最下位に終わった今年の箱根駅伝。その悔しさを糧に巻き返しを図るべく、日本大学陸上競技部特別長距離部門は成長の鍵を握る夏合宿を、8月上旬から北海道釧路市でスタートさせた。

今季は全日本大学駅伝(11月2日)の関東地区選考会を突破するなど好結果も出しているが、チームの第一目標はあくまで箱根駅伝。さまざまな想いを抱いてハードな練習に取り組む選手たちに話を聞いた。

  (取材日:2025年8月15日)

もう一度、箱根を走って勝負したい

小路 翔琉(経済学部・4年)

小路 翔琉(経済学部・4年)

「自分では、あまり長い距離が行けるタイプではないと思っていたので驚きました」と、初めての箱根駅伝で「裏のエース区間」と呼ばれる9区を任された小路選手。「選んでもらった以上、しっかり走ろうと思って臨みました」

 

繰り上げスタートの可能性もある中、新雅弘監督には「自分の経験となるよう、好きなように走ってきなさい」と言われていた。戸塚中継所でピンクのタスキの到着を待ち侘びたが願いはかなわず、先頭の通過から20分後、繰り上げを意味する白と黄色のタスキを身につけてスタートした。鶴見中継所まで全区間最長の23.1kmを力走したものの、記録は区間19位。「慣れない環境の中で緊張してアップがうまくできず、自分の力を100%発揮できなかった」と、悔しさをにじませた。

 

それから7ヶ月、一時期ケガをしたものの、何とか間に合わせて夏合宿メンバーに滑り込んだ。これまでの3年間はケガに泣かされ参加することができず、「高校時代の3年間も夏合宿は故障者として過ごしてきたので、初めて“夏に走れている”という感じです」と笑う。

 

「ここまで順調に来ています」と状態も良く、ロードでの練習では集団の先頭を走ることも多い。「実力のある選手たちが、ケガのため前で引っ張れないというのもあるし、4年生として後輩に任せるわけにはいかないので、積極的に行こうという気持ちでやっています」と話す。

「練習は本当にきついけれど、すごく充実している。これまではみんなが頑張っているのを外から見ているだけでしたが、今は自分が頑張っている側なので、すごく気持ちがいい。チームの力になっていると感じます」

 

夏合宿では、「長い距離に対応するために距離を踏むこと」「苦手とする暑さに対応すること」をテーマとしている。また、通院している治療院の先生のアドバイスを受け、「胸を意識して腕を振っている」という。「胸を使うことで無駄な力を使わずに足を前に出すことができる。まだタイムは出ていませんが、フォームが馴染んできていると感じます」と言い、この合宿でさらに自分のものにしたい考えだ。

 

「遠回りこそが自分の最短の道だった」というアニメキャクターのセリフが最も好きだという小路選手。「3年間、だいぶ遠回りしてきたけれど、そのおかげで箱根駅伝を走ることができたと思う」と、その言葉に自らの境遇を重ね合わせる。

2度目の本戦出走へ向けて「予選突破を確実にできるような走りを目指す」と言い、「絶対的エースはいませんが、全員が同じぐらいの力をつけてきて、一致団結できるところがチームの強み。集団走の中で振り落とされないよう、後方を引っ張るために自分が前へ上がっていくことを意識している。そして全員が成績上位に入れたらと思っています」。さらに、「前回は走るだけで満足してしまった。今度はもっとレースの中で勝負をしたい。しっかり走って結果を出したい」と、箱根本戦に賭ける思いは熱い。

大舞台の経験をチームへ還元したい

山口 ⽉暉(法学部・4年)

山口 ⽉暉(法学部・4年)

異常な高温の中で行われた昨年10月の箱根駅伝予選会で、山口選手は熱中症にかかった。脱水症状でフラつきながらも気力でゴールを果たしたが、その影響は大きかった。

「予選会後、それまでできていた練習をこなせなくなったり、距離に対応できなくなり、非常に焦りました。正月の本戦に間に合わせられるかどうか、ものすごく不安だった」と、当時の心境を吐露。それでも、11月の記録会で復帰し、「10000mをタイム的にもまとめることができたので安心しました」。

 

迎えた箱根駅伝本戦は、2年連続で復路6区の山下り。しかし、本来は7区での出走が予定されていたというが、急遽6区を任されることになり、「気持ち的に動揺しましたが、自分しか走れる人がいなかったので、覚悟を持って臨みました」。

 

1月3日、トップがスタートしてから10分後に6校が一斉に復路をスタート。合図とともに勢いよく飛び出していったが、その後は思うような走りをすることができず、小田原中継所でのタスキリレーは19番目。「アップダウンの練習がしっかりできていなかったので、昨年の経験を上手く生かせなかった」と、タイムとしては前年よりわずかに速く走り切っているものの、悔しさの残る2度目の箱根駅伝だった。

その後は再びケガに見舞われ、「正月から5月の関東インカレ(3000m障害出場)まで、ずっと練習できませんでした」。その期間にしっかり練習を積めていたら、もっと成長できたかもしれないとも思うが、「これまで陸上競技をやってきた中で、今シーズンが一番苦しみを感じています」。そして自らを鼓舞するように言葉を続けた。「学生陸上のラストシーズンなので、みんなより出遅れている分、より強い気持ちをもって練習に取り組んでいくんだと、意識を高めていきたい。タイムは10000mで最低限28分20秒台。失敗が続いているハーフマラソンも、勝負していくなら61分台ぐらいは出さないといけない」

 

さらに、「まだ結果でチームに貢献できていない。3000m障害では個人で大きな舞台に立たせてもらっているので、その経験をチームに還元していきたい」と話す山口選手。「チームの士気を高めるという意味でも、練習で率先して先頭に立ち、ジョグでペースを上げていくなど、4年生としてチームを引っ張っていかなければいけないと、ものすごく感じています」

有言実行でチームを予選突破に導き、目指すは3度目の箱根出走。「できれば往路のスタートで勝負したい」という言葉の裏に、秘めた自信と闘志が垣間見えた。

ラストチャンスをつかんでみせる

滝澤 愛弥(文理学部・4年)

滝澤 愛弥(文理学部・4年)

「自分が思い描いていたのは、もっと華やかな大学生活でしたが、真逆な3年間になってしまったなというのが正直なところです」と、苦笑いを浮かべながら話した滝澤選手。中学時代は、サッカー部をメインとしながら、陸上部の大会にも出場。結果が出るようになり、楽しくなっていった。佐野日大高校から本格的に陸上競技に取り組み始めると、すぐに頭角を現し、駅伝や長距離種目で栃木県内はもとより関東・全国の大会でも好成績を収めた。

 

自他ともに期待する中で日本大学陸上競技部特別長距離部門の門を叩いたが、そこからの3年間は苦しみと葛藤の連続だった。

「1年目は、まだコロナ禍にあったし、故障や監督不在などがあって、やる気がなくなっていました。周囲に流され、自分にも負けて、ただチームをサポートしていただけ。そのツケが回ってきて、2年目・3年目に走れなかったと思っています」

 

2年生の時、チームは9年ぶりの箱根駅伝出場に盛り上がっていたが、メンバー選考には全く絡むことができなかった。「チームが出ているだけで自分は関係ない」と気持ちが入らず、同期の2年生が箱根路を走ったが、「悔しいという思いもなく、他人事の感じでした」。それでも2人の4年生から給水係としての指名を受け、「お世話になった先輩方に選んでいただいたことが、とてもうれしかった」と振り返る。

2年生の終わりごろから少しずつ自分の走りを取り戻してきたが、初めて参加した昨年の夏合宿は3日目に故障。以降は全く走れなくなった。それまでも競技をやめることを考えた時はあったが、「本気でやめようと思ったのはその時が初めて。両親にも、やめたいっていう気持ちを伝えました」。

しかし、自分は何のために走っているのかを考えた時に気づいた。家族や周囲の人たちが喜んでくれることをモチベーションとしていたが、「自分のために走っていなかった。大学での自分は何もできていない」と。

「最初に自分でやると決めたことは、最後までやりきりなさい」と、子どもの頃から厳しく母に言われてきたことも、前を向かせた。「もう1回、学年トップを獲りたい、もう1回やって見せる」と反骨心が生まれ、心は再び走りだした。

 

昨年の箱根予選会もメンバー入りはできず、本戦では2区の給水係と8区の選手の付き添いを担当した。「記録会でタイムが出ていたので、メンバー入りできるんじゃないかという期待もあった。そこで外れてしまったので、『これからを見とけよ』という闘争心がすごく湧いていました」と、その心の内は前年とは全く違っていた。

 

4年生となった今、滝澤選手はようやくその実力を発揮しつつある。4月の記録会で復活を印象づけると、5月の全日本大学駅伝の関東地区選考会では1組目の出走を任された。大学入学後初めての主要レースで、「きつさはあったけれど、あまり緊張することもなく、久しぶりにワクワクしました。表舞台に戻って来れたという気がして、少しですが、新しい自分を出せたかなと思います」と、言葉に喜びをにじませた。

「3年間、チームのために何もできなかった」という悔しさを胸に、学生ラストシーズンを悔いなく走るため練習に励む滝澤選手。

「3年間、チームのために何もできなかった」という悔しさを胸に、学生ラストシーズンを悔いなく走るため練習に励む滝澤選手。

自分なりに手応えを感じているものの、「まだどこか殻を破り切れていない。もう1段2段上がらないといけないというのを感じています。大きなインパクトを残すようなレースもできていない。もっとチームの起爆剤になれるような走りがしたいですね」と意欲的だ。

 

その一方で、「これまで継続した練習ができず、10000mやハーフマラソンでの成功体験がない分、少しビビってしまう」と言い、「垂れて(失速する)しまったらどうしようという恐怖があって、思い切り前に行けない。毎回8000m以降のペースアップに対応できない」という課題の克服をめざす。

 

苦悩した3年間を糧にして、「チームの頼りになるような走りをしたい」と挑んでいく学生ラストシーズン。「チーム内ではまだ下の方ですが、何としても箱根を走るという気持ちで、最後はしっかり勝ち取りたいと思います」と、中学時代に思い描いた夢に向けて、自分らしい走りを見せていくつもりだ。

2人揃って箱根を走るために

山口 彰太(スポーツ科学部・3年) 山口 聡太(文理学部・3年)

中学、高校(佐野日大高)と、ずっといっしょに走ってきた山口兄弟。大学では、昨年の100回大会では弟の聡太選手が1年生ながら16人のエントリーメンバー入り。今年の101回大会は兄弟揃ってメンバーに登録され、「双子ランナー」としても注目されたが、初めての箱根を経験できたのは、当日変更で10区を任された兄の彰太選手だけだった。

 

「走ることになった時は、少しバタバタしましたが、走るかもしれないという心構えはしていたので、レースにはすんなり入ることができました」という彰太選手は、「チームとしての結果が悪く、そういう姿を見せてしまったことに、応援してくださる方々に申し訳ないという気持ちでした」。そして「沿道の人の多さがものすごくて、今までのレースの中で一番多かった。そういう中で走ることができたのは、とても貴重な体験になりました」と笑顔を見せた。

 

本戦を前に体調不良となり、6区のサポート役に回っていた聡太選手も、人の多さに驚いたという。大手町に戻る途中で何区間か沿道から応援してきたが、「10区は本当に人が多すぎて、最初は前の方に近づくことができませんでした。ただ、上位のチームが通過したら急に人の数が減って、スッと前に入れたので(彰太選手に)声をかけることができました」。そして「大勢の方々が応援してくれているところを走れるって、やっぱりいいなと感じました」と悔しさもにじませた。

5月の全日本大学駅伝関東地区選考会では、1組目に聡太選手が出場。レース後半になって集団から抜け出して好位置をキープすると、そのまま流れに乗って40人中の7位でゴールした。この時ケガで走れなかった彰太選手が「チームがすごい盛り上がりましたし、後ろの組にいい流れを作ってくれました」と弟の力走を称えると、「昨年は1組目で20位に終わり、チームに勢いを作れなかった。今回は、しっかり流れを作れるようにと思い臨んだので、本戦出場権を獲れて(総合4位で)本当に良かったと思います」と、聡太選手も頬を緩めた。

 

自身の強みを「後半に粘り強いところ」(彰太)、「今はスピードが持ち味」(聡太)と話す2人。ふだんから仲が良いというが、「練習で競り合う時などは、ちゃんとライバル意識を持ってやっています(笑)」とうなずきあう。

「昨年より今年の方がきつい」と口を揃える夏合宿。彰太選手は「そろそろ楽しくなってきましたね」と笑みを浮かべ、「昨年は終盤に脚を痛めてしまったので、今回は最後までしっかりと走り切りたい」と気を引き締めた。また聡太選手は、「昨年、ポイント練習の際に遅れてしまうことがたまにあったので、今年は100%しっかり消化できるように意識しています」と胸を張った。

 

箱根予選会に向けては、「チームとしての力は絶対に上がっている。昨年の通過順位を上回り、本線でのシード権に近づけるような走りをしたい」と話す彰太選手。一方、昨年はチーム11番手に終わり、「何も貢献できなかった」という聡太選手は、「この夏をケガなく乗り越え、その後も練習をしっかり積んで予選会に臨みたい。チームに貢献できる走りと、個人の結果にもこだわっていきたいと思います」と力強く語った。

 

根駅伝の本戦を走るという目標は同じだが、兄は「今回の悔しさを晴らしたいので、もう一度10区を走りたい。しっかりシード権を獲って笑顔でゴールテープを切りたい」と言い、弟は「1区か3区。力がついてきたと思うので、上位の大学の選手たちと戦って、チームにいい流れをもたらしたい」と意気込みを見せる。「2人でタスキリレー」という夢は、もう1年先になるのかもしれない。

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