勇気の宝物をもらった東京五輪

インターナショナル審判員・天野安喜子さん(1993年文理学部体育学科卒)【後編】

卒業生
2021年11月18日

「柔よく剛を制す」「逆らわずして勝つ」。
柔道の礎となった柔術を、柔道の祖・嘉納治五郎氏はこう表現した。
困難にも逃げず、本質に向き合う。
嘉納氏の生き様のような柔道の考えを体現している天野さん。
後編では、成長を実感できた運命の一戦と、審判としての矜持に迫る。

世紀の一戦で得た確固たる自信

「娘が一緒にお酒を飲めるようになって」。最近の天野さんの楽しみだ

「娘が一緒にお酒を飲めるようになって」。最近の天野さんの楽しみだ

東京2020オリンピック開幕から、さかのぼること約7カ月前の2020年12月13日。

柔道の祖・嘉納治五郎氏に見守られるように聖地・講道館の畳で行われた、男子66キロ級・五輪代表決定戦。

競技時間4分をはるかに超える24分の熱戦となったこの試合を、両選手に厳しい視線を向け、裁いたのが天野さんだった。

「あの時は、代表決定戦をやるらしい、という噂が流れてきて、国内には私を含めて国内S級ライセンスを持った審判員が24、5人いて、もし自分に声が掛かったらと皆思っていたと思います」

史上初の一発勝負で代表が決定されるという異例の試合。兄妹での五輪出場に注目が集まる阿部一二三選手(パーク24)と、対戦成績では上回る丸山城志郎選手(ミキハウス)との世紀の一戦は、テレビ局の番宣も相まって、メディアでも大きく取り扱われた。

「あの試合を裁いたことによって、どういうリズムが選手にとっても、私にとっても良いと感じているのかが、基準のような、柱のようなものが定まったんです。試合直後は分からなかったんですが、翌月の試合で久しぶりに試合に立った時に、『あっ(裁くのが)怖くない!』ってぶれない自分を実感しました」

選手2人の得意技やクセも、長年見てきたからこそ、勝負が精神的な紙一重の勝負になると、試合前から感じていた。案の定、試合は延びに延びて、史上最長の24分。最後は、阿部が丸山を押し込んで脇腹を床に着かせて、技ありで勝利した。

しかし、天野さんが技ありの判定をした後、副審から念のため映像でも確認したいと声が掛かった。

「私はぜひ、チェックしてほしいと思ったんです。選手たちにとってはこの試合が全て。もし判定が誤っていても私がペナルティーを負うだけで、選手たちが求めているのは正しい評価。もちろん、『技あり、阿部選手』と言った時には、私の中で最善の判定でしたが」

結果、判定は正当とされ、丸山選手からは「悔いなく試合ができました」と言ってもらえた。

競技ルールの3本柱と「礼」

他の競技と同様、柔道でもオリンピックの大会ごとに、ルールの見直しがなされる。

天野さんは、前回の2008年北京大会から比べると、今大会は日本人柔道家にとって、有利になってきていると言う。

「審判員はルール変更に順応できるよう、柔軟性が必要です。現在のルールでは、私の中では3本柱という表現をしています」

一つ目は、しっかりと「組み合う」こと。
二つ目は、「場内で戦う」こと。
三つ目は、「技を掛け続ける」こと。

例えば、試合中、相手から離れてばかりいたなら「組み合っていない」から1つ目がダメでペナルティー。なかなか技を掛けなければ、3つ目ができていないからペナルティーというように、単純な考え方で判定を出す。その際、最も気を付けているのが、積極性だ。これが、日本で教える組み合う、技を掛け合う、攻めの柔道との合致である。

そして、もう一つ。国際柔道連盟が大事にする「道」としての柔道。礼を徹底させ、柔道着があまりにほどけるようならペナルティーを出すなど、礼儀・マナーの部分も現行のルールに加味されているという。

「頭を下げるということは相手を敬う心であり、試合後は相手を讃える。スポーツ化してきているとは言っても、こうした心を表現する部分もしっかりと持ち合わせているというのも、柔道という競技の素晴らしさだと思いますね」

実際に、今大会で最後に審判した男子100キロ超級の決勝戦では、劣勢だった選手が抑え込みで逆転勝ちを収めた時に、敗れた選手が礼をしながら相手に拍手を送り、最後は肩を組んでお互いをたたえ合った。「礼」を大切にしてきたことの表れた場面でもあった。

今こそ必要な心の教育

今大会のコロナ禍以前には、天野さんは家族のサポートもあって、長期にわたって海外での大きな大会に参加してきたが、そこでの厳しい現実と評価の間で、心が折れそうになることもあったという。

「失敗しても日本では『頑張れ』と周りは声を掛けてくれますが、海外では失敗すると皆離れていく。大会が終わるたびに自分の裁きが点数化され、低くなると誰も評価してくれません。心の持ちようをちゃんと自分自身でコントロールしていかないといけない」

コロナ禍で海外に行けなかったこの1年、ずっと日本にいたからこそ、日本人としてお互いに認め合う感覚、支え合う感覚に、ほっとすることが多かったという。

そのことは、子供たちを教えている、自らの道場でも痛感した。

「コロナ禍になる前には、子供たちの大会も立て続けにあったので、どうしても勝つための柔道に意識はいってしまっていました。でも、コロナ禍で組み合ってはいけない、となったときに、どういった指導ができるか。模索していくと、どんどんどんどん心の教育という方向に行き着くんですよね」

オリンピックでも、ボランティアの人たちとの触れ合いで感じたことがある。

「今大会中、私の中で決めていたことがあって。それが『ボランティアの人たちに“柔道競技のボランティアをやって良かった”と感じてもらえるようにする』ことでした。なので、毎日笑顔でお会いする方々に精一杯あいさつや声掛けをしていたんです。そしたら3日目くらいから今度はボランティアの方々から精一杯のあいさつを頂くようになって。私の方が元気をもらっていました」

「礼に始まり、礼に終わる」といわれる「道」の競技・柔道。

コロナ禍もポジティブに受け止め、今こそ心の教育に力を注ぐ時期だと、天野さんはいう。

7歳から始めた柔道に魅せられて、選手として果たせなかったオリンピックの舞台に、母国開催で審判として立った。選手、指導者、関係者、ボランティアを含め、競技を通じて一体感が生まれたことの喜びというものを味わった。

「本当に皆さん、ネガティブな方はいらっしゃらない。志の高い方が集まってくる場所。オリンピックっていうのは、人に活力を与える、勇気の宝物というか、そういった魔法を持つ場所だなって、思いますね」

<プロフィール>

天野安喜子(あまの・あきこ)
1970年10月31日生まれ。1993年文理学部体育学科卒。東京都江戸川区出身。鍵屋の次女として誕生。小学1年生の時に父・修さんが「富道館柔道天野道場」を開いたのをきっかけに柔道を始める。共立女子高へ進学。
86年の福岡国際女子体重別柔道選手権大会では日本代表選手として銅メダル獲得。2008年に北京五輪柔道競技の審判員に日本人女性で初めて選ばれ、今年2021年は東京五輪で2度目の選出を受けた。
2009年、本学大学院芸術学研究科芸術専攻博士後期課程修了、博士号(芸術学)取得。