2年生の時は、インカレを泳ぐだけで幸せだった。だが3年生になり、苦楽を共にしてきたチームメートと泳げる最後のインカレ、という事実を目の当たりにした時、池江璃花子選手の心境に変化が訪れる。
 
インカレは、自分のためよりも仲間のために。
 
その思いをより強くした、第97回大会を振り返る。池江選手が歩んだインカレを振り返る短期連載、第2回。


(写真は女子100m自由形で優勝し、木原杯と金メダルを手に笑顔の池江選手。木原杯は日本大学OG、故・木原光知子さんの栄誉を称え、女子100m自由形優勝者に授与される)

喜怒哀楽がつまった3年生時のインカレ

2年生で出場したインカレから半年、世界中に衝撃のニュースが駆け巡った。
 
1年の延期が発表された東京五輪の選考会を兼ねた第97回日本選手権水泳競技大会 競泳競技で、女子50m、100m自由形とバタフライの4冠を果たした池江璃花子選手が、東京五輪代表の座を射とめたのである。
 
「自分が勝てるのは、ずっと先だと思っていました。今、すごく幸せです」と、レース後は涙が止まらなかった。
 
東京五輪本番では、個人種目の出場は叶わなかったが、女子4×100mリレー、4×100mメドレーリレー、混合4×100mメドレーリレーのリレー3種目に出場。チームで戦うことが大好きな池江選手にとって、最高の五輪になった。
 
その直後に行われたのが、3年生で迎えたインカレだった。上級生の仲間入りを果たし、チームを牽引する立場になりつつあった池江選手。さらにこの年は男女ともに戦力が充実しており、言葉通りの水の覇者となるべく、男女総合優勝を目標に掲げてチーム一丸となって取り組んできた年でもあった。
 
このインカレへの思いを込めて、日大のカラーでもあるピンクのネイルをあしらって臨んだその初日、女子50m自由形でいきなり池江選手は25秒02でインカレ初優勝を果たす。
 
しかもそれだけではない。幼少期から共にトレーニングを積んできた1つ年上の先輩、持田早智選手と山本茉由佳選手の3人で、日大が表彰台を独占したのである。歓喜の中心にいたのは、池江選手だった。

普段から苦楽を共にする仲間と勝ち取った勝利に池江選手の喜びも最高潮に

普段から苦楽を共にする仲間と勝ち取った勝利に池江選手の喜びも最高潮に

「昨年は4位で悔しくて、今年は優勝しかないと思って泳ぎました。気持ちで負けちゃダメだと思って、最後は意地で勝つことができました」
 
そして表彰台を独占したことについて聞かれると、少しはにかみながら、笑顔でこう話した。
 
「3人でレース前に、もしかしたら表彰台独占もいけるかもね、と盛り上がっていました。それが実現できて本当にうれしかったですし、チームメートもすごく喜んでくれていたのが、すごく幸せでした」

3年時のインカレは最高のスタートを切った

3年時のインカレは最高のスタートを切った

2日目、「チーム力を発揮してメダルを狙っていきたい」と話した通り、女子4×100mリレーで見事金メダルを獲得。3日目も波に乗りたかったが、4×100mメドレーリレーは予選10位の悔しい敗退となってしまう。さらにこの日は、これだけではなかった。
 
個人種目で2冠を狙っていた池江選手は、女子100mバタフライに出場。前半から快調に飛ばし、ただ1人26秒台で50mをターン。そのまま逃げ切るかと思われたが、ラスト15mで失速。一気に追い上げてきた同学年のライバルの後塵を拝してしまう。
 
その差は、たったの100分の1秒。どちらかというと、接戦は常に制してきた勝負強さを持っていた池江選手だけに、この敗北は心に深く突き刺さった。

そんな池江選手を励ましたのは、もちろん苦楽を共にしてきたチームメートたちだった。『最後まで諦めずに頑張ろう』。先輩の言葉が心に深く響く。
 
気持ちを切り替えて臨んだ最終日。女子4×200mリレーの決勝で、池江選手はアンカーを務め、大会記録を上回る8分00秒49での優勝に大きく貢献。有終の美を飾った池江選手の目には光る物があったが、表情は笑顔に満ちあふれていた。

チームのために戦うから大きな力を発揮できる

女子総合成績は結果的に2位と、目標としていた男女総合優勝は叶わなかった(男子は2年ぶりに総合優勝を果たし天皇杯を奪還)。だが、池江選手にとって、チームメートたちは宝物だった。全員がそうだったが、当然誰でも特別な思いはある。それがこの年、4年生であった持田選手と山本選手の2人だった。

ライバルでもあった先輩たちのためにも全力を尽くした池江選手

ライバルでもあった先輩たちのためにも全力を尽くした池江選手

「持田選手とは中学生の頃からライバルとして戦ってきました。初めて戦ったのが、50m自由形。その種目で一緒に表彰台に上ることができて幸せでした。そして持田選手と世界選手権で初めて組んだリレーがこの4×200mリレー。そして最後に組むリレーも同じ4×200mリレー。最後はチームとして、仲間として一緒に戦えたこと、そしてお互い切磋琢磨してここまで来られたと思うので、もう感謝しかありません。チームのために、仲間のために戦う、ということは大きな力が出るんだな、と思いました」

だからこそ、最後は「水泳って楽しかったな」と思って卒業してもらいたい。それを、この8継(4×200mリレー)で伝えたかった。

思い、思われ、支え、支えられ。水泳というスポーツは、1人で戦うものではない、チームで一丸となって戦うからこそ、自分の100%以上の力を出すことができる。
 
その思いを胸に、今度は自分が──。4年生の主将として最後のインカレへと、池江選手の物語は続いていく。その活躍の原動力の1つとなったのが、山本選手の存在だった。

Profile

池江 璃花子[いけえ・りかこ]スポーツ科学部4年

2000年生まれ。東京都出身。淑徳巣鴨高卒。ルネサンス所属。高校1年生でリオ五輪に出場し、100mバタフライで5位入賞。高校3年時にはアジア競技大会で6冠を達成し大会MVP。2019年2月に急性白血病であることを公表し治療に専念。2020年から復帰し、2021年4月の日本選手権で50m、100mの自由形とバタフライの4種目を制覇、東京五輪への代表権を獲得。2019年に本学進学後、2年生の時に初めてインカレに出場。3年生で50m自由形優勝、4×100m、4×200mリレーで優勝。最終学年は50m、100m自由形で個人種目2冠を果たした。50m、100m、200m自由形と50m、100mバタフライの現日本記録保持者。

特集一覧へ