嘉永6年(1853)筑前国(現福岡県)に生まれる。福岡藩校修猷館に学んだのち、明治4年(1871)アメリカに留学し、ハーバード大学ロースクールを卒業。明治11年東京大学予備門教師、18年総理大臣秘書官となり、その後、貴族院書記官長、農商務次官を経て、明治31年農商務大臣、33年司法大臣に就任。貴族院議員、枢密顧問官、ハーバード大学名誉法学博士、伯爵。日本法律学校創立者の一人。明治22年初代校長就任。伊藤博文らとともに大日本帝国憲法を起草し、日露戦争時には、政府の命によりハーバード大学の同窓であるルーズベルト大統領に戦争の調停を依頼した。
昭和17年(1942)死去、90歳。