2024年シーズン、26年ぶりの日本一に輝き、今季は「横浜奪首」をスローガンに、1998年以来となるセ・リーグ優勝をめざしているプロ野球・横浜DeNAベイスターズ。実はチーム内に4人*の日大野球部OBが在籍し、それぞれの立場と役割で、躍動する若いチームの勝利と成長を支えている。
そのうちの1人が、ベイスターズ移籍3年目となる京田陽太内野手(法学部卒)。かつての新人王もプロ9年目を迎え、中堅からベテランと呼ばれる域に入ってきた。昨年は移籍後最多の101試合に出場、オフには取得した国内FA権を行使せずに複数年契約を結び、背番号も98から9に変更して心機一転。チームの勝利へどう貢献していくのか、その答えはプレーで示していくつもりだ。
(取材:3月13日/横浜DeNAベイスターズ ファーム本拠地「DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA」)
*桑原義行2軍監督、村田修一野手コーチ、堤内健打撃投手、京田陽太内野手
チームのために 与えられた場所で戦う
2022年のオフ、ドラフト2位で入団して6年を過ごした中日ドラゴンズから、トレードで横浜DeNAに移籍した京田。ここ2年間は出場試合数こそ100前後を数えたが、守備固めや代打としての起用も多く、先発ラインナップに名を連ねることは決して多いとは言えなかった。しかし、取得したFA権を行使せずに残留を決めた京田に、球団が複数年契約を提示したのは、その経験と野球に対する姿勢を評価した期待の現れなのだろう。
「トレードが決まった時は、自分の力を発揮するチャンスを球団に頂いたので、しっかり期待に応えて、恩返しをしようという気持ちでいました。横浜に来て3シーズン目になりますが、そこは今でも変わらず、チームのために力を尽くしたいという思いがあります」

横浜に入団して感じたことを聞くと、「野球をする環境が12球団でも一番だと思うほど、すごいと実感しています」と答えた京田。
「施設もすごいですし、フィジカルトレーニングの面でも専門的な方々が多くいます。自分の体の疲れを数字で見られるようなデータ分析の面でも最先端を行っているように思えます。寮の食事も力を入れてくださっていてすごい。野球をする環境としては最高の場所だと思いますし、これで上手くならない理由はないですね(笑)。仕事場としてこれだけの環境を整えてくださっているのは、本当に有り難いと思います。何より、現場だけじゃなくてスタッフすべてが同じ方向を向いていて、会社全体で強くなろうっていうのをとても感じます」
そうした中、開幕まであと2週間(取材時)。ここまでオープン戦では打撃でも好調を維持しているが、「調整と言っているような立場ではないので、どんどんアピールしていかないと」と、一軍切符をつかむために気を緩めることはない。
中日時代と大きく変わったのが、ポジション。高校・大学、そしてプロ入り後も、軽快かつ堅実なフィールディングがセールスポイントだった京田の主戦場は、ずっと遊撃だった。中日では守備についた694試合で遊撃以外を守ったのは中日ラストシーズンの1試合だけ(二塁手)。しかし、横浜に移ってからは遊撃のほかに、一塁・三塁で起用されることも増えている。横浜には、二遊間を守れる伸び盛りの若手内野手が多いこともあり、試合出場のためにユーティリティの役割を受け入れている。年齢と経験を重ね、考え方も柔軟になってきたのだろう。
「ショートはやっぱりずっと守ってきたポジションなので思い入れはあります。でも、チームの勝利に貢献できるのであれば、与えられた場所で頑張るだけなので、どこで出てもいいように、しっかり準備をして試合に臨みたいと思っています」
勝ちへのこだわりを大学で学んだ
京田が日大に入学した当時、野球部は東都リーグの1部と2部を行ったり来たりしている状況だった。チームの主力として、苦しい時期を乗り越えてつかんだラストシーズンでの1部優勝。当時のレポート記事によれば、その時、京田はチームをまとめてきた主将と抱き合い、涙を流したとある。それだけに勝利することの厳しさと喜びが体に染み付いているに違いない。
「僕は在学中に2部も1部も経験させていただいて、勝つ喜びを知ることができたと思います。プロ野球と違って大学野球は負けを許されないですし、勝たないと評価されない。ですから、去年の横浜もそうでしたが、“勝つ”ことへのこだわり、執着心というのは大事だと思うし、それを大学の時に学べたと思っています」
2連敗からの4連勝で、福岡ソフトバンクホークスを破り頂点に立った日本シリーズ。プロ入り後、初めて味わう「優勝」だったが、優勝が決まった試合ではベンチ外だった京田。悔しい思いもあったはずだが、その時のことを淡々と振り返る。
「野球はチームスポーツなので、その試合に出るとか出ないとかは自分で決められないものですから。もし、また同じような状況になったら、その時はしっかりグランドに立てるように頑張りたいと思います」
その言葉の奥に、静かな闘志が感じられた。
2016年大学4年時の秋季リーグ戦で12年ぶり23回目の優勝を飾り、試合後チームメイトに胴上げをされた。
ベイスターズのファーム対日大の試合前、片岡昭吾野球部監督(中)、村田修一野手コーチ(右)と談笑する京田選手。
もう一度、横浜の街をパレードしたい

ライバルたちとの熾烈なレギュラー争いに身を置く京田にとって、今シーズン、横浜に復帰した日大OBの村田修一野手コーチは、果たして強い援軍となるのだろうか。
「大学の大先輩でもあるし、すごい頼もしい方が来てくれたなと思っています。チームもそうでしょうが、僕自身とてもうれしいです。指導といっても、強制されるわけではないし、聞いたら教えてくれるという感じですね。もちろん、自分で考えるということも増えました。プロ野球というのは自分で考え、自分で結果を残していかないと、どんどんチャンスがなくなってきますから、本当に困った時に助けてくれる方がいるっていうのは、とても心強いし、選手からするとやりやすい環境になったなと感じます」
最後に個人としての目標について尋ねたが、「数字的な目標は特に考えていません」と一言。
1,000試合出場(あと106試合)、1,000本安打(あと256本)という節目の数字を挙げても、「年齢的にも、数字をああだこうだ言っても仕方ないし、記録的なものはあまり気にしていないですね」と興味を示さない。
「それよりも、やっぱり去年成し遂げられなかったリーグ優勝をしたい。僕の中では、とにかくチームが勝てばいいし、その中の1ピースになれるように頑張っていきたいです」
さらに、続けた京田の言葉に熱がこもる。
「日本一になったあの瞬間は、特別なものでした。そして、優勝パレードにすごい多くの方が集まってくださって、喜んでいただきました。バスの上から見た、あの光景が忘れられません。リーグ優勝して、日本一になって、またあのように皆さんに集まってもらってパレードができるように、頑張りたいと思います」
昨年の日本一に驕ることなく、37年ぶりのリーグ制覇に向けて今シーズンの戦いをスタートさせた横浜DeNAベイスターズ。優勝の歓喜をグラウンドで味わい、横浜の街をパレードして、大勢のファンと喜びを分かち合うこと。それが今シーズンの京田の原動力なのだ。
オープン戦の合間のオフ日に関わらず、取材のために横須賀まで足を運んでくれた京田選手。取材後は、横須賀スタジアムのスタンドから、ベイスターズ対日大の試合を観戦し、母校の後輩たちのプレーに熱視線を送った。日頃から日大の試合はネットやSNSを見てチェックしており、「みんな頑張ってやっているので、自分も頑張らないといけないと思っています」。
Profile
京田陽太[きょうだ・ようた]
1994年生れ。石川県出身。青森山田高卒。法学部卒。日大では大学1年時からベンチ入り。4年時は主将を務め、秋のリーグ戦では打率.328、盗塁11個で12年25季ぶりの優勝に貢献し、ベストナインも獲得。2017年にドラフト2位で中日ドラゴンズに入団し、レギュラーとして活躍。同年のセ・リーグ新人王を獲得した‘23年にトレードで横浜に移籍。堅実な守備とスピード、シュアな打撃を武器に、若手とのポジション争いに挑む。