日本大学での4年間の学びを経て、多くの学生が社会に、世界に羽ばたいていく。アスリートも、その学生の一人である。急性リンパ性白血病から復帰を果たし、アスリートとして結果を残すだけではなく、学生としての本分である学業も全力で取り組んだ。そこで得たものとは、何なのか。池江璃花子(スポーツ科学部・4年)が大学で歩んだ4年間を振り返る。最終回は学びの先に感じ、目指す池江の未来についてです。

チームメイトの存在があったから気持ちを切り替えてレースに臨めた

1年時、闘病中ながら仲間と喜びを分かち合いたいと祝勝会に参加した

1年時、闘病中ながら仲間と喜びを分かち合いたいと祝勝会に参加した

池江璃花子は、チームで戦うことが大好きだ。仲間と共に高みを目指すことの楽しさ、面白さを知っている。チームで戦い、切磋琢磨する毎日ならば、苦しいことや辛いこと、そして悔しさを味わったとしても、その先にある達成感をより美味にするスパイスに過ぎない。高くそびえ立つ壁があったとしても、仲間と一緒ならば楽しく乗り越えられる。それを知っているからこそ、池江はチームを大事にし、チームのために自分が何をすべきか考え、行動する。 その思いは1年生のとき、白血病の治療中であったにもかかわらず、インカレ(日本学生選手権水泳競技大会)の応援に駆けつけたことからも、強く感じることができる。日本大学スポーツ科学部の教授であり、水泳部の監督でもある上野広治も、そのときの様子は鮮明に覚えているという。 「男子チームが総合優勝を果たした時、病院から外出許可をもらって会場にも駆けつけてくれました。さらに食堂で開いた祝勝会にも来てくれました。病院に戻らないといけない時間ギリギリまでその場にいてくれて、優勝した時の気持ちを仲間と共に味わってくれたのです」(上野監督) 2年生時には、コロナ禍であると同時に、練習を再開してからまだ1年も経っていない状態だったが、早くも戦線に復帰。選手として初参加したインカレでは、50m自由形に出場。決勝に残っただけではなく、なんと4位入賞と、表彰台まであと一歩にまで迫る活躍を見せた。 「日大のチームの一員として、インカレに出場できて本当にうれしいです。泳ぐ前から感情があふれ出てしまいました。25秒台を出せたことはとてもホッとしていますが、表彰台まで0秒04沙だったことはとても悔しいです。ただ、今はこうやって悔しいって思えるだけでも上出来だと思っています」(池江)

3年生になったときには、リレー要員ながらオリンピックに出場を果たす。白血病発覚から2年と5カ月、練習を再開してから1年と半年後のことだった。

そして池江の選手として2回目のインカレでは、初日の50m自由形で優勝を果たす。それだけではなく、チームメイトであり先輩でもあった山本茉由佳(スポーツ科学部・令和3年卒)と持田早智(法学部・令和4年卒)の3人で表彰台を独占。池江の笑顔が弾けた瞬間でもあった。

だが、うれしいことばかりではない。勢いづいたなかで出場した100mバタフライではライバルに逆転され、100分の1秒差の2位になってしまう。自信があっただけにこの敗北は池江にとって大きく、悔しさに覆われてしまった。

そんなときに、池江を救ったのはチームメイトだった。インカレ最終日、4×200mリレーに出場した池江は、先輩の伊藤悠乃(スポーツ科学部・令和4年卒)と持田、そして同級生で共にオリンピックで戦った小堀倭加(スポーツ科学部・4年)に励まされ、見事優勝を果たして大会を締めくくった。その後のインタビューでは「このメンバーで優勝ができて本当にうれしい」と人目をはばからず涙を流した。

後輩たちに“日大イズム”を残したい キャプテンとして臨んだ最後のインカレ

1、2、3年時、レースの結果で落ち込む自分を励まし、気持ちを前向きにさせてくれた先輩たちの姿を目に焼き付けた池江は、4年時にはキャプテンに就任。チームのために何をすべきか。これを第一に考え、チームにその思いを伝え続けてきた。

最後のインカレで初の2冠を達成。表彰台での笑顔が印象的だった

最後のインカレで初の2冠を達成。表彰台での笑顔が印象的だった

「どうやってインカレという舞台で活躍してもらうか、気持ちを上げさせるかというのが重要だと考えていました。そのために、小さな大会でも勝ちぐせをつけるとか、先輩は後輩のために泳ぐ、というチームならではの気持ちや感情を出して戦ってほしい、と伝えてきました」(池江) 実は池江自身、この年の国際大会代表派遣選手選考会では思うような結果が残せず、気持ちが落ち込んでしまっていた。 そんなとき、池江をもう一度奮い立たせたのは、家族の支えは当然のことながら、高校時代からずっと泳ぎたいと憧れ続けてきたインカレで結果を残して終わりたい、という強い願いと、個人として結果を残してチームに貢献したいという思いであり、日本大学水泳部のキャプテンという責任感であった。 そして最後のインカレでは、個人で出場した50m自由形では2連覇を果たし、100m自由形でも優勝して2冠を達成。リレーも、最後の4×200mリレーで3位表彰台を獲得し、笑顔でインカレを終えることができた。 「終わってみて、先輩としての背中を、後輩に見せることができたかな、と思います。私の気持ちが折れそうなとき、チームが応援してくれたから踏ん張ることができました。泳いで結果を出すことしか自分にはできないので、今回の結果で、ずっと支えてくれた日大というチームに恩返しできたかな、と思います。1年生の時に初めてインカレに参加させてもらって、そこから絶対に結果を出してチームに貢献しようって思い続けてきました。その気持ちが、今回の結果につながったのだと思います。今はすごく寂しい気持ちでいっぱいです。いつか、この瞬間がまた恋しくなる日が来ると思います」(池江)

自分の行動が社会に役立つかもしれない 4年間の学びを経て見つけた目標

いつもどこか冷静で、自分の気持ちや感情をコントロールして理路整然と話す池江。このときばかりは、その奥に潜む素顔を見せた。

池江は、いつもそうだった。自分のためだけではなく、仲間のために泳ぎ、仲間と切磋琢磨して高め合うことが大好きだった。自分が励まされてきたからこそ、自分も励ますことができたら、という思いを常に心に灯している。その熱い気持ちを持てたのも、日本大学で過ごした4年間があったからだと話す。将来の夢に、自分が目指す目標に、少しでも近づくための、達成するためのヒントが日本大学にはたくさんある。池江もそれを4年間で学び取ることで、将来の夢に一歩近づいた。

 

「自分の立場というか、自分が行動することによって、社会のために少しでも役立つことが何かあるんじゃないか、と思っています。それは行動ではなくても、その人のためになるようなことを伝えられたりとか……。これまでいろいろな経験をしてきたつもりなので、アスリートとして気持ち的に困っていたり、行き詰まったりしている人がいたら、見つけて支えていくことができたら良いなと思います。そう思えたのも、この4年間があったからです」(池江)

アスリートを人として成長させてくれるものを大学で学んだ池江。そういう環境があったから、今がある、と真っすぐに言える。

「分からないことがあったら、自分からどんどん積極的にいろんな人に話しかけてほしい。私が在籍していたスポーツ科学部には、ほかの競技でも活躍するトップアスリートの方々が揃っていますし、それを指導する先生方もたくさんいらっしゃいます。今悩んでいることでも良いし、もちろん将来の夢の話でも良い。日本大学は、そういう将来の目標に向かって頑張る学生が、一歩でもその目標に近づける環境が揃っているんじゃないか。そう思っています」(池江)

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