【2020東京五輪が残したもの:Part 2】
東京で見た歴代最多のメダルとスポーツの新たな姿

スポーツ科学部 競技スポーツ学科 上野広治 教授

スポーツ
2021年12月20日

1年延期の末に実施された東京オリンピック・パラリンピックは、ほとんどの会場が無観客となるなど、さまざまな制約がある中での開催となった。
しかしいざ競技が始まれば、選手たちの戦う姿は人々に勇気と感動を与え、日本は過去最多のメダルを獲得した。
コロナ禍でのオリンピック・パラリンピック開催は、日本に、そして世界に何を残したのか。
今後両大会はどのように発展していくのだろうか。

本学水泳部監督である上野広治教授は、シドニーオリンピックからロンドンオリンピックまで日本水泳チームヘッドコーチや監督を長く務め、低迷していた日本競泳チームに多くのメダルをもたらした。近年はJOC強化副本部長も務めていた。
東京オリンピックで日本が史上最多のメダルを獲得できた背景、そして今大会で上野教授が感じたスポーツの新しい可能性について聞いた。

スポーツ科学部 競技スポーツ学科 上野広治 教授

スポーツ科学部 競技スポーツ学科 上野広治 教授

国立スポーツ科学センターが開所したのは、シドニーオリンピックの翌年、2001年だ。2004年のアテネオリンピックでは早くもその成果が出て、メダル総数が倍増した。

「1998年のソウルオリンピックあたりからメダルの数が伸び悩み、改善するために国が力を入れ始めた成果がすぐに出ました。その後2008年にはナショナルトレーニングセンターも開所し施設がさらに充実すると、以後メダルの数は順調に増えていきました。東京オリンピックに向けて、ハード面でこの二つの施設をフル活用できたということは大きかったです」

また2015年にスポーツ庁ができて、オリンピックに向けての強化がいわば国の政策に変わった。以降使える予算が増え、教える側の人的パワーが充実した。

「国がプロのコーチとして人を雇う状況になりました。私自身も2011年から12年のロンドンオリンピックまで、教員を休職しJOCのナショナルコーチとして給料をもらいながら強化に専念できました。公的資金を使う以上、評価が義務付けられるのは当然で、われわれ指導者にも結果を残す責任が生じます。それが好循環を生み始めました。今大会は、このようにハード面もソフト面も伴った結果の集大成でした」

東京オリンピック開催が決まったのが2013年99月である。開催まで7年あったが、その間の2016年にリオデジャネイロオリンピックがあり、ホップ・ステップ・ジャンプのような形で東京大会を迎えられたという。
 

国立競技場

それに加えてコロナ禍で1年延期になったことも、逆に日本人の勤勉さ、真面目さが働いて、ある面で成果に結び付いたと上野教授は指摘する。

「コロナ禍でスポーツ自体が不要不急と言われた時期がありましたが、その間にそれぞれが自分をもう一回見直して、同時にスポーツ界全体として、スポーツが不要不急のものではないことを結果で示そうということで団結し、チームワークが生まれたと思っています」

そんな中で上野教授の専門である水泳は、金メダル二つ銀メダル一つとやや振るわなかった。バドミントンなどの競技でもエース級の選手が成績を残せなかった例があった。地元の利ということもあるが、それが逆に不利に働きプレッシャーになったと上野教授は感じており、日本が遅れている部分があるとすれば、そのメンタル面であると考えている。

「今後パリオリンピックに向けて、スポーツ心理学も取り入れ、新たなメンタルサポートを考えていくべきでしょう。そういうサポートができる人材を登用するとともに、われわれ指導者も学ばなければいけないところです。そして選手だけでなく指導者に対しても、メンタル面を含めサポートができるような人や組織、つまり指導者の指導者のような存在が必要になってくるのかなと思っています」

求めるレベルが高ければ高いほど、指導者側にも選手側にもギリギリのところがある。その結果、社会的な問題である体罰やパワハラも根絶したとは言えない。それも常に冷静な状態で指導ができるかという、指導者のメンタルの問題でもあると上野教授は考えている。

新しい競技が教えてくれた楽しむというスポーツの原点

夏季オリンピックにおける日本のメダル獲得数(1984年ロサンゼルスオリンピック以降)

表以前で最もメダルを獲得したのは1964年の東京大会で、金16、銀5、銅8の計29。以後1976年モントリオール大会までは合計25~29個で推移していた

今回、スケートボードやクライミングなど、アーバンスポーツと呼ばれる競技が注目され、日本選手が活躍した。既存のスポーツは、苦しい練習を乗り越えて結果につなげるというイメージが強い。そして指導者がいるのが当然だ。ところがスケートボードの選手は、YouTubeを見てあの技に挑戦しようと考え、レベルアップ、スキルアップしていく。

「そこにチャレンジがあり、他の選手に対する敬意があります。私たち既存のスポーツ関係者もその姿に学ぶことが非常に多く、もっと指導者側の教え方を工夫する余地があると思いました」

スケートボードは採点の仕方もトータルの点数ではなく、何度かチャレンジして一度高得点を出せば優勝できるというものだった。見る側にもスリルがあり、選手は失敗を恐れず挑戦できる。

「スポーツは元々楽しむことから始まっています。バスケットボールの新競技である3×3なども含め、新しい競技が、『遊び』や『楽しむ』というスポーツの原点に戻ろうとしていることを発信してくれたと思います。彼らがスポーツの楽しさをアピールしてくれたことは、東京オリンピックの一つのレガシーであり、われわれスポーツに携わる人間が頭を切り替えて、その原点をもう一度見直すきっかけになったのではないでしょうか」

パラリンピックの閉会式で姉妹のダンサーとそのおばあさんが踊っていたシーンがあった。次回のパリ大会ではブレイクダンスが採用される。そんなことから、上野教授はこんな未来を予想する。

「いずれは年齢に関係なく祖父母と親と孫の三世代で出場する競技も出てくるかもしれません。家族で一緒にスポーツに取り組み、家族の和を生んでいく。高齢者が生き生きと楽しみながらスポーツをすることで健康寿命を延ばし、医療費削減にもつながっていく。それが活力ある社会の絆を生み、強い世界をつくっていく。そういう可能性さえも私は感じました」

<プロフィール>

スポーツ科学部 競技スポーツ学科
上野 広治(うえの こうじ)教授

1959年東京都生まれ。本学文理学部体育学科卒。筑波大大学院人間総合科学研究科修士課程修了。2016年から本学スポーツ科学部准教授。20年同教授。本学水泳部監督。競泳でメダルなしに終わったアトランタオリンピック後に日本水泳チームヘッドコーチに就任し、シドニー、アテネオリンピックで、さらに監督を務めた北京、ロンドンオリンピックで、好成績をもたらす。17年から21年までJOC理事。日本水泳連盟副会長・強化本部長。