明治36年(1903)3月、専門学校の認可基準を定めた最初の統一的法規として専門学校令が公布されました。これに伴い、公私立の専門学校は、法的根拠に基づく正式な高等教育機関としての地位を獲得しました。
日本法律学校は、大学組織に移行する前段階として、明治36年、高等予備科・高等法学科を設置し、大学組織への移行を進めて、学則改正の認可申請を文部大臣に申請しました。明治36年8月19日、校名を「日本大学」と改称します。
しかし、日本法律学校が日本大学と改称するにあたり、文部省はかなり難色を示しましたが、戸水寛人(ひろんど)らの熱心な運動により、明治36年9月から本学は無事に「日本大学」と呼称することができ、翌年には専門学校令による認可を受けることとなりました。