性リンパ性白血病から復帰を果たし、アスリートとして結果を残すだけではなく、学生としての本分である学業も全力で取り組んだ。そこで得たものとは、何なのか。池江璃花子(日本大学スポーツ科学部・4年)が大学で歩んだ4年間を振り返る。第1回は、日本大学水泳部のキャプテンを努めることで得た、リーダーとしての学びにスポットを当てる。

濃密な学生生活だったからこそ口をついて出た感謝と寂しさ

「大学生としての最後のレースで勝つことができて良かったです。今までの学生生活を振り返ると、楽しかったですし、本当に心の底から感謝しています」
2023年2月に行われたコナミオープン2023という大会の100m自由形で優勝した後、大学生活を振り返る池江璃花子の表情は、とても穏やかだった。
「今は、とにかく寂しい気持ちでいっぱいです」(池江)
波乱に満ちた学生生活だったかもしれない。2019年4月、本学の入学式には出席できなかった。2年生になると、今度は新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、キャンパスで授業を受けることも少なくなってしまい、大好きな友人たちとも会えない日々が続く。3年時には、オリンピックという大舞台に立つことができた。そして最終学年となった今年度は、水泳部キャプテンとしてチームを率いる立場になり、その難しさと楽しさを知ったと同時に、アスリートとしての苦しみも味わった。
その全てが、池江の糧となった。もしかすると、苦しいこと、辛いことのほうが多かった4年間だったかもしれない。でも、かけがえのない濃密な4年間を過ごせたからこそ、自然と「感謝」と「寂しさ」が口をついて出たのである。

この大学で学びたいという思いで入学 4年間で大きく成長した

池江はスポーツ推薦ではなく、AO入試(現在は総合型選抜)で日本大学に入学。入試のあった2018年は遠征も含めて多忙を極めた時期だった。そのなかで、きちっとリポートを仕上げ、試験をクリア。水泳というスポーツで結果を残して終わり、ではなく、その先をしっかりと見据えていたからこその池江の選択だった。
 
日本大学スポーツ科学部の教授で日本大学水泳部の監督も務める上野広治も、池江のそういう姿に本学の精神を見たと話す。
「全学的な教育理念の中の『自ら学ぶ』『自ら考える』『自ら道をひらく』という3つの教えを水泳部の中でやってくれていたように思います。まさに『自主創造』ですよね」(上野監督)
上野監督は4年間、池江の活躍をそばで見続けてきた。だからこそ、最終学年である今年度、池江にチームを任せる事に決めた。女子キャプテン就任である。
「競技の世界に復帰してから2、3年生のインカレ(日本学生選手権水泳競技大会)で結果を出してくれて、4年生のときにはキャプテンになってくれました。水泳部がより社会に認められる集団になったというか……、競技だけではなく、そういうところにも尽力してくれているというのは、単にスイマーはアスリートということだけではなく、ひとりのリーダーとしてリーダーシップという面でも大きく成長してくれたと感じています」(上野監督)
池江自身も、キャプテンになったときにはどうすれば良いかを常に考え、行動してきた。そのベースになったのは、スポーツ科学部で学んだことだったという。

「歴代のキャプテンを見てきて、こういう行動をすれば良いんだな、ということも学んできました。いざ自分がキャプテンになったときには、もっとより良いチーム作りをするためにはどうすれば良いか、を考え、今までの大学3年間を踏まえて自分なりに行動するようにしました」(池江)

『チームのために』という思いが大きな原動力となった

チームひとり一人と向き合い、話し合い、支え合う。もしキャプテンにならなかったとしても、池江自身は同じように行動していただろう。だが、本人が言うように、キャプテンという大役を担うことになったからこそ、より一層『チームのために行動する』という思いが強まったと話す。
「インカレは大学対抗戦ですから、自分が結果を出したいという気持ちももちろんありますが、どちらかというと自分の結果にこだわるよりも、チームが波に乗れるような結果や順位を出していきたい。後輩たちにはそれに続いて『自分もやらなきゃ』というような、チームのために動く気持ち、というものをどんどん感じていってほしいと思っています」(池江)
最後のインカレのレースでは、個人種目では50mと100m自由形で優勝。特に100mでは100分の9秒差という接戦を制しての優勝に笑顔がこぼれた。ただ、リレーでは思うような結果を残せず、悔しさをにじませる瞬間もあった。
しかし、最後の4×200mリレーでは4人の力を合わせて3位表彰台を獲得。表彰台では大会でいちばんの笑顔を見せた。

「前のリレー2つ(4×100mリレー、4×100mメドレーリレー)の結果が良くなかったので、正直メダルが獲れると思いませんでした。最後のリレーでメダルが獲れたのは、とてもうれしいです。最後のインカレは、1日1日、一つひとつのレースを大事にできたと思います。もちろん、もっと良いタイムを出したかったという思いはありましたが、それ以上にインカレで大切なのは順位。そういう意味で、ある程度の結果を出せたのは良かったと思っています。1年生のインカレは応援しかできなかった。2年生ではメダルが獲れず、3年生では得意種目で負けてしまった。だからこそ、最後のインカレではチームのために結果を出したい、という思いが強かったです。それが結果につながったのだと思います。私の水泳人生にとっても、とても思い出に残る4年間をこの日大で過ごせました」(池江)
そして、最後に池江はこうも付け加えた。「先輩としての背中を、後輩に見せることができたかな」と。

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