中日ドラゴンズ・京田陽太選手
中日ドラゴンズ・京田陽太選手
2021年春季リーグ戦で1部との入替戦に勝利し、4年ぶりに東都1部に昇格した本学硬式野球部。5年前、1部に昇格したシーズンで主将を務め25年ぶりのリーグ優勝、そしてNPBドラフト会議で中日ドラゴンズから2巡目で指名されたのが京田陽太選手(2017年法卒)だ。
「シーズンの報告のために、ルーキーイヤーぶりに大学(本部)に来ました」
シーズンを振り返ると、という質問に「初の2軍落ちをして」と口を開いた。プロデビュー後、新人王獲得の活躍に始まり、2020年からは選手会長に就任。選手会長2期目となったプロ5年目の昨シーズンは、143試合中113試合の出場になった。はたから見れば毎日のように試合があるプロ野球で、8割ほどの出場機会は十分に見えるが、京田選手からは悔しさがにじんでいた―。
―プロ5年目のシーズンを振り返って
ケガなく1年間野球はできたのですが、初めての2軍落ちを経験し、一番悔しいシーズンになりました。
―東京五輪があり変則的な日程でした
東京五輪の中断期間は、自分を見つめ直して練習することができたのでよかった。
自分で考え、人に聞いてうまくいったものは取り入れていきました。
―プロになり習慣にしていることはありますか?
プロは毎日試合があるので、試合前にランニングをして汗をかいて、そのときの体の疲れ具合でコンディションを確認しています。
―プロの世界は学生時代と違いますか?
学生時代と全然違います。まず試合数が違いますが、これは慣れてきました。移動して試合する経験がアマチュア時代にはなく苦労しました。
―選手会長として3期目になります
前任の福田永将さんから引き継ぎましたが、断る理由はなかったです。福田さんが人格者だったので見習って、裏方的な役割も含めてこなしています。
大学では主将になりましたが、自分のことばかりで周りが見えていなく、ダメでした。仲村監督(当時)にもそう言われました。今につながっている部分だと思います。
―2021年秋季リーグ戦から日大野球部が1部に復帰しました
自分たちの時は、まずは1部に上がろうと。1部で勝つ難しさもありましたが、いろんな人の支えがあって優勝できました。今の選手たちには、自分だけではなくて周りの方に感謝してプレーしてほしいと思います。
―コロナ禍でスポーツ、プロ野球の役割をどう考えていますか?
無観客試合は、今までと全く雰囲気が違いました。練習がそのまま試合になるような感覚です。いつもお客さんの歓声があって「よし、やるぞ」と試合に臨んでいたのですが、スイッチが押せてない感覚と、ファンの声援が力になって頑張れていたんだとありがたさを感じました。
自分たちがどれだけ声援、力をもらっていたか分かったので、今度は自分たちが野球のプレーで勇気や希望を少しでも与えられたらいい。テレビで見る機会も減っていますが、少しでも伝えていきたいです。
―「試合に出続けることに意味がある」という言葉を使う理由を教えてください
引退するまでの永遠の目標です。試合に出ないと何も始まらない。タイトルを獲りたいとかはそこから(先のこと)。自分たちにとっては143試合ある中の1試合でも、会場に来るファンの方にとってはその日しか来られない方もいる。「なんで京田が出ていないんだ」と思われるのは嫌なので、出続けてファンの方に見てもらいたい。
―ケガをしない理由はありますか?
まずは両親に感謝ですが、高校・大学と厳しい練習をやってきたこと。あと、自分の身体は自分が一番分かるので、自分でコンディションの判断をしています。試合前のランニングで調子を確認して。
―来シーズンの抱負をお願いします
いつも数字は答えていませんが、とにかく全143試合出場、試合に出続けるのが目標です。段階があると思っていて、首位打者とかの前に、まず全試合出場して、いずれそういう目標が言えるように頑張りたいです。
1年目に結果が出て(新人王)、周りからの期待がかかっているので、苦しいシーズンが続いていますが、堂々とまた大学に顔を出せるようにしていきたいです。
―最後に後輩へ向けてメッセージをお願いします
4年間はあっという間です。自分のやりたいことを探して、自分の夢に近づけるように、日本大学にはたくさんの仲間がいるので、仲間を信じて頑張ってほしいと思います。
―ありがとうございました。