我、プロとして

Vol.23 齊藤ももこ 氏【後編】一般社団法人daidai 代表
(2013年生物資源科学部獣医学科卒)

卒業生
2021年12月28日

行動が出会いを呼び、縁を引き寄せ対馬に就職することになった齊藤氏は、地域おこし協力隊の任期中も自ら行動を起こした。見て学び、血となり肉となった経験から2016年に一般社団法人daidaiを設立。そこで新たに直面した問題は必ずしも鹿、猪だけの問題ではなく、人も関係していた。後編ではdaidaiの事業と対馬のこれからについて聞いた。

多様性の尊重と選択。哲学を持つ

対馬で駆除した猪、鹿をさまざまに色付けた皮革にし、製品としている。「楽しい色をきっかけにでも『猪、鹿の製品を持ちたい』と思ってくれればいい」と齊藤氏は言う。その理由は、駆除に対する島の意識だった。

「印象がすごく悪い。『動物を殺めると呪われる』という言い伝えもあり、肩身が狭かった」

自身も周囲も島を思って取り組んでいても、理解が進まない壁に直面する。しかし、立ち止まっていては前に進まない。自分の中に確固たるものを持つことで、その壁を越えようと考えた。

「感謝なく肉を食べるのか、命の尊さを分かった上で、町のことを思い捕るのか、と考えたら後者を選ぶ。自分の中に哲学があればいいんじゃないか、と話していました。この島の中にもいろんな意見がある。物事の二面性、多様性をつくっていけるかを考えています」

ディスプレーされている鹿の角は知人のハンターからもらった

ディスプレーされている鹿の角は知人のハンターからもらった

島に来て9年、全てが変わったわけではないが、関わった人の中では対応が変わってきたと感じている。

「昨年、捕獲の最年少記録が更新されたんです。鉄砲の最年少記録は私の33歳、罠はスタッフの28歳でしたが、両方とも21歳に更新されました。それくらい若い人が興味を持ち始めて、周りも言わなくなったのかな、と思います」

害獣を憎いと言っている人に、獣肉をきれいにスライスして、デパートで売っているような状態にして食べてもらってみた。

すると、あまりにもおいしくて「自分たちは魚しか手に入らないと思っていたけど、この漁村でもお肉が手に入るならと、捕り始めた方もいます。人って面白いなと思います。いかにスーパーで買うしか選択肢がなかったのかな、と思います」

見方を変えれば、アプローチを変えれば先入観は、興味へと変わる。そんな試行錯誤の日々を齊藤氏は送っている。

獣医資格の賜物を生かして

移住してきた頃、島内に猟友会の会長が運営している解体処理場はあったが、島の外へ出すためで、地域の人たちが食べるチャンスが少なかった。

「そもそも対馬じゃ売れないと思って島外に出していたそうです。でも地域の中で食べていくことをして、対馬の人が暮らしの中で使っていかないと、共存や継続にならない。そこで、市役所として食肉処理加工施設を造り、その立ち上げをさせていただいた。そのままで食べたいと思えなくても、ソーセージとか加工品だったら食べやすいかもと思ってくれると考えました」

これは行動とアイデアだけでできるものではない。獣医を目指して大学へ進み、悩みながらも進路を決め、獣医の資格を取り卒業したことの賜物だった。

「獣医の資格には食品衛生管理者も付いてきます。ありがたいことにそれが役に立って、対馬の中で唯一食肉製造ができる施設を造ることができました。施設を回すためにルール上、食品衛生管理者が必要なため、任期が終わった後、建物は市が管理し、衛生面の管理を私がするという契約を市役所と結びました」

しかし、大学で習ったのは動物の筋肉の繊維、部位に関するもので、精肉の方法を習ったわけではない。初めは手探りだった。

「分からないことが分からない、と分かるだけでも強みだなと思いました。積極的に聞きにいこうと、出張でいく先々に解体処理場がないか調べていました。食肉加工は生物資源科学部に加工センターがあり勉強に行かせていただいたこともありました」

市役所が勤務地だったこともあり、相手の受け入れはスムーズで、ガラスにへばりついて見学したという。

成人式の記念品になった皮革。対馬育ちの若者へ

作業机の工具と部品。手作りで仕上げる

作業机の工具と部品。手作りで仕上げる

最初は全て一人でこなしていた。要望があればレザークラフト講座を開き、皮革を通して普及啓発をやっていた。

その結果の一つが、成人式の記念品。対馬で捕った皮を使い、対馬育ちの成人にプレゼント。毎年300個を用意している。

製作に苦慮していた矢先に、講座に参加していた知り合いの友人がピカイチのうまさで、指示にも素直だった。
「作業には性格が出ます。せっかちな人、人の話を聞かない人。その中でセンスがいいので仲間にならないかと声を掛けました。お子さんが当時1歳で、内職だったらと言われたので『もろ内職なので!』と引き入れて、6年の付き合いです」

地道な作業、活動を経て、徐々に仲間を増やしている。

本丸にたどり着くまでは対馬に

「ずっと対馬で、とも思っていなくて、主人が鹿児島に単身赴任中で、2地域居住生活。子どもの頃から場所に縛られる生活をしていなかったからか、ずっとここに住もうというのもないんです」

移住して9年が経つ。成果は上々に見えるが、自身ではまだ納得がいっていないという。

「鹿が減ったわけでも、猪がいなくなったわけでもない。皮や肉を介して、人の関係性はすごく変わったなと思いますけど、そこから先、鹿や猪が減り、または減っていくであろう体制づくりまで持っていかないと。いま外に出ていったら中途半端ですし、次のところでこれをやってきましたと言えない。本丸にたどり着くまで、これから5年から10年でそういった対馬の光景が見えれば、次どこ行ってもいいや、と思えるかもしれないし、対馬にいるかもしれない。まだ頑張らないと」

[daidaiの事業]
1. 被害対策のコーディネート(行政からの依頼)
・担当者が数年単位で変わる行政に、これが一番いいと思うとアドバイス
・集落を回り説明、柵の設置の指導
・捕獲や被害対策のモニタリング
2. 精肉
3. 皮革
4. 講演、授業(中学校の総合学習などでレザークラフトを教える)
5. 農業

齊藤氏おすすめの万関展望台からの夕陽

齊藤氏おすすめの万関展望台からの夕陽

今後について聞くと、新たな問題に直面しているという。それは、高齢化に伴う耕作放棄地だ。

「鹿を捕りにいくのに、どこに出現しているか夜に見に行きます。耕作放棄地が鹿のすみかになるというのは大学時代から勉強もしましたし、行政にもずっと言っていたはずなのに、ライトを当てると目が光るので数えると、ある耕作放棄地に160頭いました。2カ所で270頭。人が土地の活用を諦めて、スーパーで買う方が安いから野菜を買う。それは対馬産ではなく、北海道産や海外産だったりします」

そこで、土地を守るために耕作放棄地で農業を始めることにした。偶然にも農業に興味があるスタッフがいて、病気のため耕作放棄した田んぼを譲り受け、野菜を作ることにした。

狙いは単に耕作放棄地を若手が担うだけではない。野菜は本来、固定種と呼ばれる種が取れる。
一方、スーパーで売られている野菜の多くはF1種といい、品質は揃うが種は取れない。土地によって進化はしていかないが安定して取れるのがメリットだ。

しかし、「雲仙にあるオーガニック直売所のタネトの活動からF1種と固定種の違いを意識するようになりました。自分たちで土地に合った野菜を作っていき、種を残すという生物の当たり前の営みから食べ物を作ってみたいと思ったんです。 」

大学で学んだのは動物についてだけではなく、動物が生活する環境や影響など、鷹の目のように広く動物を捉え、考えることだった。

自然の摂理、命の尊重と選択。共存といえば聞こえはいいが、善し悪しの多面性が必ずある。齊藤氏は人、動物その両方の見方から物事を考え、まず行動を起こして、その壁を越えていく。