2024年シーズン、26年ぶりの日本一に輝き、今季は「横浜奪首」をスローガンに、1998年以来となるセ・リーグ優勝をめざしているプロ野球・横浜DeNAベイスターズ。実はチーム内に4人*の日大野球部OBが在籍し、それぞれの立場と役割で、躍動する若いチームの勝利と成長を支えている。
そのうちの1人が、昨年11月に2軍監督に就任した桑原義行(法学部卒)。横浜ベイスターズ(当時)に入団するも7年後に現役を引退、球団職員として再出発し多様な業務を担当してきた。だが昨秋、指導者経験がないまま2軍監督に就任することが発表され、“異例の人事”として注目を集めた。桑原はなぜ監督となり、何をめざすのか、その熱い思いを聞いた。
(取材:3月13日/横浜DeNAベイスターズ ファーム本拠地「DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA」)
*桑原義行2軍監督、村田修一野手コーチ、堤内健打撃投手、京田陽太内野手
企業人としての経験を活かした監督になる
日大3年の春に、打率.489で東都リーグ首位打者にも輝いた桑原。2004年秋のドラフト会議で横浜の8巡目指名を受け、同ドラフト1位指名で同期のエース・那須野巧投手(文理学部)とともに入団。俊足巧打の外野手として活躍を期待されたが、度重なる怪我もあって一軍に定着できず、‘11年を最後に選手生活の幕を閉じた。
引退後は、ベイスターズジュニアチームのコーチを皮切りに、2軍マネージャー、人材開発・育成部門を経て、’23年11月からハイパフォーマンス部部長に就任。「野球選手の体づくりと、アスリートの体づくりを両立させ、その先にスーパー野球選手をつくること」を目的に、トレーニングのクオリティ向上に取り組んできた。

「ずっと野球一筋でやってきて、第二の人生を球団職員としてスタートさせ、社会人としていろいろ学んでいく過程で、チームにイノベーションを起こしていくポジション、役職に就かせていただきました。先輩や上司の方に指導していただき、多くのことを学びながら、手探りでチャレンジしてきましたが、プロ野球チームでこういうことをやっているところはなかったので、先頭に立って走っていただけです」
当時、桑原は「元プロ選手がトレーナーのカテゴリーのトップに就いているのは異色だと思う」と語っていたが、その1年後、球団はさらに異例の人事を発表。現場でのコーチ経験のない桑原を、空位となっていた2軍暫定監督として10月の「みやざきフェニックス・リーグ」で指揮を執らせ、11月には正式に2軍監督に就かせた。
「プロ野球の監督には、そう簡単になれるものではない。監督をやりたい人は大勢いるだろうし、2軍とはいえ、こんなチャンスはなかなかないことなので、これを受けない理由はないなと思いましたし、迷いは一切なかったです」と、その時の心境を振り返った桑原。指導者の経験はないものの、企業という組織の中で培ってきた経験が、その背中を押すものになった。
「ベイスターズは“人を育てる”ということに重きを置いています。人を育てるし、自分も進化していくことを実践していく中で、人を育てることの根本を学び直したというか、人材育成の本質というものを人材開発の部門で仕事をしながら学ばせていただいたことが、とても大きな力になっています」
さらに、新たな一歩を踏み出すにあたり、監督を任せられることの意味を理解した。
「プロ野球の監督というと、監督になった人が好きなように組織を形成して、方針も出していいよという感じに思われがちだし、多くのファンの方もそう思っていらっしゃるでしょう。しかし、本質のところは、球団経営や球団の方針に沿ってビジョンを打ち出していくというのが非常に大事です。ですから、僕が監督に指名された時も、それをやればいいんだなというふうに思いました。経営側に携わらせていただいて、チームの方針や方向性も理解していたので、それを現場で実現する−−経営側から現場に降りるのは結構大変なことではあるんですが、その乖離をなくしていき、現場で方向性を示せる人間が必要だと思ったし、それを僕がやればいいんだなとすぐに思考が結びついたので、やってみようと思いました」
いつか僕の言葉を理解してくれれば
迷いがなかったとはいえ、グラウンドレベルで指導する側の立場になることに不安はなかったのだろうか。
「僕は、あまり不安を感じないタイプなので、とりあえずやってみようかと(笑)。技術指導は優秀なコーチの皆さんにお任せしていて、僕は人間性の部分や取り組み方、考え方などについてよく話をしています」

そのため、桑原は選手たちとのコミュニケーションを大切にし、選手への声掛けを意識・実践しているという。
「試合で使われる、使われないというところで、僕に対していろんな思いを抱く選手もいると思いますが、とにかく選手たちに声を掛けて、彼らの存在を承認する。レベルが違えども野球選手として存在しているので、リハビリをしている選手から1軍に行っている選手まで、ここのグラウンドにいる時は、なるべく1人に1日1回声を掛けようと思っています。監督からの一言は、選手にとっては案外重いものですし、監督から声を掛けられるということで、彼らの承認ボタンが押されて前を向いてくれたらいいかなと、そこを意識してやっています」
それでも、自らの経験から、その言葉に即効性を期待するものではないことも承知している。
「高校時代・大学時代の監督・コーチに言われた言葉の意味を、数年後に『あの時言っていたのはこれか!』と気づくことが多い。ですから、野球選手のうちに僕の言葉がきっかけで花開いてくれればそれは幸せなことですが、今すぐその人を変えようとか、選手に気づいてもらおうというのではなく、いつか僕の言葉を思い出してくれたらいいなというくらいのスタンスで問い掛けています。野球が終わった後の人生の方が長いですし、選手たちの中には指導者になって野球を伝えていく側になる人もいるので、その時に僕の言葉が心に残っていて、同じように問いかけてくれればいいかなというくらいですね」
監督就任から4ヶ月、新たな発見や心境の変化などを問うと、「任せることの大切さを知ることができました」と、自らの成長を口にした。
「実は僕は、自分で仕事をサクサク進めてしまうタイプで、人に任せられないというところが、これまでの経験としてありました。しかし、監督になってからは、技術指導については歴戦のスーパースターの方々に任せた方が選手も納得するだろうし、体のことはトレーナーに任せたほうがいい。人に任せないといけないんだなというように、自分のマインドセットが変わりましたし、そこは非常に良い経験させてもらっています。人を信じて任せていいんだという考えを持てるようになったことは、僕にとって非常に大きい。何より、ベンチで采配を振るう僕の両脇を、優秀なコーチたちが固めてくれているという安心感がありますし、とても楽しくてうれしいなと日々感じています(笑)」
「日常的にお世話になっています」という日大の先輩でもある村田修一コーチ(左)をはじめ、選手・指導者として実績のあるコーチ陣が揃い、桑原監督を支える。
オープン戦で対戦した日大の選手たちについて、「野球に取り組む姿勢や、グラウンド外での挨拶なども非常にしっかりしていていいなと思った。ちょっと安心しました」と称賛。
人材開発に携わっていた時代に、組織作りや人材育成のリーダーシップ、フォロワーシップなどについて専門家から徹底的にレクチャーを受けた。「そこで得た知識や経験が、今、このポジションを張っていくために非常に役に立っていると思います」
“球界をリードするベイスターズ”の文化をつくっていきたい
桑原の話を聞いていると、監督という仕事も、組織の進化のためにあるように思える。指導者のキャリアがないことを強みに変えて、従来に捉われないイノベーションを推進し、それを楽しむかのように。
「新米監督なので、グラウンドレベルでの意思決定が遅かったり、瞬時の判断は現場でコーチをやられてきた方に一日の長があると思います。それでも『これどうしましょう、これでどうしますか』と、いろんな判断を求められてきますが、僕はトップダウン型の監督ではなく、ボトムアップ型であったり、最近で言えば、サーバント型とかいろんなリーダーシップのスタイルがあるように、従来の野球界にあるリーダーシップの形を逆転させるような監督像を体現できればいいかなと思っています」
さらに、日本大学が推進している「人間力の育成」について話を向けると、「人間力と言う部分は、まさに今、日本の野球界が向き合わなければいけないところだと思います」と大きくうなずいた。
「球団の育成会議で選手をどう育てていくか話し合っていく中で、最終的に議題に上がるのが人間性や人間力に触れる部分だったりするんです。あの選手は挨拶できないよね、言語化がうまくできないよねとか、そういうところも育っていかないと良い選手になっていかない。よく、若手選手が1月の自主トレの時に名選手に同行することがありますが、打ち方や投げ方を真似して帰ってくるだけなんです。そうではなくて、彼らが取り組む姿勢を真似するんだ、真似するところを間違えるなと、若い選手たちには言わせてもらっています」
最後に、今後の抱負を聞くと「せっかく監督をやらせていただいているので、1軍も2軍も優勝というところに貢献できればいいなと思います」と意気込んだ桑原。
その一方で、「これから先、横浜DeNAベイスターズが日本の球界を引っ張っていくためには、『横浜の選手ってこういう人が揃っているよね』と言われるように人間力を言語化し、体現していかないといけないと思っています。監督というポジションはそんなに長くはいられないし、長くやってはいけないと思っている。僕が監督をやっているうちに、『ベイスターズはこういうチームだよね』と言われるような文化を築き、後任の人に継承していければいいなと思っています」。
そして「その先で僕が何をやっていくかは、その時に考えればいいかなと思います」と笑った。
野球人であり経営人でもある新たなプロ野球監督像、その先駆けとなった桑原自身が、横浜DeNAベイスターズの実践するイノベーション。桑原の挑戦は、未来の野球界に何をもたらすのだろう。
大学時代、厳しい上下関係はあったが、「その中で学ぶ事は多くあったし、それは社会に出た今も非常に役立っていると思う」と話す桑原。4年時の春季リーグ戦では完全優勝を果たしたが、「絶対に負けられない試合にどう臨むか、みんなで技術的な準備ではなく、メンタル的な準備を徹底してやった。勝って当たり前と言うマインドで臨んで10連勝したことが1番の思い出」と振り返った。
Profile
桑原義行[くわはら・よしゆき]
1982年生れ。東京都出身。日大豊山高卒。法学部卒。高校3年の夏に甲子園出場。日大では2003年春季リーグ戦で首位打者を獲得したほか、ベストナインを3度受賞。主将を務めた4年時に全日本選手権で準優勝し、日米大学野球の日本代表に選出。‘04年にドラフト8巡目で横浜ベイスターズ(当時)に入団。プロ8年で1軍通算35試合、打率.311、1本塁打3打点。引退後は球団職員となり野球振興、2軍マネジャー、人材開発などを経て育成部長、ハイパフォーマンス部部長を歴任。’24年10月、前2軍監督の退団に伴い暫定監督を務め、11月から正式に2軍監督に就任した。