我、プロとして

Vol.13 松本将史 氏【前編】
株式会社 能水商店 代表取締役(2001年生物資源科学部海洋生物資源科学科卒)

卒業生
2021年05月07日

魚醤「最後の一滴」が一人歩きして
新潟県立海洋高校が話題になった

市場価値の低い1万匹もの遡上サケを、もっと活かせる術はないか。教育の一環として始まった商品づくりが、やがて事業になり、地域の課題解決へと繋がっていった。
前編では、川に上ってきたサケの一生の“最後の一滴”を活かす、松本さんの足跡を追いかける。

衝撃だった能生川の光景

「これはどうにかしなきゃ、と思いましたね」

新潟県糸魚川市で株式会社「能水商店」を営む松本将史さん。つい3年前まで、地元の海洋高校で水産の教員として教鞭を執っていた。

本学生物資源科学部の卒業後、神奈川県立三崎水産高校の講師を経て、故郷・新潟で2002年度教員採用試験に合格し、Uターンを決めた。

驚いたのは、赴任した糸魚川市にある県立海洋高校の近くにある能生(のう)川で見た光景だった。

能生川には、当時、秋になると1万匹近い産卵期を迎えたサケが遡上してくる。地元の漁協では、その鮭たちの卵巣(イクラ)だけ取り出して、値のつく大型の魚体以外は産廃扱いされていた。ここでは当たり前の光景だった。

しかし、小さい頃から三度の飯より釣りが好きだった松本さんにとって、獲った魚は必ず最後まで食べるのが、父から教わった作法。自分もずっとそうしてきた。だから、どうしたら放置されているサケを活かせるかを、考え、動いた。

開発商品第1号となった鮭とば「すもう君サーモン」

開発商品第1号となった鮭とば「すもう君サーモン」

「自分だけでなく生徒と一緒に、海洋高校にある食品科学コースの実習で、市場価値の低いサケを利用するための基礎研究や商品開発を行ったんです。地域の課題に生徒たちが関わりながら解決していくってこと自体、面白い取り組みでしたし、良い学習をさせて頂ける絶好の機会」

と、研究、開発を続けた結果、商品化するには最大の課題であった遡上サケ独特の臭いを抑え込むことに成功。2007年にお酒のお供、「鮭とば すもう君サーモン」が完成し、地元企業の協力を得て商品化した。松本さんが最初に行った産学プロジェクトだ。

嬉しかった反面、次の課題もみえた。鮭とばにするには、原料となる魚体のサイズや成熟度を選ぶため、使えるサケは限られた。

1万匹の遡上サケを、もっと活かせる術はないか―。

松本さんは生徒たちとさらに研究を続け、2010年にさしかかる頃、第2弾となる商品を「魚醤(ぎょしょう=魚の醤油)」に絞り始めた。

研究とオープンシェアで見えた光

その頃から授業だけでなく、“遡上サケを利用した商品作り”は、課外活動としても稼働しはじめた。

「授業としてやっていると限られた時間しか取り組めないので、教員がある程度、お膳立てしたところに生徒が来て、6時限目で終わらないといけない。私が教えていた水産加工で言えば、生徒は魚をさばくってことだけやって、前後の原料の調達とか調味料を買いに行くとかっていうことは一切やれない」

しかし、それでは仕事全体の一部しか捉えていないため、実社会に出たときに本当に戦力になっているかどうか、と疑問が湧いた。だから、クラブで活動を始めた。すると、原料調達などの事前の準備から後片付けまでを、一定の時間のボリュームを経験できるようになったことで、生徒たちはたくましく成長し始めた。

生徒の成長に、松本さんも負けてはいない。商品化を魚醤に絞ったとたん、舞い込んだ朗報に食いついた。

松本さんが2011年9月から翌年3月までの半年間、東海大で研究した内容を記したポスター発表用資料

松本さんが2011年9月から翌年3月までの半年間、東海大で研究した内容を記したポスター発表用資料

通常の魚醤作りには、塩しか使われず、1~2年かけて発酵させる。ところが、新潟県の水産海洋研究所と食品研究センターがタイアップし考案した魚醤作りは、醤油の麹(こうじ)を使って発酵を促進させる画期的な製法だった。しかも、このアイデアを県は広く県内の事業者に活用してほしいと、提供情報があったのだ。今流行りの“オープンシェア”だ。

麹の中にはタンパク質を分解する酵素があり、酵素が魚の旨味を短期間で生み出す。早速、このアイデアを取り入れた。

そして、ほぼ時を同じくして、教員内地留学制度を活用し、静岡にある東海大学海洋学部に行って、半年間、遡上サケを魚醤として商品化するためのハードルとなっていた“臭み”の成分を徹底的に研究した。

完成した「最後の一滴」

最後の一滴パッケージデザインは、

パッケージデザインは、2016年「GOOD DESIGN」賞を獲得した

2012年3月に研究先の東海大学から戻り、行く前に仕込んでおいた麹を使った魚醤を味見してみた。サケの肉だけとか、頭と肉とか、内臓も入れてみたりとか、仕込み方を考え得るすべてのパターンで「どの組み合わせが一番美味しいか」を検証した。

一番美味しかったのは、サケの頭から尾までをすべてミンチにしたモノだった。ちょうど良いサケの風味と醤油のコクを合わせ持った、絶妙な味わいが口の中に広がった。心配した臭みも、麹の効能で見事に抑えられた、これまでにない逸品ができあがった。

「これでいこう」

そこから商品リリースまで約1年をかけ、2013年8月、ついに海洋高校発の遡上サケを使った魚醤「最後の一滴」が販売された。

「最後の一滴」のネーミングは、生徒が付けた。川に上ってきたサケの一生の“最後の一滴”であること、パスタやチャーハンの旨味隠し味としての“最後の一滴”に、と二つの意味を込めた。パッケージも、ラフ案を生徒がつくり、地元の代理店や商工会議所の経営指導員と相談しながらつくり上げた。

販売は、市内の観光施設からスタートした。ほどなくして、少しずつ地元飲食店でも使ってもらえるようになった。メディアでも取り上げられようにもなり、年が明けた2014年には年間で2,400本を売り上げた。

一方で、「海洋高校」のPRも兼ねて、首都圏での販売イベントに参加する機会も増えていった。高校で広報も担っていた松本さんは、当時、“定員割れ”だった海洋高校に生徒を集める一つの方策として、授業で行う魚醤作りが呼び水となってくれるのでは、と考えていた。

「商品が一人歩きして、こういった学校がここにある、ということを知ってもらっているっていうところだと思います。潜在的に、船や海や魚が好きな子っているんですよね。そういう子たちに、われわれが作った商品を通じて、海洋高校の存在が情報として届くようになった」

2015年12月には、日本テレビ系列「満点★青空レストラン」で取り上げられて、地上波で全国放送された。すると、翌年4月には、遠隔地から来る生徒が1.6倍以上に増えた。

そして「最後の一滴」の売上本数は、前年の7倍近い1万6000本を数えるまでに増加した。

(中編に続く)

<プロフィール>
松本将史(まつもと・まさふみ)

1978年12月12日、新潟県新潟市生まれ。2001年生物資源科学部海洋生物資源科学科卒。新潟県立巻高校時代は山岳部。本学では、サークル活動で漁業学学術研究部(漁研)に所属し、釣り好き仲間と全国を縦断。
本学卒業後、新潟県立海洋高校の水産教員として赴任。市場価値の低い産卵期サケを有効利用した魚醤「最後の一滴」を(一社)「能水会」(=海洋高校同窓会)として商品化。
2018年、16年間務めた海洋高校を退職し、自ら設立した(株)「能水商店」の代表取締役となる。ドイツ発祥の職業教育制度「デュアルシステム」をモデルとした「糸魚川版デュアルシステム」を考案し、自社で実践している。