日大が競泳インカレで連覇を果たしたのは、実に16年ぶり。
 
その原動力となったのは石崎慶祐主将をはじめとする選手たちの活躍であるが、彼らが最大限のパフォーマンスを発揮できるようにサポートしてきた、スタッフたちもまた、同じように全力を賭して戦っていた。
 
水の覇者・日大連覇の足跡を追う、アナザーストーリー。

4年間を共にした戦友たちを誇りに思う

2019年、12年ぶりに天皇杯を奪還。吉田啓祐や石川愼之助、今年は主将を務めた石崎慶祐らが1年生の時だ。彼らの活躍が原動力となり、4×100mメドレーリレー、そしてインカレを締めくくる4×200mリレー、いわゆる“8継”を制し、男子総合優勝を果たした。この時、チームのコーチとして日大水泳部を支えていた一人に三木二郎コーチがいた。
 
三木コーチは学生時代、200m個人メドレーで3連覇をするなど活躍。さらに2005年の第81回大会では12年ぶりの男子総合優勝に貢献した。引退後はメーカー勤務、イギリスでのコーチング研修を経て2019年からコーチとして立場を変え、日大水泳部に戻ってきた。そして、またも12年ぶりの総合優勝をもたらすとはなんという因果だろうか。
 
2020年は連覇できなかったものの、2021年には再度天皇杯を奪還。創部以来過去最高得点となる491.5点を獲得する充実ぶりだった。
 
その裏には、チーム改革があった。連覇を逃したあと、上野広治監督と協議した三木コーチは「選手たち自身の力を信じよう」と、学生主体のチーム運営を選択する。
 
「本学の精神でもある『自主創造』ですよね。学生が主体となってチームを運営していく。もちろん私たちスタッフ陣もサポートしますが、基本的には学生が自分たちで考え、行動することを大事にやってきました」

試行錯誤しながら自分たちでチームを運営し、総合優勝に導いたこの経験が、今年の連覇につながったと三木コーチは話す。
 
「自分たちがどうやったら強くなるのか、速くなるのかを自分たちで考え、実践し、結果を出した。自分たちで強くなった、という自信が今年のチームにはありましたし、強い団結力も生まれていたと感じています」
 
それが特に強かったのが、冒頭に挙げた石崎主将をはじめとする4年生である。三木コーチがコーチ1年目だった時、まだ1年生だった選手たち。時にぶつかり合いながらも、『インカレ総合優勝』という同じ大きな目標を持ち、切磋琢磨してきた。そんな共に成長してきた選手たちが目標とする大会で活躍し、自分が選手だった時には成しえなかった連覇を達成した選手たちが誇らしかった。
 
「本当に今までにないくらい、エネルギッシュで頼もしい4年生たちでした。大会を終えて、一緒にこの4年間を過ごしてくれた選手たちがチームを去って行く今、少し寂しい気持ちもありますけど、石崎主将を中心に素晴らしいチームを作ってくれた彼らを誇らしく思います」

日本一のために選んだ裏方という道

三木コーチと共に、今年のチームを支えたのが、10人の学生スタッフたち。その中核を担ったのが、総務を務めた原田拓武(危機管理学部・4年)だった。
 
原田はバタフライの選手としてチームに入ったが、昨年のインカレを終えたところで裏方に専念する選択をした。
 
「自分はチームのためには裏方に回ったほうが良い、と判断して決めました。競技で引っ張る、というよりは、チームを裏で支えたほうが、チームが日本一に近づくんじゃないかと思ったんです」

原田のこの決断は、結果として連覇という最高の結果につながった。時には優しく、時には厳しく。「選手のことを第一に考えて行動する」ことをモットーに、チームのサポートに徹してきた。
 
「少し気が緩んでいるな、と思ったら石崎主将と話をして、全体ミーティングで気を引き締めることもありました」
 
一歩引いて全体を見る。それは、裏方だからこそできること。その役目を、原田は総務として見事に果たしてみせたのである。
 
「最後の祝勝会の時にスピーチをしたんですけど、その時の雰囲気とか、みんなの顔を見ていると、このチームが1つになったんだ、と実感しましたし、総務としてチームを支えてきて良かったと思えました」

信頼が紡いだ日本一のマネジャーの絆

原田と共にチームに叱咤激励を与え続けてきたのが、山﨑千楠(文理学部・4年)、山本眞菜(スポーツ科学部・4年)、森谷えみり(スポーツ科学部・4年)の3人だ。
 
「インカレの悔しさは、インカレでしか返せない。優勝を経験して、負けも経験した私たち4年生の同期たちには、最後のインカレで最高の結果を残してもらいたい。そういう気持ちでサポートしてきました」

そう話す山本のモットーは『選手たちがやってほしいことを先回りしてやる』こと。「選手から言われてからやるのは、それはもう遅いので」と笑う。そうしたサポートは選手にとって最高の支えであるはずなのだが、目に見えて分からないところがあり、成果が気付かれにくい部分でもある。
 
「でも、自分の思い通りにできた時は充実感もありましたし、私の働きをちゃんと見てくれていて、『ありがとう』って言ってくれる選手もいて。そういう時は本当にうれしかったですね」
 
高校時代はチームのキャプテンを務めたという山﨑。バタフライの選手として入部したが、人に教えたり、頼られたりすることへの楽しさも感じており、入学時からマネジャーとしてチームをサポートしたいとも思っていたという。2年生になった時にマネジャーとして裏方に回ったが、最初はうまく立ち回れない自分に悔しさが募った。

「タイムを取りながらも、選手の泳ぎも見ないといけないし。最初は全然できなくて、泣きながらタイムを取っていたくらいでした」
 
でも徐々に裏方の動きに慣れてくると同時に、選手だったからこそできる支え方があることに気付いた。
 
「選手に一番近いマネジャーでいたかったんです。泳ぎも見れるし、アドバイスもできる。ものが言えるマネジャーになろうと思ってやってきました」
 
選手に寄り添い、選手の近くでサポートする2人を見て、自分は違う立ち位置でチームを支えようと決めたのが、森谷である。
 
「2人のそういうところをとても信頼していたので、私はどちらかというと全体を見て、バランスを取るような、そんな立ち位置でチームを支えようと思ったんです」
 
1年生の時から、総合優勝を夢見て、そのためにマネジャーとしてチームを支えてきたという森谷。最後のインカレで連覇という目標を達成できたことが、何よりの喜びだったと話す。
 
「選手たちが頑張ってくれた結果、最後の年のインカレで、最高の景色を見ることができて本当にうれしかったです」

意見のぶつかり合いもあった。方向性が違うことで対立したこともある。だが、3人が口をそろえて話していたのが「それぞれ役割がハッキリしていた」ということと、お互いを認め、尊敬し合うからこそ出てくる「信頼していました」という言葉だった。
 
自分ができないことは、仲間が支えてくれる。だから、自分ができるサポートに注力すれば良い。そう思えるほど信頼できる3人がそれぞれの役割を最高の形で果たしたからこそ、チームを日本一に導くマネジメントができたのである。
 
「チームが日本一になるためには、マネジャーも日本一じゃないといけないと感じた1年でした。だからこそ、マネジャーが育つ環境づくりを念頭に置いて、選手とだけではなく、マネジャー同士もコミュニケーションを取れる環境をつくってきました。次世代のマネジャーには、それを受け継いでいってもらえたらうれしいですね」(森谷)
 
「ぶつかることもたくさんありましたけど、選手もマネジャーも全員が、自分たちは日本一のチームだという自覚がありました。何があっても目指す目標は同じだから、1つのチームとして頑張れたんじゃないかと思います。そういうチームをサポートできたのは幸せでした」(山﨑)
 
「これ以上に充実したことはないと思えるくらい、この1年間はとても充実していました。こんな経験、ほかではできません。最後まで信頼し合える仲間と戦えたことがうれしいですし、本当に素晴らしい選手たちがいたからこそ、私たちも裏方で輝けたのだと思います」(山本)

3連覇に向けて新たなチャレンジを続ける

1つの大きな目標を成し遂げた今、次に目指すのは3連覇である。そのためにも『自主創造』の精神を高め、自分たちが何をすべきなのかを考え、行動していく必要がある。
 
1つ、三木コーチから提案があった。”ドリームチーム”での強化である。実は今年のインカレの1カ月前、2泊3日という短期間ながら、スイミングクラブで練習する選手たちも合わせた、チーム日大としてチームビルディングを図るための合宿を静岡で行った。この効果は絶大で、三木コーチも「寝食を共にすることで、本当の意味でチームが一丸になった」と評価する。ただ、今回は短期間で強化というよりもチームビルディングに重きを置いたが、もっと長期間、強化期に行うことでさらにチームの絆を強固にするのではないかと言う。

「世界で活躍するような選手と一緒に練習すると、自分も頑張ろうとか、負けたくないとか、そういう強い気持ちが生まれます。そうすればもっとチーム全体のレベルが上がるはず。さまざまなところから協力をもらわないといけませんけど、ぜひ実現してみたいですね」
 
水の覇者・日大は、新たな挑戦へと突き進む。『自主創造』を胸に刻み、歩みを続ける。

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