Vol.2 島田慎二 氏【中編】
Bリーグチェアマン(法学部新聞学科卒)
「このチェアマン室に居ることは取材の時だけ」と広報の方が語るほど、チェアマンはとにかく動く
田舎から出てきて一旗揚げようと役者の道を志した島田青年は「欽ちゃん劇団」に入り、年間300本の映画を観て感受性を鍛えた。ロバート・デ・ニーロに憧れて、米国のアクターズ・スタジオに「本当に行きたかった」という。しかし、才能は商才の方に傾いた。新卒で入社してから3年で独立、そこから15年足らずで残りの人生に足るだけの資産を作り、セミリタイア。2年と少しのブランクを経て、またビジネスの場に返り咲いた。それも初めて聞く「スポーツビジネス」の世界に。
大学4年生で悩んだ挙句、就職活動して1社だけ受かった先は、大手旅行代理店だった。
「旅行業をやらせてもらって良かったのは、旅行業は、利益率が低く、労働集約的な産業で、かつ、地政学的リスクに翻弄され易い。例えば、紛争やテロなどの影響はもろに受けますし、SARS(重症急性呼吸器症候群)や今回の新型コロナも同じですよね。世の中の動きに翻弄される状況下でも、結果を出していかないといけない。そういう意味で、リスク耐性がすごく鍛えられましたね」
入社して3年経った25歳の時、同じ旅行業界で会社の先輩と起業した。今でこそ20代での起業は珍しくないが、当時はまだ少なかった。
「独立することは、大学時代に決めていました。共同経営した会社を30歳の時(2001年)に辞めて、その後、直ぐに自分の会社を立ち上げました」
周りを見ても、経営を教えてくれる“師匠”に当たるような人はいなかった。
「だから、実地で覚えるしか無かったんです。自分でボロボロになりながら、これはダメなんだ、とか、これは良いんだ、とか経験しながら身体で覚えていましたね。だから、時間はかかりました。それが、結果的には血となり、肉となる訳ですけど、その分、精神的なダメージも毎回大きい訳で(苦笑)。でも、そうした経験を繰り返していくことで、人の気持ちや心の有り様、我欲が強いとこうなる、とか、皆の為にという風になるとこうなる、とか。こういうお客様との向き合いをしたらこうなる、とか。少しずつ分かってきて、結果、(人の気持ちの)深いところをキャッチできた。完全に腹落ちして、ああ、経営ってこういうもんだな、って悟ったのは35歳ぐらい時」
それから、約3年後にバイアウト(会社売却)した。大学時代、起業することと同時に「ビジネスで稼いで30代でリタイアする」と決めたことを有言実行して、思い描いた生活を手に入れた。
「しばらくは仕事しないでゆっくりしたかった。実際、2年強ほどの仕事せずに、世界中を旅していました。どこまで遊んだらまた仕事したくなるのか、と思っていたら、ちょうど2年くらいで飽きてきたんです(笑)。さすがに自分でも何やってるんだろう、と思いますし、そろそろもう一回仕事したくなるんですね。離れるとしたくなるんですよ(笑)。仕事が」
そんな時、当時、bjリーグの千葉ジェッツから「社長として経営を建て直して欲しい」声がかかった。
「スポーツはするのは好きでしたが、スポーツビジネスなんて言葉も知らなかった。ジェッツの再建を手伝い始めて、こういう商売があるんだ、と言ったぐらいの話です」
だから、普通の産業と同じように取り組んだ。
千葉ジェッツ時代の島田さん。降って沸いたプロバスケットボールチームの運営にも特別感は無かったと言う
「良い商品を作って、良い広報をして、良いマーケティングをして、また商品を磨く。言葉を換えれば、魅力的なチームを作る、来場者が会場に来た時にワクワクする雰囲気を作るというようなことだと思うんですが、それを愚直にやっていればお客さんも入ってくれるんじゃないか、とか、盛り上がってお客さんが入ってくれたら、スポンサーも取れるんじゃないか、と。普通にやってきましたね。だからそんなにスポーツビジネスを語れる男じゃないんです(笑)。普通のことを普通にやってきただけです」
この普通がなかなかできないのが、“普通”だ。
Bリーグ開幕(2016年)後、4年連続でリーグ1位の売上を記録し、破産寸前だった千葉ジェッツを7年間で最終利益1億円にまで成長させた“島田マジック”の本質が垣間見えたのは、その後の言葉だった。
「地域地域にあるクラブだから、地域密着じゃないですか。究極はお客さんが求めることを追求できるのか。汗水たらして、スポンサー回ったり、地域の自治体との関係性を築いたり、ファンとのコミュニケーションを取ったり。結局、勝つのは泥臭いところなんです。泥臭いところをやり切れるかどうかが全てを分ける」
場の空気が瞬時に、熱を帯びた。
今回、島田さんがBリーグチェアマンに就任した際、自身がジェッツを成長させてきた経験値を開示して、勉強会や講演を積極的に行っていく、と明言した。
「今回の新型コロナの影響で傷ついているクラブを救えるものは何か、と考えた時に、リーグとしての財政支援だとか、クラブの資金調達を手助けするだとか、クラブが稼ぎ易いようなルール変更をこの一年間は施行したりだとか。色々やっている中で、私が動くことで少しでも手助けになるのであれば、喜んで動きます」
自身で泥臭いところをやり続けた結果、三顧の礼を持って招かれたチェアマンの椅子。だが、島田さんがその椅子にじっと座っていることはない。
「Bリーグは、今は厳しい状況だけど将来性がある。一番良いですよね。もし他競技団体やリーグだったら、受けていないと思うんです。バスケットボールだから受けた。それくらいバスケットボールは買いだと言って回ってるんです。ただ、千葉ジェッツの時は、厳しい状況な上に、正直、将来性も無かった(笑)。ですからあの時から比べたら、何でもできるという感じですよ(笑)」
ポジティブに泥臭く、普通にやり切る。
島田さんの「根性」は、就職、起業・独立、バイアウト、千葉ジェッツと経験したことで、ゆっくりと“泥臭く”培われてきたようだ。
<プロフィール>
島田慎二(しまだ・しんじ)
1970年(昭和45年)11月5日、新潟県岩船郡朝日村(現村上市)生まれ。
幼少期は野球、中学からサッカーをはじめ日大山形に進学。大学は一般入試で本学法学部新聞学科に入学。卒業後は、マップ・インターナショナル(現HIS)に入社し、3年後の1995年に法人向け旅行会社ウエストシップを立ち上げ共同経営者として起業。2001年、アメリカ同時多発テロ事件を契機に独立し、ハルインターナショナル社長に。2010年、39歳で同社をバイアウトし、セミリタイア後、2012年に千葉ジェッツ社長に就任。2017年にはBリーグ副理事長を兼務し、2020年7月1日より現職。