スポーツを支える人々
~ネクスト・キャリア・フロンティア~

Vol.5 八田盛茂 氏【中編】
北海道マラソン組織委員会大会長(農獣医学部[現・生物資源科学部]食品ビジネス学科卒)

卒業生
2020年11月27日

(政治家になると言えば)父には、
てっきり喜んでもらえると思ってたら(中略)
逆に怒られました(笑)

ひょんなことから、地元の郵便局に勤めることになった八田さん。人との繋がりを感じるには、これ程適した職も無い。結果、四半世紀の時を経て、道議会議員に立候補した時にも、同僚たちや顔見知りの人たちがこぞって応援してくれ見事当選。同じ議員だった父には反対されたが、今では天職だと自分でも思っている。人に恵まれ、縁に繋がれた使命を全うするのが、我が道と。

郵便局長から政治の道へ

本学を卒業し、小樽に戻った八田さんだったが、当初狙っていた就職口ではなく、国家公務員の道を選んだ。

「ご縁あって北海道内の郵便局長会でも有名な方から『お前、受けてみろ』と言われて受けたら合格できた。公務員になったんだったら、そっちで飯食おう、そう思って」

郵政局員となった。23歳の秋だった。

それから勤続25年間の事を、のちにインタビューでこう振り返っている。

「郵政事業は、身近で便利、安心で親しみがあり、地域密着。こんなに強味のある事業はないと思っています。(中略)自分の礎を培ってくれた郵政事業、組織にはひとかたならぬ愛着があります」

後半の10年は特定局長として、最後は小樽最上郵便局長としてファーストキャリアを終えようと、父にその胸の内を話した。ところが。

「あれば意外でしたね。『親父と同じ政治家になる!』って言えばてっきり喜んでもらえると思ってたら、『(今の仕事の)何が不満なんだ!?』と逆に怒られましたから(笑)。今思えば、親父は私に苦労させたく無かったんでしょう。ほら、政治家ってどこに行っても頭下げているイメージでしょ(笑)」

道議会議院に立候補し一発当選した八田氏

郵政局員から局長になるも「いつかは政界に」の信念に基づいて道議会議院に立候補し一発当選(「八田もりしげ」オフィシャルサイトより)

それでも、八田さんの気持ちは揺らがなかった。

父の背中を見て“自分のいつかは”と想い描いてきた政治の世界に向かって、突き進んだ。

時は2005年(平成17年)。道内ではこの年、知床が世界遺産に登録され、前年にはプロ野球の日本ハムファイターズが札幌に本拠地を移していた。38歳の秋だった。

「あのとき、大学4年の時に車の免許取って、帰省して親父の運転手をしていたことが生きました。父の後援会の有力者の人たちが(小樽の)どの辺りに住んでいるか、大体、覚えていましたから」

「将来政治家になりたい」と周囲に「ぽつらぽつらと」話していくと、徐々に声が掛かり始めた。

初出馬にして当選し4期目突入

本学校友会の小樽支部長になったのは、翌年の春のことだった。

「当時、市長の山田市長(勝磨/1999-2011=3期)や市議会議長も日大出身者でしたから、周囲からもてはやされました(笑)」

現在、200人弱の小樽支部も、政界、財界、医学会など、会員の職種は多岐に渡り、有力者が多い。

「そうした方々の後押しも受けて、2007年(平成19年)に出た初めての選挙で、運良く当選することができました(笑)」

先ずは父と同じ市会議員から、と思っていた矢先に、もう一つ上の道議会議員の選挙がタイミング良くあった。

「なぜがあの時は不思議と“当選する”と思ったんですよね。無所属だったんですが、とにかく運が良かった(笑)」

地元出身の元郵便局長とは言え、政党のお墨付き無く当選するのは、並大抵のことでは無い。

国家公務員だった時から、わずか一年半で、憧れの議員バッジを付けた。

それにしても、八田さんは、良く笑う。インタビュー中も、写真撮影の時も、とにかく、周囲も笑いで包み込む。

笑う門には福来る、とは昔の人は良く言ったものだ。

2007年4月、見事に、一発当選を決めてからは連続当選で、昨年2019年4月で4期目(任期4年)に入った。

昨年は議員とは別に、大役が回って来た。北海道マラソン組織委員会の大会長だ。

「(東京五輪マラソンと競歩が札幌に決まった時は)青天のへきれきでしたが、聞いてみると、IOCのバッハ会長や理事の方々の札幌に対する評価が、とても高かったのが嬉しかったですね」

五輪の目玉競技が札幌開催に決定後、すぐさま道内でも「北海道マラソン」の主催である、北海道、札幌市、北海道新聞、そして道陸協の関係4者が“オール北海道”での連携を確認した。

日本記録保持者が男女8人

東京五輪マラソンのコースは、北海道マラソンをベースに、スタート地点の大通公園を周回後、前半は市中心部約20kmを1周し、後半に前半の北側半分の約10kmを2周する変則的な3周コース。

「コースは北海道大学の銀杏並木、クラーク像、道庁赤レンガ建築など、美しい札幌の街を世界に放映できる事は、とても嬉しいですね」

思いがけない流れで、自身も陸上競技は中学から大学まで、ずっとやって来た事が、いつの間にか、世界最大のスポーツ祭典で大トリとなる競技を司る立場にまで繋がった。

「きっかけは、陸上競技協会の会長になったこと。副会長だった2017年に、前会長の岡部壽一名誉会長から『やってもらえないか?』とお声掛け頂いて、お受けしました」

北海道陸上界は、これまでも国内有数のトップアスリートを生み出して来た。

男子では、北京五輪男子400mリレー銅メダリストの高平慎士さん(2017年引退・旭川市)や十種競技の日本記録保持者の右代啓祐選手(江別市)、日本でまだ3人しかいない100m9秒台の一人である小池祐貴選手(小樽市)など、他にも現日本記録保持者が3人もいる。

女子でも、個人で100m、200mの日本記録を保持する国内史上最速のスプリンター・福島千里選手(中川郡幕別町)や同じく日本記録を持つ100mハードルの寺田明日香選手(札幌市)、そして、今春本学を卒業したやり投げ日本記録保持者の北口榛花選手(旭川市)ら、錚々たる顔触れだ。

「北口選手はたまたまご両親がウチの事務員さんと仲良くてね(笑)。お父さんが地元・旭川のホテルでパティシエをやられていて、厚別(公園陸上競技場)で試合のある時には、必ずご両親が来られて応援されてますよ。私も日大の先輩なんで(笑)、写真撮ったりね。頼もしい後輩です」

来年の東京五輪に向け、一人でも多くの道内出身者を出したい、というのは、八田さんが会長になってかねてから口にしてきた言葉だ。

「だからこそ、その環境を整えるのが私の仕事」

とも。

そのためには、現在行っている「普及」と「強化」、この二つの活動が重要だと言う。

<プロフィール>
八田盛茂(はった・もりしげ)

1956年(昭和31年)12月27日、北海道虻田郡真狩村生まれ。3歳で小樽に移住。
幼少期からスキーが得意で中学、高校(余市高等学校)では陸上部に。大学は本学生物資源科学部食品ビジネス学科に進学。
1970年、大学卒業後、地元名士の勧めを受け、国家公務員資格を取得し、郵政職員となる。1995年には特定郵便局長となり、10年間勤め上げ、退職。2年の充電期間を経て、市議会議員から最後は議長まで務めた父の背中を追うように、自身は北海道議会議員に立候補し、初当選。以来、現在で4期目。
自民党北海道支部連合幹事長、北海道陸上競技協会会長、北海道マラソン組織委員会大会長ほか兼任。