弘化1 |
1844 |
10月:長州藩士山田顕行の長男として松本村に生まれる(通称 市之允) |
1歳 |
|
嘉永6 |
1853 |
|
10歳 |
6月:アメリカ東インド艦隊司令官ぺリー、浦賀に来航。 |
安政1 |
1854 |
|
11歳 |
3月:日米和親条約調印。吉田松陰らが伊豆下田で、ペリー艦隊の軍艦に密航を企て失敗。松陰は萩の野山獄に幽閉される。 |
安政2 |
1855 |
5月:大伯父で、藩政改革に尽力した村田清風が死去(73歳)。 |
12歳 |
10月:安政大地震。幕府、長崎で海軍伝習を開始。 |
安政3 |
1856 |
藩校明倫館に入り、師範馬来勝平に剣術(柳生新陰流)を学ぶ。 |
13歳 |
2月:蕃書調所設立。 |
安政4 |
1857 |
吉田松陰の松下村塾に入門。 |
14歳 |
|
安政5 |
1858 |
- 師・吉田松陰より扇面詩「与山田生」を贈られる。
- 7月:伯父山田亦介、隠居を解かれ長州藩の軍政改革責任者に登用される。
- 8月:父山田顕行、西洋航海術・運用術伝習のため、長崎海軍伝習所に派遣される。
|
15歳 |
6月:日米修好通商条約締結。 |
安政6 |
1859 |
|
16歳 |
10月:「安政の大獄」により、吉田松陰が処刑される。 |
万延1 |
1860 |
|
17歳 |
- 1月:幕府の遣米使節、品川を出発(9月に帰国)。
- 3月:桜田門外の変。
|
文久1 |
1861 |
|
18歳 |
5月:長井雅楽、上洛して「航海遠略策」を朝廷に建白。 |
文久2 |
1862 |
12月:高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・品川弥二郎らの、攘夷の血判書に署名(御楯組血判書)。 |
19歳 |
- 1月:坂下門外の変。
- 8月:生麦事件。
- 12月:高杉晋作らが英国公使館を放火(英国公使館焼き討ち事件)。
|
文久3 |
1863 |
|
20歳 |
- 7月:薩英戦争。
- 8月:八月十八日の政変、三条実美ら尊攘派公家7名が長州へ逃れる(七卿都落ち)。
|
元治1 |
1864 |
- 1月:高杉晋作と共に脱藩し、京都に赴く。
- 7月:蛤御門の変で、久坂玄瑞率いる浪士隊に加わる。
- 8月:品川弥二郎らと御楯隊を結成。
- 12月:御楯隊、高杉晋作の決起に呼応。
- 12月:山田亦介が処刑され、山田顕行は謹慎となる。
| 21歳 |
- 6月:池田屋事件。
- 7月:蛤御門の変、長州藩勢が敗北し久坂玄瑞らは死去。「第1次長州征討」。
- 8月:四国連合艦隊が、下関を砲撃。
- 12月:高杉晋作下関会所を襲撃。
|
慶應1 |
1865 |
- 1月:山田顕義らが小郡勘場を訪れ、諸隊への軍資金用立てを要求。
- 2月:山田顕行、謹慎を解かれる。
※この頃から、大村益次郎に兵学を学ぶ。
|
22歳 |
1月:高杉晋作クーデター決行、尊王攘夷派が藩政を掌握。 |
慶應2 |
1866 |
- 1月:父山田顕行、長州藩海軍頭取となる。
- 6月:高杉晋作指揮の下、「丙寅丸」に乗組み砲長を務める。
- 7~8月:御楯隊を率いて、芸州口で幕府軍と戦う。
|
23歳 |
- 1月:薩長同盟。
- 6月:「第2次長州征討(四境戦争)」開始。
- 8月:将軍家茂の死去により、「第2次長州征討」が取止めになる。
|
慶應3 |
1867 |
- 5月:御楯隊と鴻城隊を併せ整武隊を組織、総管となる。
- 9月:長州藩兵三田尻に集結。山口藩先鋒諸隊の総指揮官となる。
|
24歳 |
|
明治1 |
1868 |
- 1月:鳥羽伏見の戦いで、長州藩兵を指揮する。征討総督副参謀となる。
- 5月:長州艦「丁卯丸」に乗組み、北越へ向う。
- 7月:越後口海軍参謀となり、長岡城攻略を支援する。
- 10月:土崎(秋田)に上陸、陸路青森に向かう。
- 11月:青森口陸軍参謀となる。
|
25歳 |
- 1月:鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争開始。
- 3月:五箇条の御誓文。
- 4月:江戸開城。
- 8月:政府軍が、会津若松城を攻撃(9月に降伏)。
- 12月:榎本武揚ら蝦夷島政府を樹立し、五稜郭を本営とする。
|
明治2 |
1869 |
- ※この頃から、顕義と称するようになる。
- 4月:海軍参謀を兼ねる。青森港を出航し、江差北方の乙部村に上陸。箱館に向け進撃する。
- 7月:兵部省が置かれ、兵部大丞となる。
|
26歳 |
- 5月:五稜郭開城、戊辰戦争終結。
- 7月:兵部省が置かれる。
- 9月:兵部大輔大村益次郎、京で襲撃され負傷(11月、死去)。
- 11月:長州藩諸隊の脱退騒動起こる(~’70)。
|
明治3 |
1870 |
|
27歳 |
10月:海軍はイギリス式、陸軍はフランス式の制度を採用。 |
明治4 |
1871 |
- 7月:陸軍少将となる。
- 11月:岩倉米欧使節団に軍事制度調査のため、兵部省理事官として随行。アメリカに滞在。
|
28歳 |
- 7月:刑部省・弾正台を廃止し、司法省を設置。廃藩置県。
- 9月:司法省明法寮設置(司法省法学校の前身)。
- 11月:岩倉米欧使節団、横浜を出発。
|
明治5 |
1872 |
フランス・オランダ・スイス・イギリス等に滞在、諸制度を調査。 |
29歳 |
- 2月:兵部省を廃止し、陸軍省・海軍省を設置。
- 8月:学制公布。
- 9月:新橋=横浜間に鉄道開通。
- 11月:徴兵告諭。
|
明治6 |
1873 |
- 6月:ドイツ・オーストリア・ロシア滞在を経て帰国。
- 7月:東京鎮台司令長官となる。
- 11月:清国特命全権公使となる(佐賀の乱により赴任せず)。
|
30歳 |
- 4月:開成学校が設置され、法学科(東京大学法学部の前身)が置かれる。
- 7月:地租改正条例を制定・公布。
- 11月:ボアソナード、日本政府の招聘により来日。
|
明治7 |
1874 |
- 2月:「佐賀の乱」鎮圧のため九州出張を命じられ、内務卿大久保利通に同行する。
- 7月:司法大輔となる。
|
31歳 |
- 2月:前司法卿江藤新平らが挙兵「佐賀の乱」。
- 3月:佐賀は落城。江藤は逃れたが、捕らえられ刑死。
|
明治8 |
1875 |
9月:刑法編纂委員長となる。 |
32歳 |
- 5月:司法省法学校設立。
- 9月:江華島事件。
- 10月:千島・樺太交換条約。
|
明治9 |
1876 |
|
33歳 |
10月:神風連の乱(熊本)・秋月の乱(福岡)・萩の乱(山口)と、士族反乱が頻発する。 |
明治10 |
1877 |
- 3月:長崎出張を命じられ、別働旅団司令長官となる。
- 4月:別働4個旅団の総指揮官となる。
- 6月:人吉攻略を指揮する。
|
34歳 |
- 2月:陸軍大将西郷隆盛が、兵を率いて鹿児島を出発、「西南戦争」開始。
- 5月:木戸孝允死去。
- 9月:西郷隆盛ら、城山で自刃。「西南戦争」終結。
|
明治11 |
1878 |
- 2月:刑法草案審査委員となる。
- 11月:陸軍中将となる。
|
35歳 |
5月:参議兼内務卿大久保利通、暗殺される(紀尾井坂の変)。 |
明治12 |
1879 |
9月:参議(18年12月まで)兼工部卿となる。 |
36歳 |
|
明治13 |
1880 |
2月:兼任の工部卿を辞任。 |
37歳 |
- 7月:刑法(旧刑法)・治罪法(後の刑事訴訟法)公布。
- 9月:東京法学社(のち和仏法律学校、法政大学の前身)、専修学校(専修大学の前身)創立。
|
明治14 |
1881 |
10月:内務卿となる。 |
38歳 |
- 1月:明治法律学校(明治大学の前身)創立。
- 10月:国会開設の詔。明治十四年の政変起こる。
|
明治15 |
1882 |
- 8月:皇典講究所設立。
- 8月:皇典講究所の「賛襄」(協賛者)に推挙される。
|
39歳 |
- 8月:皇典講究所設立。
- 10月:東京専門学校(早稲田大学の前身)創立。
|
明治16 |
1883 |
12月:司法卿となる。 |
40歳 |
11月:鹿鳴館、東京麹町内山下町に完成。 |
明治17 |
1884 |
7月:勲功により伯爵を授けられ華族に列する。 |
41歳 |
7月:華族令制定。 |
明治18 |
1885 |
12月:内閣制度発足、初代司法大臣となる。 |
42歳 |
- 9月:英吉利法律学校(中央大学の前身)創立。
- 12月:内閣制度発足。
|
明治19 |
1886 |
|
43歳 |
3月:帝国大学令公布。 |
明治20 |
1887 |
10月:法律取調委員長となる。 |
44歳 |
|
明治21 |
1888 |
12月:予備役。 |
45歳 |
7月:磐梯山噴火。 |
明治22 |
1889 |
- 1月:皇典講究所所長となる。
- 10月:日本法律学校創立(本学の前身/皇典講究所内、麹町区飯田町5丁目8番地)。
|
46歳 |
- 2月:大日本帝国憲法発布。皇室典範制定。
- 11月:嘉仁親王(大正天皇)立太子礼。
|
明治23 |
1890 |
- 7月:貴族院議員に互選される。皇典講究所に國學院(國學院大学の前身)設置。
- 12月:2度にわたり、司法大臣の辞表を提出するが慰留される。
|
47歳 |
- 4月:民法中の4編(財産編・財産収得編・債権担保編・証拠編)・民事訴訟法、商法公布。
- 10月:民法中の2編(財産収得編・人事編)・刑事訴訟法公布。
- 12月:商法及び商法施行条例施行期限法公布。
|
明治24 |
1891 |
6月:司法大臣を辞任。 |
48歳 |
5月:ロシア皇太子ニコライ、大津で襲われ負傷(大津事件)。 |
明治25 |
1892 |
- 1月:枢密顧問官。
- 11月:生野銀山視察中に死去。
|
49歳 |
2月:第2回臨時総選挙で、松方内閣の選挙大干渉。
|