日大で過ごした4年間は、順風満帆ではなく、どちらかといえば波瀾万丈だった。だが、その経験を得たことであらたに学んだこともある。仲間と戦うことへの責任感だ。
チームのために何ができるのか。チームのために何をすべきなのか。池江璃花子選手は、水の覇者・日大の女子主将として最後のインカレを迎える。
全てを終えて感じたことは何だったのか。池江選手にとってかけがえのない宝物となったインカレを振り返る最終回。
順位へのこだわりを見せた最後のインカレ
池江璃花子選手は、3年生の時からこう話していた。
「インカレはタイムではなく、順位が大事。順位を大事に戦っていく」
学校対抗戦だからこその、大事な戦略である。4年生となり、女子チームのキャプテンを任された池江選手は、その思いを初日の50m自由形で体現。記録こそ前回大会に届かなかったものの、25秒09で2連覇を達成。まず大事な最初のレースで優勝を勝ち取って、チームとして最高のスタートを切った。そして、レース後に見せたのも順位へのこだわりだった。
「この50mはタイムよりも順位にこだわりましたし、勝てて良かったです。インカレは、本当に楽しい大会でもあり、チーム力が試される大会でもあると思います。流れが大事なので、この勢いに乗れるように、明日からのリレーも頑張っていきます」
しかし、翌日の4×100mリレーではメダル獲得ならずの4位。「悔しいのひと言です。気持ちは整理できていないんですけど……勝ち負けにこだわっていただけに、不甲斐ない結果。キャプテンとして頼りなかったな、という思いもあります」と悔しさをあらわにする池江選手。
なんとか気持ちを切り替えて臨みたかった3日目の4×100mメドレーリレーだったが、こちらも振るわず5位とメダルを逃す。
「タッチの差でメダルを逃したのは、自分の責任でもあります。悔しいですけど……明日がもう最後なので、自分のやるべきことをやって、100m自由形と8継(4×200mリレー)に臨みたいと思います」
先輩の悔しさを晴らすために泳いだ100m自由形
最後のインカレには、50m、100m自由形の2種目に出場
4年生最後のインカレは、出場種目に迷っていた。3年生の時と同じ50m自由形と100mバタフライに出場して、ライバルへのリベンジを志すか。
50m自由形は、チームに勢いを付けるためにも必ず出場し、優勝しなければならないと考えていたから、出場しないという選択肢はない。
問題は、100mバタフライだった。チームには後輩に野村京桜選手という、決勝を狙えるバタフライの選手がいるが、100m自由形で決勝を確実に狙える選手はいない。
チームのことを考えれば、100m自由形に出場して得点を稼ぎたいところ。そういうチーム事情もあったが、池江選手が最後のインカレに選んだのが100m自由形だったのには、先輩の山本茉由佳選手の存在があった。
昨年のインカレで敗れた先輩の雪辱を果たしたいという思いで出場した100m自由形
山本選手とは日大でのチームメートとして、白血病から復帰後に苦楽を共にしてきた。その山本選手が最後のインカレとなった前回大会、100m自由形で予選をトップで通過していたものの、決勝では悔しい2位となってしまう。山本選手は笑顔を見せていたが、それが池江選手にとっては悔しかった。
『山本選手のリベンジを果たしたい』
その思いが池江選手を突き動かし、出場種目を50mと100mの自由形に決定したのである。
そうして決断した100m自由形の予選は2位で通過。さらに8継の予選にも出場。この時点で、池江選手のレース数は、4日間で8レース。体力的にも非常に厳しいことは確かだったが、チームのために主将が手を抜くわけにはいかない。8継も全力で決勝進出に大きく貢献した。
迎えた100m自由形の決勝。優勝を争うライバル2人に続く3番手で50mをターン。冷静にレースを運んだ池江選手は、ラスト10mでライバルたちを逆転。54秒26で優勝を飾ったのである。
「昨年、山本選手が負けてしまったことも、100m自由形に出た理由の1つ。そのリベンジを果たすことができて良かったです」
タッチの差の勝負を制した池江選手。苦しいところでの勝負強さを見せつけた
チームのために、仲間のために戦えば、100%以上の力を出すことができる。
池江選手が、3年間のインカレで学んだことだった。それは今のチームメートに向けてだけではない。卒業していたとしても、チームである。チーム日大として戦ってきた戦友を思うこともまた、チーム力の1つである。それを池江選手は自分自身の泳ぎで後輩たちに示したのである。
「体力的にもきつくて、100m自由形も気持ちが折れそうだったんですけど、チームメートたちが応援してくれたから泳ぎ切れました。私は、結果を出すことしかできません。でも、その結果を出すことで少しでも私を支え続けてくれたチームメートたちに恩返しができたかな、と思っています」
「いつかこの瞬間が恋しくなる日が来ると思います」
主将として迎えた最期のインカレは、個人2冠、チームとしては総合6位という結果となった。前回大会から順位は落としたものの、シード権は確保。池江選手たち4年生が、後輩たちに残せる最高のプレゼントだった。
1年生の時は応援しかできず、もどかしい思いをした。2年生ではメダルが獲れずチームに貢献できずに悔しかった。3年時には4日間で酸いも甘いも経験した。そして主将として迎えた最後のインカレを終えて池江選手の胸に飛来したのは、寂しさだった。
インカレだからこそ、味わった喜怒哀楽。その全てが良い思い出だ
「チームのために頑張ったこのインカレは、短い水泳人生の中で大きな思い出に残る大会になりました。1年生で初めてインカレに参加して以来、絶対に4年生で結果を残したいという思いが強かったので、それが今回の結果につながったと思います。きっと、いつか、この瞬間が恋しくなる日が来ると思います。今は、すごく寂しい気持ちでいっぱいです」
そして、池江選手が後輩たちに伝えたいメッセージは、初日に語った言葉に集約されていた。
「インカレは、チームのために自分はどうあるべきか、チームのために自分が何をできるのかを考えるのが大事」
自分個人の結果が悪かったとしても、それを嘆くばかりではチームに悪影響を与えてしまう。そうではなく、前を向いて、次に向けて全力で気持ちを切り替えて取り組むことも、チームのために自分ができること。
日大だからこそ、チームのために戦えた。その力は、後輩たちに受け継がれていく
「それを、私たち日大は持っていると思う」
池江選手が、後輩たちに一番伝えたいことだった。気持ちや思いは、言葉で伝えるよりも、背中を見せるほうが伝わるものだ。池江選手は、それを大事にこの最後のインカレを戦った。かつての先輩たちが、自分たちにしてくれたように。
きっと、この思いは受け継がれていくことだろう。水の覇者・日大として、伝統を紡いでいく限り。
Profile
池江 璃花子[いけえ・りかこ]スポーツ科学部4年
2000年生まれ。東京都出身。淑徳巣鴨高卒。ルネサンス所属。高校1年生でリオ五輪に出場し、100mバタフライで5位入賞。高校3年時にはアジア競技大会で6冠を達成し大会MVP。2019年2月に急性白血病であることを公表し治療に専念。2020年から復帰し、2021年4月の日本選手権で50m、100mの自由形とバタフライの4種目を制覇、東京五輪への代表権を獲得。2019年に本学進学後、2年生の時に初めてインカレに出場。3年生で50m自由形優勝、4×100m、4×200mリレーで優勝。最終学年は50m、100m自由形で個人種目2冠を果たした。50m、100m、200m自由形と50m、100mバタフライの現日本記録保持者。