【2020東京五輪が残したもの:Part 1】
オリンピックは世界をどう変えていくか

国際関係学部 国際教養学科 松本佐保 教授

スポーツ
2021年12月13日

1年延期の末に実施された東京オリンピック・パラリンピックは、ほとんどの会場が無観客となるなど、さまざまな制約がある中での開催となった。
しかしいざ競技が始まれば、選手たちの戦う姿は人々に勇気と感動を与え、日本は過去最多のメダルを獲得した。
コロナ禍でのオリンピック・パラリンピック開催は、日本に、そして世界に何を残したのか。
今後両大会はどのように発展していくのだろうか。

本佐保教授は、欧米のキリスト教的な理念が国際政治や社会にどう反映されているかを研究テーマの一つとしている。その観点から、スポーツそのものよりオリンピックの背景にある理念や、国際関係を活性化する手段としてのオリンピックに強い関心を持っているという。歴史的な背景も踏まえ、今回の東京大会は何をもたらしたか、今後のオリンピックに何を期待するかを聞いた。

国際関係学部 国際教養学科 松本佐保 教授

国際関係学部 国際教養学科 松本佐保 教授

「今回のオリンピックはコロナ禍でさまざまな困難がある中で開催されました。海外から観客も来られず、ほとんどの会場が無観客だったのはもちろん残念でしたが、開催された意義は非常に大きかったと思っています。オリンピックはスポーツを通して国境を越えた交流を行う場です。それぞれの国を代表して参加するという枠組みの中で前回に続き難民選手団の出場があり、パラリンピックも開催されて、多文化共生というメッセージも発信することができました」

オリンピックの根底にはキリスト教的な平和、融和、共生といった考え方があり、それがオリンピック精神として受け継がれていると松本教授は指摘する。元々のオリンピックは古代ギリシャで始まったものでキリスト教以前だが、近代オリンピックは欧米が中心となって始まり発展してきたからだ。近年では日本などの仏教も含め、他のさまざまな宗教の考え方も影響していると考えられる。

「オリンピックは文化や宗教の異なる人たちのことをお互いに知る機会になり、国同士の対立、ひいては戦争を避け、よりよい関係を築くことに寄与してきたと思います。よく知らない同士だと偏見や対立が起こることがあります。それらをなくしていくことにつながるのが、オリンピックの大きな意義だと思います」

今回、東京に世界中の選手が集い、日本人の誰もが知っているような国だけではなく、普段あまり接することのない、例えばアフリカの国などにも接することになった。松本教授の周りの学生も、ジャマイカの選手が活躍すれば、ジャマイカってどこにあるんだろうと興味を持って調べていた。

「オリンピックは、勝つことではなく参加することに意義がある」という有名な言葉は、近代オリンピックの父と言われるピエール・ド・クーベルタン男爵の言葉と一般に捉えられているが、松本教授によれば、元々は米国聖公会の第15代主教を務めたエセルバート・タルボットの述べた文言だ。米国聖公会の源流となった英国国教会で1908年に会議が開かれ、世界中から200を超える聖公会の主教がロンドンに集った。この時並行してロンドンでオリンピックが開催されており、アメリカの選手が審判の判定にイギリスびいきだと批判するなど、論争の多い大会となっていた。タルボットはこの事態を懸念し、セント・ポール大聖堂での礼拝に選手や職員を招待し次のような趣旨の説教を行った。

「レースで賞を取ることより、オリンピアそのものの理念である『スポーツを通して心身の向上を図り、文化・国籍などさまざまな差異を超え、相互の理解を高め、友情や連帯感の平和を重視した世界の構築』の方がはるかに重要である」

クーベルタンは、このタルボットの言葉を言い換えて「オリンピックで大事なのは勝つことではなく参加することだ」と述べた。

「金メダルを何個取ったなどということは実は二の次であり、そこに参加し競い合うことを通じて、他の国の人たちとコミュニケーションをとり、交流を図るということの方がより重要であるという考え方です」

オリンピックの底に流れるアマチュアリズム

過去の夏季オリンピック開催地

過去の夏季オリンピック開催地

1984年のロサンゼルスオリンピック以降、オリンピックのプロフェッショナル化が進んだ。現在では欧米でも日本でも、プロスポーツに巨額の金が動いているのが現実だ。

しかしイギリスのスポーツにおいては、アマチュアリズムが大切にされてきた文化があると松本教授は説明する。イギリスにパブリックスクールという私立の名門校がある。今は共学も多いが伝統的に男子校で、エリート、貴族や裕福な家庭の子弟が行く学校だった。19世紀にはこのパブリックスクールを舞台に多くのスポーツが生まれ、徹底したアマチュアリズムの下で発展した。その一つであるラグビー校でラグビー競技が生まれたことはよく知られている。

彼らにとってスポーツはあくまでもたしなみであり文化的な活動で、チームワークを学ぶための手段だった。パブリックスクールは位の高い士官レベルの軍人を育てる学校でもある。軍隊では、リーダーが自分の部下を上手に組織してチームプレーを行うことが求められる。あるいはビジネスにおいてもリーダーシップを発揮して会社の部下をまとめ、マネジメントをしていく。スポーツはそれらを学ぶ手段として使われた。

「現代のイギリスでもプロスポーツは盛んですが、それは20世紀以降、特に戦後になって資本主義が発展する中で本格的に生まれてきたものです。スポーツをするにはお金がかかるのでスポンサーが必要になり、変わっていったという経緯であり、時代の流れです。元々のアマチュアリズムの精神は今でもオリンピックの中に流れていると思います」

アフターコロナの五輪は文化的側面を前面に

今回、開会式や閉会式で日本文化をアピールする演出もあったが、直前に問題が続出した影響もあり、足りない面があったと松本教授は感じた。

「今後のオリンピックは、多文化共生、文化の重要性といったことを強調する方向に重点をシフトしていく方が望ましいと思います」

2012年のロンドンオリンピックは、イギリスのイメージや文化的な要素を前面に出していたという。元々多くの植民地を持っていた国なので、特にロンドンは移民がとても多く、マルチカルチャーな街だ。そういう文化を強調するイベントだったと松本教授は評する。そして次回はフランスのパリで開催されるので、フランスという国の性格からも、文化的な面を前面に押し出してくることが予想される。

コロナ禍で、世界中でさまざまな文化活動が禁じられたり自粛されたりした。演劇やコンサートもなく、博物館や美術館も閉じられた。日本ではそれらの文化活動は「不要不急」と言われた。だが、コロナに感染して亡くなる人もいた一方で、引きこもりになった人や恐怖心からメンタル面でダメージを受けた人も大勢いて、自殺者の数が11年ぶりに増えたと報じられた。

「医療が最優先なのは当然です。でも、さまざまな文化活動があるからこそ人間のメンタルは健康に保たれる、つまり文化活動は不要不急ではないと私は考えています。ポストコロナの時代においては今まで以上にそういう活動が重要になってくるでしょう。スポーツそのものが文化的な活動ですが、それに加えてオリンピックを通じてそうした文化の重要性をより強調し、ポストコロナの世界の在り方を示してほしいと思います」

また、今回はコロナ禍でいろいろな制約があり、開催中に感染者数も死亡者数も毎日増えていき、松本教授にもジレンマがあったという。だからこそ余計に、ぜひとももう一回日本で、制限や制約がない形でオリンピックを開催してほしいと松本教授は願っている。

<プロフィール>

国際関係学部 国際教養学科
松本 佐保(まつもと さほ)教授

1965年東京都生まれ。聖心女子大文学部卒。慶應義塾大大学院文学研究科修士課程修了。英国ウォーリック大大学院で国際政治史博士号を取得。2007年から名古屋市立大大学院人間文化研究科准教授、11年教授。21年4月から本学国際関係学部教授。研究分野は国際政治、国際政治史、宗教(キリスト教)、歴史学など。近著に『アメリカを動かす宗教ナショナリズム』(ちくま新書)、『バチカンと国際政治 宗教と国際機構の交錯』(千倉書房)などがある。