観測隊副隊長として5度目の南極へ

国立極地研究所南極観測センター 永木毅氏(2008年大学院理工学研究科博士前期課程建築学専攻修了)

卒業生
2022年05月18日

日本からの距離は約14,000km、面積は日本の約37倍もの南極大陸。日本人が初めて上陸してから110年となる2022年、第64次南極地域観測隊副隊長として向かうのが本学理工学部、同大学院(建築学専攻修了)卒業生の永木毅氏だ。大学院に通っていた2007年に初めて南極の地に立ち、今回で5度目の南極となる永木氏。観測隊の目的や南極行きにつながる在学中の出会いについて伺った。

古い氷を掘削するための施設設営がミッション

南極地域観測隊は、南極に約1年間滞在して観測を行う「越冬隊」と、夏の2カ月間滞在する「夏隊」で構成されている。2022年11月に出発する第64次南極地域観測隊で、永木氏が所属するのは翌年2月まで任務を行う「夏隊」である。12月から1月が南極における「夏」だ。

夏隊の今回のミッションの一つは、古い氷を掘削するための施設を新設すること。雪を深さ3mほど長方形に掘り抜いて、その上に屋根を架けてドリルを設置する。翌年以降の掘削に向けた準備作業だ。採取した柱状の氷(アイスコア)を調べることで、過去数十万年の大気や気温の状況、海洋環境などを知ることができる。

昭和基地への建築物資は年1回往復の南極観測船「しらせ」に搭載できる分だけとなるため、国内にいる間に準備したものでしか作業ができない。「昭和基地で建築工事が行える期間は夏に限られ、長くて2カ月です」。

掘削する場所は氷の下の地形をレーダーで探査して見つけ出す。今回は日本の主要な観測基地である昭和基地から約1,000km離れた、標高3,800m超の「ドームふじ基地」の近傍にて設営することになっている。夏といっても、マイナス35度での作業だ。素手で金属に触れば凍傷になる。

「昭和基地は南極大陸の沿岸部にあるため、大陸から一方向の強い風が吹きます。一方、ドームふじのように高いところになると一定方向から吹くわけではなく、沿岸部ほど強い風は吹きません。場所によって準備、計画が変わります」

学部、大学院で建物周囲のスノードリフト(雪の吹きだまり)について研究し、理工学部の山岳部で冬山にも登った永木氏。厳しい環境下で効率的に作業するための土台は学生時代に出来上がっていた。

南極建築の第一人者との出会い

理工学部山岳部では顧問の平山善吉教授(現:日本大学名誉教授)をはじめ、観測隊員として南極に行ったOBにも多く出会った。

「いろんな方が研究室に来て話を聞いていました。一番大きかったのは、平山先生が大学教授を退官される時に、南極建築に関して今までやったことをまとめた本を書かれていたんです。その頃は研究室で新しく学生を取っておらず、山岳部で建築学科ということもあり、その手伝いをするようになりました。そこで観測隊員になる前から南極の知識を身に付けることができました」

平山名誉教授は1956年、本学工学部(現:理工学部)大学院在学中に、第1次南極観測隊に最年少で参加した南極建築の第一人者だ。

その薫陶を受けた永木氏も大学院時代に初めて南極観測隊に参加。越冬隊の一員として環境保全に携わった。その後も2010年にベルギーの基地への派遣、2016年越冬隊、2019年夏隊への参加を経験している。

第1次南極観測隊による昭和基地開設から60年以上、日本は活動の場を広げながら南極での観測を行ってきた。日本の南極観測について永木氏は、「60年間ずっと続けている。それが強み」という。その継続の成果には、世界初のオゾンホールの発見もある。

現在、永木氏は日本における南極や北極の研究機関である、国立極地研究所南極観測センターに勤務。学生時代に出会った人たちとの縁と、その頃から続く「行ったことがないところに行ってみたい」という思いが、歴史を重ねる南極観測の道のりにつながっている。

<プロフィール>
永木毅(ながき・つよし)
1980年福岡県生まれ。2004年理工学部建築学科卒。2008年大学院理工学研究科博士前期課程建築学専攻修了。在学中は理工学部山岳部に所属。国立極地研究所南極観測センター設営グループチームリーダー(施設・建築担当)。専門分野は設営(建築・土木)。南極での活動歴は第47次南極地域観測隊(越冬隊)、平成22年度外国共同観測派遣(プリンセス・エリザベス基地:ベルギー)、第58次南極地域観測隊(越冬隊)、第61次南極地域観測隊(夏隊)。