父が生きてきた道を写真で伝えたい

中西裕人 氏(2002年文理学部史学科卒)写真家 【後編】

卒業生
2021年10月07日

ともに本学を卒業した両親に、自分の好きな道を探せと言われ、自由に育てられたという中西裕人氏。大人になりプロの写真家となって、改めて父・裕一氏が追い求めてきたことに興味を抱いた。生涯をかけて研究してきたギリシャ正教の聖地に中西氏が同行して撮った写真を、父も喜んでくれている。

父が単行本『ギリシャ正教と聖山アトス』(幻冬舎)を刊行したのとタイミングを合わせ、今年7月末から「死は、通り道」と題する写真展を開いた。

両親と3人兄弟、家族全員が付属校から本学へ

両親と兄弟との家族写真。

両親と兄弟との家族写真。それぞれが父と同じように自分の好きな道を選んだ(中西氏提供)

中西氏は男ばかりの3人兄弟。両親は日本大学櫻丘高校・本学文理学部の同級生で、子供は3人とも日本大学鶴ヶ丘高校から本学に進んだという、絵に描いたような日大一家である。両親は特に付属校や本学への進学を勧めたわけではなく、好きなことをやれと言っていたそうだ。そして中西氏は文理学部史学科、兄の崇人氏は文理学部ドイツ文学科、弟の宣人氏は芸術学部音楽学科に進んだ。

両親に話を聞くとこんな言葉が返ってきた。

「主人は毎年ギリシャに3か月行ったり半年行ったり。夏休みはだいたい行っていてほとんど留守でした。父親が自由人なので、これをしろといっても説得力がないから(笑)、好きなことを早く見つけてそちらに進みなさい、という方針でした」(母・庸子氏)

「日大はいろいろな道に行けますからね、息子それぞれが選んで好きな道を進んでいると思っています」(父・裕一氏)

兄の崇人氏は一般企業の営業マンになっている。一方弟の宣人氏は好きな音楽の道に進み、東京大学大学院で博士課程(学際情報学)を修了、楽器デザイナー、サウンドデザイナーとして活動し、「B.O.M.B」「POWDER BOX」など独自のデジタル楽器をいくつも開発、それらを用いた演奏活動を国内外で行うなど多角的に活躍している。

「とくに父には何をしろと言われたことはないです。論文の発表を断った時だけは『そんなチャンスはないからやった方がいいぞ』と言われましたが、それ以外は勉強しろとも言われないし、『好きなことをやればいい、ただし自分の責任だぞ』という姿勢でした。父が自分の好きなことをずっとやってきたので、私もそれを見て同じことをしているのかなと思います」

と中西氏は笑う。母・庸子氏は文理学部体育学科を卒業後銀行に勤めたが、長男を産んでからは専業主婦として3人の子を育ててきた。

「母は父がしばしばギリシャに行くことについても、『好きにすれば』『自由に行ってらっしゃい』という感じでした。あの母じゃなかったら父も自由に行けなかったと思います(笑)」

カメラデビューのきっかけも父だった

両親との写真

両親と。飾られているのはギリシャ正教の宗教画であるイコンで、母・庸子氏が描いたもの

父とアトス山に足を運ぶようになって、改めて父の凄さを理解できるようになったと話す中西氏。今回の写真展「死は、通り道」では、父がなぜアトス山に通い続けたのかを表現できるような写真を選んだという。

「父がやってきたことを伝えたいという、使命感のようなものもありますね」

一方、父・裕一氏はこう話す。

「裕人は最初にギリシャに行ったとき、こんなことをしているのかと驚いていました。それからだんだん自分なりにその世界の深さに触れていったんだと思います。私としては今までは言葉で示すか書くしかなかった。あんな写真撮れないですからね。私が関わっている世界をアピールするにはすごく助かっています。彼にとってもこれまで以上に注目してもらえるような写真を撮ることができて、とても良かったと思いますね。写真によって女房もより理解できるようになったし(笑)」

中西氏の写真は、家族をも喜ばせることができた。

家族の話をするうちに、中西氏はこんな思い出を語った。小学校6年生のとき、父が再び1年間ギリシャに滞在した。高校アメフト部の部活動が忙しい兄以外の家族で夏休みを長く取ってギリシャを訪れ、父の運転する車でヨーロッパ各国を旅して回った。

その旅行中は父が新しく買ったビデオカメラでの撮影を担当したため、中西氏はカメラを任された。

「今話していて思い出したのですが、帰ってきてから、神殿を逆光で撮った写真をいとこが見て、きれいだから欲しいというのでプリントしてあげたんです。考えてみればあれがカメラデビューですね」

自分の写真を人が喜んでくれた最初の経験は、実は小学生の時だったことになる。そして偶然かも知れないが、カメラに目を開かせてくれたのも父だったということに。

ギリシャの人々にも喜んでもらえた写真

初めてアトス山を訪れた翌年の2015年からは、何度か写真展を開いてきた。そして「撮った写真をギリシャにも返したい」と思っていた中西氏に、絶好の機会が訪れたのは2019年のこと。世界各国で日本の文化を紹介するジャパンウィークという催しがアテネで開かれ、茶道や華道、武道などに混じってやや異色だったが、中西氏のアトス山の写真も展示されることになった。大きなホールに1日何千人もが訪れた。

そこではギリシャの人たちにも喜ばれた。女性に「私たちは一生行けないところを撮ってきてくれてありがとう」と涙ながらに感謝されたり、毎日通ってきた学生に最終日に写真をあげたら喜ばれ、お返しに聖書をもらったりした。その機会に両親もアテネを訪れ、何十年かぶりの夫婦旅行にもなった。今後は定期的にギリシャで写真展ができる方法を探したいと中西氏は考えている。

2017年に刊行された初めての写真集『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』の表紙画像

2017年に刊行された初めての写真集『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』

2017年に写真集『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』(新潮社)を出版した。飛び込みでいろいろな出版社に電話をした中で、新潮社の編集者に会うことができた。最初は「今は写真集が売れないので難しいと思うが、一度作品を見せて欲しい」ということだったが、「こういう写真が足りない」というようなアドバイスをもらい、それからは何度か足を運んで新しく撮った写真を見せてきた。当時、展覧会に訪れたライターを通して依頼され、キリスト教のニュースサイトに連載していたアトス山についてのコラムが決め手になった。

「編集の方に何度目かに会った時に、『あのコラム見たよ。あの体験談と写真を合わせればいけるかもしれない』と言っていただき、実現することになりました。名刺代わりにもなるので、写真集を出せたことは大きかったですね」

アテネで行なった写真展を最後に、コロナ禍のためギリシャには行けなくなっているが、収束したらまた年に数回は足を運んで撮り続ける予定だ。

「今後は、修道士たちが祈りの場以外の場所でどんなことをしているのか、どんな表情をしているのかも撮りたいです。修道院に泊めてもらうと、そこでは作業姿だったりするのですが、でもこういう姿は撮ってはいけないのかなと思っていました。本当は撮りたいけど、まだそこまで自分も入り込めていなかった。だから今後長く通い続けて、人間関係を築きながら撮っていくということがテーマになると思います」

<プロフィール>
中西裕人(なかにし・ひろひと)

1979年6月14日生まれ。東京都出身。2003年文理学部史学科卒業。
2003年から2005年まで外苑スタジオ勤務。2005年より雑誌『いきいき』(現『ハルメク』専属フォトグラファーとして、文化人、芸能人、ファッション、料理、商品など撮影全般に従事。2015年に独立し、中西裕人写真事務所設立。
現在、雑誌、書籍、広告、Web、動画の各分野で活躍中。