昨年12月、第76回全日本大学バスケットボール選手権大会の男子決勝において、日本大学バスケットボール部は東海大学との接戦を制し、15年ぶり13回目の優勝を果たした。その裏にあった努力と苦悩とは。主将としてチームを牽引した井上水都選手(経済学部・4年)と、ヘッドコーチとしての役割も務めて優勝に貢献した新山岬主務(危機管理学部・4年)に、4年間の日々を振り返ってもらった。
もう一度請われれば、「やる」
−ご卒業おめでとうございます。インカレ優勝を成し遂げての感想はいかがですか?
井上 15年ぶりに優勝し、大学日本一になるというのは素晴らしいことではあるのですが、振り返れば1回戦からとても危ない試合が続いていて、一歩間違えれば1回戦で負けてたかもしれない。そう考えると結果は一過性のものに過ぎないと思うんです。それでも、本当にみんなで頑張ったし、自分も遊びたい欲を律して誰よりも練習してきたという自信があるので、そういうのが形になったというのはすごくうれしいしです。そして、これから何かやるという時でも、自分がやることを信じて、積み重ねていくことのモチベーションになるし、こうやればいいんだなということを得られたので、本当に大きな、良い経験でした。
新山 僕はマネージャーとして入部し、2・3年次でチームアシスタントや学生コーチを務めてきましたが、4年になって古川貴凡監督に替わられた時、監督の意向により学生主体でチームづくりをしていくことになり、通常の主務の仕事をやりつつも、試合ではヘッドコーチ的な役割もやらせていただきました。非常に難しい役割でしたが、チームのみんなに支えられて最高の結果を出すことができ、ほっとしています。
−主将と学生コーチという立場で、苦労した点も多かったのでは?

井上 日大のチームには、世代を代表するプロ志向の選手が何人もいますが、その一方で試合に出られる枠、ベンチに入れる枠は決まっているわけで、競争がある中でどういうチームを作っていくかという点が今シーズンの課題でした。古川監督を中心に学生主体でチーム強化を進めていくことになり、ヘッドコーチを務めた(新山)岬のポジションを守りながら、岬の指示をみんなが聞くようにするために、主将である自分がどういったポジションをとるべきかということは本当に難しくて、最後の最後まで正解がわかりませんでした。悩みながらも、後輩たちもついてきてくれたのがすごくうれしかったし、インカレ優勝という結果が出たことで自信につながりましたが、振り返れば、主将とプレーヤーという自分のプレーの両立と、チームづくりを並行することが一番苦労した部分かなと思います。
ただ、そんな中だからこそ自分の能力を伸ばすことができたという思いもあり、仲間たちに視野を広げてもらったというか、いろんな視点で物事を見たり考えたりするようになりましたし、自分のこの4年間を際立たせてくれ、素晴らしいものにしてくれた経験でした。これからの長い人生の中でも、なかなかできる経験ではないし、主将をやって本当に良かったです。もう1回やるか?と聞かれれば、「やります!」って答えると思います。

新山 4年生の1年間をもう一度やれって言われたら…僕は(井上)水都とは違って3回考えて、でも結果的にはやると言うと思います(笑)。思い返せば、入学して1年目のスプリングトーナメント優勝の際、うれしいと思いつつも、自分は何もしていないなと感じていました。ですが4年生でヘッドコーチをやらせていただいた時は「こういうバスケットをしたい」という自分の“エゴ”=“思い”を通して優勝できたので、本当にやって良かったと思えました。
とはいえ、苦しいことしかなかったですね。立場上コーチですが、学生として対等である中で同級生にも下級生にも指示しなきゃいけない。自分の考えをはっきり言うタイプの人が揃っていたので、言葉で「言いくるめる」こともできず難しかったですね。自分が超一流で上手かったら指示を聞くメンバーもいると思いますが、高校のときからマネージャーをしていて一流選手でもなかったので、そういった意味では、しっかりコミュニケーションを取って信頼を勝ち取るということがすべてだと常々思っていました。「コーチをやらせてもらっている」という意識を持ちつつ、ただ自分の中に、「これだけはダメだ、絶対ぶらさない」という軸を決めていました。その軸があったからこそ、枝葉の部分として周囲の意見をたくさん吸収できたということはあります。
インカレ決勝戦、井上主将を中心に一丸となり東海大学を70-63で下して悲願の優勝を果たした
コートの選手たちに指示を出す新山コーチ
−2人の間でのコミュニケーションは?
新山 基本的に僕は楽観的に考えるタイプですし、水都は厳格に「これはこれ」というタイプ。僕と反対の面を持ってるので、水都とコミュニケーションをとりつつチームづくりをできたのは本当に頼もしかったです。ぶつかるようなことも特になかったよね(笑)。
井上 ぶつかる暇もないというか、周囲でいろいろなことが起きすぎていたし、僕らが協力していかないと、という思いがあったので同級生同士でよく意見交換していました。僕が意見を言う時は、選手目線の自分もいるし、主将としての自分もいたので、岬から見て、僕がどちらの立場で意見を言っているのか、線引きが難しかったのではと思います。
ですがそういうときも、コーチとしてしっかり判断してくれていたし、その点は全選手に対して同じでした。これはなかなか学生にできることではなく、そういうところを伸ばしていけば本当に良いコーチになれるのではと、ここ1年間すごく思っていました。
阿吽の呼吸の掛け合いの中にも互いへのリスペクトが垣間見えた井上水都主将(左)と新山岬主務(右)。ともに日本大学優秀賞(スポーツ部門)を受賞した。
学びを通して得られた「視点と武器」
−大学生として、学業の面で何か得たことはありますか?
井上 僕が在籍していた経済学部は、文理学部やスポーツ科学部に比べると競技部の学生が少なかったんです。スポーツ科学部だと別の競技部の選手と知り合えたり、意見交換したりできることがうらやましい面もありましたが、経済学部にいることで、スポーツと経済が実は密接に関係していると意識できました。スポーツを続けるに当たって、そういう視点を持てたのはすごく良かったと思います。
またキャンパスでは「バスケットボール部主将の井上」ではない、1人の学生として勉強に取り組むこともできました。経済の授業を英語で受講できるクラスがあったり、他学科のコースを受講できたりと、いろいろな選択肢があるので、スポーツをやりながらでも十分勉強もできると感じましたし、卒業後の進路においても、学部での学びが自分の武器のひとつになっていると感じます。
新山 危機管理学部では、災害時のマネジメントを学びました。組織や人に対するマネジメントに活かせる部分もあり、そこで得た考え方は、これからの仕事にもつなげていけると感じています。
−4年間の大学生活を振り返っての感想は?
井上 部活と学業の両立は大変な面も多かったです。寮からキャンパスまでが1時間弱かかったので、移動時間を使ってテスト勉強もしました。朝、チームウエイトをした後、すぐに着替えて1限に向かうということも。当時は本当に大変だという思いがありましたが、ちょっときついなという時でも、部活も勉強も怠らずにやれたことが自分の中でとても自信になりましたし、「自主創造」の力をつけさせていただきました。総括してとても充実した4年間だったと思います。
新山 残念だったのは、もう少し交友関係を広げればよかったかなと思うことですね。もともと人とコミュニケーションをとることがあまり得意でないことに加え、コロナ禍の影響で、2年生くらいまでは対面授業も多くありませんでした。もっと周りの人と話をしていれば、その中で自分自身を確立することもできたのではないかと感じます。
さらに成長するために選んだ道
−卒業後はどのような道に進むのですか?
井上 海外の大学院に進学して経済の勉強をし、キャリアを始めたいと思っており、今は進学の準備をしているところです。プロとしてバスケットボールを続けるか、海外に渡って頑張るかというのを4年生になってからずっと考えていて、シーズン中も葛藤がありました。自分の望むチームとの契約が決まれば、プロキャリアを数年重ねることも視野に入れていたものの、海外に出て自分で仕事をしたいという気持ちも捨てきれなかった。ようやく今年の2月頃に決断しました。語学は在学中から取り組んでいましたし、自分のビジネスの感性を育てていって、将来的に、自分でビジネスを起こせるような人材になりたいと思っています。
−なぜ海外にチャレンジする道を選んだのですか

井上 やはり日大での4年間が大きかったですね。自分の中で、人間的にも考え方も、だいぶ変わったと感じています。特に最後の1年は、主将として一人ひとり異なる長所を持つ選手と向き合う中で、選手たちの力を集めて何かを成し遂げることや、15人ないしはベンチ外のメンバー含め何十人もの力を合わせて、1人じゃ達成できないことをやり抜いた経験をして、力をもらいました。社会に出ても、自分がリーダーシップを発揮し、ほかの人たちと一緒に協力すれば何か大きなことができるかもしれないと思ったんです。具体的なビジョンはこれからなのですが、自分が先頭に立ち、優秀な人たちをうまく動かして、社会を回していけるようなシステムや組織をつくっていきたい。バスケを続けるよりもその可能性の大きさに惹かれたというのが正直な気持ちです。
−新山さんはバスケットボールに関わっていくそうですね?
新山 はい。B1の琉球ゴールデンキングスの運営会社に入社しまして、2月からスタッフとして興行運営などに携わらせていただいています。いずれはトップチームのマネージャーとして、大学での経験を活かしていきたいと思っていますが、いまは社会人としての基本的なことを学ばせてもらっているところです。
−マネージャーという仕事をめざしていたのですか?

新山 1年生の時から何となく、将来もどこかでマネージャーをやっていくんだろうなという意識はありました。そのため、一般企業への就職活動も行いませんでしたし、大学4年間をかけて、この道に進む準備を進めてきたつもりです。
ありがたいことに、日大バスケットボール部からも東山高校からも指導者として声を掛けていただいていて、大学か高校か、もしくはプロの世界に入ってマネジメント力をつけるかという、3つの選択肢がありました。その中で「もっと成長したい」という気持ちがあったので、自分が知らないプロの道に進む選択をしました。
−琉球ゴールデンキングスを選んだ理由は?
新山 僕は組織の中でマネジメントを学びたいという希望があり、そういう場として琉球ゴールデンキングスに一番惹かれました。GMの安永淳一氏はNBAのブルックリン・ネッツで長年フロントをされていてアメリカの事情にも詳しい方ですし、元は大阪のチームでGMをやっていた方がアシスタントGMとしていらっしゃる、それくらい魅力的な組織だと思いました。
−今後のお二人の夢や目標をお聞かせください。
新山 大学ではコーチという仕事も経験しましたが、今のところ自分ではマネージャーかコーチかどちらをやりたいというこだわりはありません。ですがマネージャーという職はコーチにつながる業務もできるし、GMなどマネジメントに関することも学べる分岐点となる仕事。入団して“いいとこどり”をしながら成長し、チームに必要とされる人材になりたいですし、選手もスタッフも入れ替わりが激しい環境ではありますが、求められる限りはBリーグの中でずっと仕事をしていきたいと思っています。
井上 将来のことはまだよくわからないですし、正直迷っています。ただ、自分でやりたいことを自分で選択したいと思っていますし、自分が楽しく、ワクワクする方を選び取れるような力をつけたいと思っています。
−最後に、後輩たちへのメッセージをお願いします。
新山 この1年間、Aチームに入りたい、メンバーに入りたい、試合に出たいなど、そういった後輩たちの気持ちも承知しながらやってきました。中にはなにくそと思っていたり、なぜ自分を試合に出さないんだという気持ちを持っていた子選手もいると思います。僕としてはそういう気持ちを、これからも忘れないで欲しいなと思います。選手としてはやはり試合に出たりメンバーに入ったり、自分が活躍したりというのがとにかく大事なこと。強い気持ち、戦う心を最後まで持ち続けてほしいですね。
井上 みんな仲良くしてくれて、気さくに話しかけてくれますし、指示を出せばパッと動いくれて助かりましたが、その反面ちょっと良い子すぎるなというのも感じています。道は自分で作らないと開けないもの。バスケットボールに限らず、大学で4年間過ごして自分の手元に何が残るのかと考えた時に、自分の将来や、今後どうなりたいかという姿目標に向かって、この4年間で一人ひとりが自分の価値を高めてほしいと思うので、ぜひがんばってほしいですね。
−お二人の次なるステージでのご活躍を期待しています。
世界という大きなステージに飛躍する意気込みを色紙にしたためてくれた井上主将。「文字通り、人としてさらに成長していきたい」
結束してチームをインカレ優勝に導いたデイビッド・コンゴロー選手(前列左)、米須玲音選手(後列右)とともに、卒業式前に記念撮影
Profile
井上 水都[いのうえ・みなと]
2002年生まれ。神奈川県出身。土浦日大高卒。2025年3月、経済学部卒業。3年次より主力メンバーとして活躍。4年次は主将としてリーダーシップを発揮しチームを牽引。関東大学リーグ戦ではインカレシード権獲得に大きく貢献。全日本大学選手権でもチームをまとめ上げ優勝に導いた。
Profile
新山 岬[しんやま・みさき]
2002年生まれ。福島県出身。東山高卒。2025年3月、危機管理学部卒業。高校時代は選手兼マネージャーだったが、日大OBだった監督の薦めで日大ではマネージャーとして入部。1年次からチームを支えてきたが、4年次には主務を務める傍らヘッドコーチ格で選手たちの指導にあたる。関東大学リーグ戦、全日本大学選手権でも采配を振るい、インカレ優勝に大きく貢献した。