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留学・国際交流

山東大学 松倉佳穂さん(法学部)

山東大学交換留学報告

約一年間にわたる留学生活で感じたことは、ひとつの国の文化や歴史、風習、政治、経済、人々の考え方といったことの真髄を理解できるようになるには、まず先にその国の言語をしっかりと自分のものにしなければならないということです。

例えば、日本のアニメや漫画は中国でも人気があり、中国語訳されたものがたくさんあります。翻訳された漫画の中で『ブッタとシッタカブッタ(佛陀与想太多的猪)』という漫画があり、ご覧になられた方もいらっしゃるかと思いますが、内容が豊富で日本語の言葉遊びが多分に含まれている漫画です。そして、この漫画の中国語版を読んだ際に日本語の言葉遊びがなくなってしまっていることに気づきました。これは翻訳者の問題ではなく、ある言語の意味合いをそのまま百パーセント完全に別の言語に置き換えることには限界があり、その言語特有の表現があるからこそ楽しめる部分があるし、だからこそ、ひとつの言語を学ぶ意味があるのだと思いました。

この点に気付いた時、ひとつの言語を自分のものにするということは、単に日常会話ができるだけでなく、読み書きができ、さらにその言語特有の言い回しや独特の表現も全て楽しめることであり、ひとつの言語をしっかりマスターするには時間と労力がかかることだと改めて感じました。そして、その核となる言語を自分のものにした上で、その言語の書物を読み、現地の人と会話をすることで異文化理解に繋がる気がします。

また、授業や試験で文章を書く際に感じたことは、母国語が全ての基礎だということです。はじめは中国語中心の学習でしたが、どの言語を学ぶ時もやはり母国語がベースにあるので、高尚な文章を書けるようになるには日本語の学習も疎かにせず、もっと日本語力を上げる必要があると思いました。

留学して良かった点は、前期の語言クラスで故事成語や慣用句、言い回し等をたくさん教わり、以前よりもボキャブラリーが増えたことと毎回プレゼンテーションをするのでスピーキングの力がついたこと、後期の本科の授業では先生の話すスピードが速くて容赦ないために最初は追いつくので必死でしたが、それによりヒアリングの力がついたこと、圧倒的に中国の学生と話す機会が増え、彼・彼女らの日頃の生活や人生観、日本のことをどう思っているのか等について直接聞くことができ、日本の学生との相違点を知ることができたことです。
現在の日中関係は決して好ましい状況とは言えず、特に日本政府の尖閣諸島の国有化以降、中国の各都市では反日デモが起き、中国に進出していた多くの日系企業が被害を受けました。尖閣諸島の件だけでなく、両国間の歴史認識に対する温度差などもあり、日本のことをよく思っていない中国人が多数いることは否めません。実際に中国の書店では日本語書籍の売れ行きが悪く、日本人だと知るとあまり快く思わないタクシー運転手がいるのも事実です。これらは、メディアによるマイナスな報道の影響から起因している部分もあります。その一方で、幼少の頃から日本のアイドルやアニメが大好きで、日本に興味を持ってくれている中国人もたくさんおり、特に日本へ旅行や留学に行ったことのある人で日本のことを悪く言う人は一人もおらず、むしろ日本の良さをほめる人ばかりでした。
留学前は難しく感じ、中国語の本を読むことを避けていましたが、一年間の留学を通して、中国語でか書かれた雑誌をはじめ、自己啓発書や哲学書等の書籍を難なく読めるようになったことも他の学生からすれば出来て当たり前のことかも知れませんが、私にとっては成長した点だといえます。中国語で読める書籍が増えると世界観がさらに広がり、新しい知識や考え方を吸収できる上に、日本語の書籍とはまた異なる考え方の書籍を読む機会が増えたことで、今までの自分の考え方を見つめ直すことができました。

長期休暇や連休中には、東北三省や内モンゴル、寧夏、四川、雲南、貴州等の地域へ足を運び、中国の北方と南方の気候や言語(方言)、習わし、称呼(相手に対する呼び方)といった各地域の違いを肌で感じ、広大で少数民族も多く、地域特有の方言が多数ある中で中国語(普通話)を共通言語として統一し、コミュニケーションのツールとして数億人もの人が使用していると思うと凄いことだと思いました。また、大都市と発展途上の地域とでは貧富の差が激しくて、特に山が多い地域では交通が非常に不便な場所が多く、雲南で水の環境が整っていない地域に住んでいる少数民族の中には月に一度しか体を洗わない人もいます。
日本は、識字率が高く、交通やネットの環境をはじめ、多方面で本当に恵まれており、私たちはこの環境を当たり前だと思って生活をしていますが、日本での生活がいかに恵まれたものであるのか、感謝すべき環境であるのかを再確認しました。

最後に、日本大学の交換留学制度のおかげで有意義な留学生活を送ることができたことに感謝しています。この制度がなかったら、私は留学することもなく、平凡な大学生活を過ごして卒業していたかもしれません。日本大学をはじめ、山東大学でお世話になった皆さん、国際交流室の皆さん本当にありがとうございました。
これからは、留学先で学んだことを活かし、日中間の文化交流の使者の一人として活躍できる人になりたいです。
有缘千里来相会,无缘对面不相逢。(縁があれば遠いところからでも来て会うが、縁がなければ向かい合っていても巡り会えない。)この写真は、語言クラスのクラスメイトと山東大学国際教育学部にて撮ったものです。左から日本、ベトナム、タイ、ロシア、韓国。

2014年6月5日

音楽節の時に友人が撮ってくれた写真です。

4月下旬より徐々に暑くなってまいりました。5、6月の中国は非常に暑く、35、36度前後の日々が続いています。留学生活も終盤に入り、一日一日の時間を大切に過ごしています。

4月には、大きな出来事が二つありました。一つ目は、早稲田大学より岡田教授が山東大学法学部(法学院)にいらして、日本における行政訴訟制度の形成史と改革の課題について講演をしてくださったことです。
日本における行政訴訟の機能不全の歴史的原因と20世紀末には顕著になっていたこの原因を克服するために、立法的な対処が不可欠になっていたこと、司法制度改革の必要性、2004年の行政事件訴訟法改正ではオープンスペース論が期待した積極的な訴訟法の運用もみられるようになっていることについて重点的に講演されました。
結論としては、今後の行政訴訟改革を展望する場合、歴史研究も重要であり、行政訴訟制度の歴史研究においては、近代国家に共通する要因、外国法の継受に関わる諸要素、各国の法文化による変容という各側面を分析しなければならず、これらについては、国際的な共同研究が必要であるということでした。
今回の講演により、改正の背後に存在する構造的問題、現状および改革の課題を考察することができた上に、中国の学生と一緒に講演を聞く機会をいただけたことを有り難く思っています。

二つ目は、SICA十周年閉幕式が開催され、その音楽節(音乐节)に友人と参加したことです。このイベントでは、私と友人は日本語の歌を歌うように頼まれていたので、岡本真夜のTOMORROWを二人で熱唱しました。日本語ではありましたが、留学生活最後のイベントを良い形で締め括ることができたので満足しています。この音楽節では、韓国やウィグル自治区出身の少数民族の学生や他大学の学生もたくさん参加していて、非常に華やかなイベントでした。

そして、5月中旬には、一足先に国際私法と国際経済法の期末試験が行われました。本科生の試験が語言生の試験より難度が高いことは承知していましたが、実際に試験問題を目の当たりにして、その難しさを思い知らされました。とくに、国際経済法の試験では開始の5分間はずっと考え込んでしまい、ペンがまったく進まなかったことと約2時間ある試験時間があっという間に過ぎてしまったことを今でも覚えています。

しかし、このような緊迫感は日本での大学の授業や語言クラスでは味わえないものであり、実際に本科の中国人学生と一緒に授業や試験を受け、今までとは違った心持ちで後半の留学生活を送ることが出来ました。期末試験前の2週間は、内容が難しすぎて試験勉強中に何回も「どうして本科の授業を選んでしまったのだろう。語言クラスの方にしておけば、もっと気楽でいられたのに。」と後悔の念に駆られることがありましたが、授業と試験が終了した今では、後期に本科の授業を選択したことは間違っていなかったと感じています。

2014年3月5日

3月になり後期がいよいよスタートしました。正確にいうと、2月24日から開始ですが报名(申し込み)やクラス分けテスト、授業の選択期間などの時間があるため、ちゃんとした授業が始まるのはだいたい3月からとなります。
前期は語言クラスの高級2班で授業を受けていましたが、今学期はその上のクラスがないということで、中国の学部生(本科生)の皆さんと一緒に授業を受けることになりました。専攻は経営法学科なので主に国際私法や国際経済法の授業を受けて、他にも文学部の授業や興味のある授業を聴講しようと考えています。現在は、まだ選択期間中ですのでゆっくり決めようと思います。

本科生の授業は、日本の大学と同じように大講堂でする授業もあれば、小教室でするものもあります。前期の語言クラスは全部小教室だったため、大講堂での授業は久しぶりで懐かしさを感じてしまいました。中国人の学生に囲まれているということもあり、前期とはまた異なった学習環境で授業を受けられるので、今学期はまた一味違った留学生活になりそうです。もちろん難度はありますが、頑張れるところまで頑張ろうと思います。

そして、冬休みの2月中に旅行した場所の中で印象的だった場所を紹介したいと思います。
それは、ずばり中国の中でも多くの少数民族が住んでいる場所であり、山紫水明な場所でもある雲南です。
旅行中は、ずっと快晴だったことに加え、纳西族(ナシ族)、撒尼族(サニ族)、藏族(チベット族)のガイドさんが雲南のことやそれぞれの少数民族の言葉、習慣、禁忌、伝説などについてたくさん教えてくださり、新発見の連続で楽しい日々を過ごすことができました。さまざまな話を聞いた中でも、とくに纳西族の習慣や実際に起きた出来事に一番心を打たれ、帰国したら纳西族についてじっくり研究をするつもりです。
纳西族では大黒柱は男性ではなく女性であり、女性が田畑を耕したり、力仕事をしたりします。そのこともあってか、纳西族の女性の美の基準は、よく日焼けした肌に太っていて、お尻が大きい人だそうです。地方にもよりますが、中国では、女性に対して“小姐”もしくは“美女”、男性に対しては“先生”もしくは“师傅”と呼ぶことが一般的に対して、纳西族では女性に対して“胖金妹”、男性に対して“胖金哥”と呼びます。
昨今の日本では、女性も社会進出をし、どんどん昇進して社会地位を築いている方が大勢いますが、あくまで夫婦共働きが多数を占めていて、一家の大黒柱だという女性は少数で、あくまで男性が大黒柱だというイメージが強いかと思います。また、美の基準に関しても多くの日本女性が日焼けしないように出かける前に日焼け止めを塗ったり、運動や食事制限をしてダイエットに勤しんだりしている女性は少なくありません。そう考えると日本社会と纳西族社会とでは真逆のことが多く、普段、自分が当たり前と思っていることでも、別の場所や社会では当たり前ではないということを思い知らされました。どちらかの生活方式が間違っているとか可笑しいということではなく、あることに対して先入観を持ったり、勝手に決めつけたりせずに、自分側から外の世界を見るだけでなく、相手側(その民族)の生き方や考え方を批判せずに受け入れることも大切だと思いました。ただ、纳西族の男性は子供の世話をする必要もなく、家事をするだけでいいみたいなので、もしかしたら纳西族の男性はストレスが少なくて世界一幸せなのかもしれません。
玉龙雪山、虎跳峡、噶丹・松賛林寺(小布达拉宫)で撮ったものです。雲南では標高2500mを超える場所が多くて、高山病になりやすく、私も玉龙雪山に登る時や香格里拉にいる時は時折気持ち悪くなりましたが、ガイドさんに言われて氧气瓶(酸素ボンベ)を持って行ったので、助かりました。
丽江古城、大理古城、崇圣寺三塔、滇池大坝で撮ったものです。丽江古城は夜までいたのですがライトアップが見事でした。特に、城内ではずっと丽江小倩の『一瞬间』が流れていて雲南から戻って来た後も耳に残っていたので、思わずダウンロードしてしまいました。雲南丽江らしさかつ恋している女性の気持ちがストレートに滲み出ている曲なので、おすすめです。ちょうど中国語の勉強にもなりますし、興味のある方はぜひ聞いてみて下さい。
昆明にある世界自然遺産石林で撮った写真です。中は非常に広く、隅から隅まで歩き尽くすには数日はかかるとのことです。場所によっては迷路みたいになっている所もあり、ガイドさんがいなかったら、私はたぶん早々と迷子になっていました。
そして、ここでもその有難いガイドさんから“阿诗玛的传说”という興味深い伝説を教えてもらい、絶句するほどの景色に感動的な伝説を聞いてしまったために石林とその伝説は私にとって忘れられないものとなりました。左下の写真に写っている石が伝説に出てくる主人公の阿诗玛だと語り継がれています。悲しくて感動的な内容なのですが、話し出すととても長くなってしまうため、ここでは省略させていただきます。興味のある方は、ぜひご自身で検索してみたり、実際に現地に足を運んでガイドさんから直接話を聞いてみたりしてみて下さい。
ただ言えることは、この見事な自然の結晶は写真や画像で見るのもいいですが、やはり一度自分の目で直接みて、感じとるのが一番だと思います。もちろん石林に限らず、それ以外の雲南の場所もみる価値があるのでおすすめです。
他にももっと雲南のことや纳西族のことについて伝えたいことはあるのですが、話し出すと尽きないのでこの辺にしときます。

今回の雲南旅行は、少数民族の方とかかわりあえただけでなく、現地に実際に行かないと見聞きできないことを吸収することができ、私にとって良い刺激となりました。
帰国したら纳西族の研究を始めるつもりですが、とりあえず今学期は本科生の授業に集中して、前期とは一味異なった残りの留学生活を楽しもうと思います。

2014 年2 月5 日

1月の第二週からは期末テストの週に入り、私にとって緊張の一週間が始まりました。
テストの科目は汉语读写、汉语语法、汉语词汇、汉语视听说の4科目で、それぞれ約2時間のテスト時間です。緊張の理由は、1日に1科目のテストしかないために4日連続テストが続いたからです。

テストの内容はと言いますと、汉语词汇以外のテストはほとんどが応用的な問題ばかりの出題でした。テストを通して気付いたことは、学期中の授業内容をただただ復習して、暗記するだけでは無意味で、教わったことを如何に自分でそれを応用して、テストに臨むことができるかが問われているのだなということでした。そして、テストが終わったらすぐに冬休みに入るため、成績表は冬休み明けにもらえるとのことです。今回のテストは自分なりに最善を尽くしたつもりなので、ひとまずテストのことは置いといて冬休みを満喫することにしました。

留学前から冬休み中は、時間を有効に使って中国国内を旅行したいなとずっと考えていたので、テスト後は、かねてから心に描いていた自分の行ってみたい場所をピックアップして旅行の計画を練っていました。
北方の方はとてつもなく寒い時期ですので、主に南方の方を旅する方針にして、ひとまず広州・マカオへ向かうことに決めました。
広州といえば、「食在广州(食は広州にあり)」とよくいわれるように広東料理、飲茶や点心で有名です。済南に来てからは週4の割合で麻辣烫(マーラータン)と过桥米线ばかりを食べていたので、ちょうど味覚を変えるのには適した時期にさしかかっていたからなのか、広東料理が新鮮に感じられました。
行った時期が春節(旧正月)と重なっていたこともあり、迎春節目の一つ”迎春花市”をみることができました。花市は広州では春節に必要不可欠なイベントらしく、毎年この時期になると約18日間に渡っていろんな区域で開催されるみたいです。私が行った場所は荔湾区で開催されていた”荔枝湾涌水上花市”でしたが、雰囲気は日本のお祭りと似た感じです。さすが中国なだけあり、一言で言わせていただくと「人山人海(黒山の人だかり)」でした。
広州は食で有名な場所なので、どちらかというと観光名所は少ないですが、中山纪念堂、西漢南越王墓博物館、石室聖心大教堂、黄埔军校旧址など孙中山と蒋介石ゆかりの地をまわることができて満足でした。
広州にて撮影した写真です。
山東では雪が降るほどの寒さだったので厚着して行きましたが、広州に着いた瞬間、暑すぎてすぐ薄着一枚になりました。北方と南方の寒暖差には本当に驚かされます。
広州のあとにマカオに行きましたが、これまた春節だということもあり、どこもかしこも人だらけで、ご飯をたべる時、お手洗いに行く時、写真を撮る時、バスで移動する時、チケットを買う時、何をしても大行列で一苦労でした。ですので、私の中の春節のイメージには”爆竹の音と人”しか残っていませんが、中国の人にとっては、人波が当たり前で慣れているのだと思うと逆に感心せずにはいられませんでした。

しかし、それでもセナド広場、聖ドミニコ教会、仁慈堂、モンテの砦、聖オーガスチン教会、ドン・ペドロ5 世劇場、鄭家屋敷、媽閣廟、マカオタワー、聖ポール天主堂跡などマカオ歴史地区を大いに自分の足でまわることができた上に、世界遺産と久しぶりに西洋建造物をみることができて感激しました。とくに聖ポール天主堂跡はやはり見応えがあるので観に行く価値があります。
マカオに行った時、私はちょうど21 歳を迎えていたので赌场(カジノ)の中にも入ることができ、新しく建設された新葡京とギャラクシーに入ってみました。さすがに賭けはしませんでしたが、一生に一度は中に入って様子をみることは悪くないと思います。
同じ中国の中でも北と南とでは、言語(方言)から街の様子、料理、気候まで大きく異なり、それでもって普通話(中国語)というツールを使用して、人々のコミュニケーションを統一しているのだと思うと中国という国は、その規模も含めてですが、すごい国だなとつくづく思いました。
旅行先で春節の雰囲気を味わえたことと、留学先の山東とはまた異なった地域で新発見ができたことは私にとって素晴らしい収穫となりました。

2014年1月5日

明けましておめでとうございます。中国に来てから4か月が経ち、留学生活の前半が終わりを迎えようとしています。日本にいる学生の皆さんは既に冬休みに入っている時期ですが、こちらでは、ちょうど期末試験の時期にさしかかっており、元旦の日は一日休みになりましたが、2日からまたいつも通りの授業が再開していました。来週の試験期間を乗り越えれば、冬休みは目前です。

12月は、一年の締めくくりの月のせいか毎週必ず何かしらの活動があり、あっという間に過ぎ去っていきました。
月初めには、孔子学院奖学金学生“中华文化体验之旅”系列活动の一貫として济南洪家楼第二小学(済南洪家楼第二小学校)との交流活動がありました。本来は、孔子学院の奨学金を受け取っている学生のみが参加する活動らしいのですが、今回は私のクラスの学生も一緒に参加する機会をいただいたので、院生の留学生に混ざって中国の小学校に行ってきました。
上の写真は国語の授業と美术社团(美術部)の活動時に撮ったものです。
中国の小学生の印象を一言でいうと、とにかく活発な子が多いです。日本だと先生が質問してもなかなか自分から積極的に発言をしようとする人が少なくて、先生が指名することが多いですが、こちらでは授業中に先生が質問をすると毎回、クラスの約三分の二の学生が必ず手を挙げて答えようとします。また、美術部だとはいえ、まだ小学生にもかかわらず書道と国画の上手さに感嘆してしまいました。

さらに、その活動後には私のクラスの学生だけで幼稚園に行き、自国の文化についてパワーポイントを使いながら、わかりやすく幼稚園児に対して紹介するという授業活動もありました。事前に準備と練習はしましたが、幼稚園児の前で発表をするという経験が今までになく、難しい単語をなるべく使わずに幼稚園児の集中力も考慮しながらの発表だったので緊張しましたが、同じ日に小学生と幼稚園児との交流を深めることができました。
そして、12月5日はタイの国慶節にあたり、タイの学生が各国の友人を招いて、タイ料理を振る舞ってくれました。10月にみんなで中国の国慶節をお祝いした後に、まさか留学先でタイの国慶節もお祝いすることになるとは思わなかったので、印象深い日になりました。
この翌日には、兴隆山校区(キャンパス)にて英语全能挑战赛が催され、オーストラリアや韓国の友人と共に来賓として招待され、中国人学生の英语比赛を見ることができた上に、初めて兴隆山校区(キャンパス)に行くこともできました。思ったことは、やはり日本人学生より中国人学生の方が英語を喋れる人が多いということです。

3週目の休日には、クラスメイトの友人の一人がもうすぐ帰国してしまうということで、記念に2013年最後の小旅行と題して、世界短篇小说之王(世界短編小説の王)とも称された清代文学家蒲松龄(聊斋先生)ゆかりの地、淄博に行ってきました。
淄博は山東省の中央部に位置し、春秋戦国時代に繁栄を誇った斉の首都でもあり、現在では工業都市でもあります。恥ずかしい話ですが、蒲松龄の名は聞いたことがあったのに授業で先生が話すまで淄博という地名をずっと知りませんでした。そのこともあって、授業と今回の小旅行で蒲松龄と淄博が私の中に深く銘記されました。
下の写真は、淄博にある中国陶瓷馆と周村古商城で撮ったものです。
陶瓷馆の中には数えきれないほどの陶器が展示されており、どれも珍しくて見る価値がありました。
周村古商城には状元府、杨家大院、华宝楼、大染坊をはじめとした12の景区があり、中の様子は旅客がご飯を食べる場所も含めて如何にも古代中国といった感じでした。
4週目の週末には、SICA(国際交流サークル)による毕业典礼(留学生の卒業式)と新年晚会(SICA之夜)が催され、その新年晚会の司会者役の依頼があったため、韓国人学生と中国人学生の3人で司会者の役を務める機会をいただきました。中国語で司会するので、大勢の方の前で言い間違えてしまったらどうしようなどと不安が押し寄せたりもしましたが、何度かの打ち合わせと練習をしたおかげで、本番は司会者という役を楽しみながら司会をすることができました。
主持词(台本)には教科書では学べない多くの単語が含まれていて、“こういう言い方もあるんだ”という新発見の連続でした。その後の打ち上げなどにも参加したので中国人学生のサークルの様子を垣間見ることもできたのですが、雰囲気は中国も日本も変わりありませんでした。
留学先で司会者の経験をするとは夢にも思いませんでしたが、この素晴らしい機会を下さったSICAの皆さんに感謝をしています。
クリスマスイブには、今学期最後のビッグイベント、第十二届快乐汉语大舞台が催され、各クラスで演劇の発表をしました。今回はクラスごとに競い合うといったことがなかったため、どのクラスもみな純粋に楽しみながら劇を演じることができ、終始笑いが絶えませんでした。
私のクラスは≪济南囧≫という小品(コント)の発表をしたのですが、ストーリーやオチなどを全部自分たちで考えて作成したということもあって、やらされているという感覚もなく、ストーリーの作成段階から発表までの全てを心の底から楽しめました。

ただ、クラスが多いために初中级专场と中高级专场(私のクラスはこちらでした)の二日間に分けて行われたので、初中级专场の演劇を見られなかったことが残念でした。
下の写真が当日の様子です。自分のクラスはみんな発表していたため、誰も写真を撮っていなかったのでありませんが、他のクラスの発表の様子から当日の雰囲気がなんとなく伝わればいいなと思います。
今回は紅白を見るのでもなく、家族で除夜の鐘をきいて初詣をするのでもなく、他国の留学生や中国の学生と思いっきり騒いで新年を迎えるという新しい形だったので、正直、元旦を過ごした感じがしませんでしたが、留学する前には、想像もつかなかったことをたくさん経験することができ、どれも自分なりに精一杯やり遂げることができたので、私の中で2013年は有終の美を飾ることができた年だといえます。
2014年はまだまだ始まったばかりですが、2013年を上回る実りのある年にしたいです。

2013年12月4日

済南に来てから三か月が経とうとしています。11月6日には3ヶ月分の奨学金をまとめて受け取ることができました。生活費に充てることができるので、とても学校側に感謝をしております。

11月は活動が豊富な月で、ボランティアとして文化体験活動や毎月恒例の日中交流会に参加させていただいたり、毎年開催される「汉语比赛」に各クラスで参加したりしました。
文化体験活動は、習字や工芸茶、琴、版画、拓本などの中から一つ自分の好きなのを選択して、中国文化を実際に体験するものです。ちょうど、体験活動の日にアメリカの大学の教授の方がいらしていたため、途中から一緒に体験活動をしました。ちなみに、私は拓本を体験したのですが、先生がやっているところを見ている時は簡単そうだったのに実際に体験してみると、細かいことに色々と配慮しなければならないので意外と難しかったです。孔子の像が刻まれたひんやりとした石の上に乾いた紙をあて、墨でこすって孔子の姿を写し取るのですが、こする時も手加減が必要で、紙のしわを出さないようにと何回も注意されたのを覚えています。
汉语比赛は5人一組での伝言ゲームに始まり、次に制限時間内に用意された漢字に一画付け足して別の漢字にする遊び、中国文化に関する問題の早抜けクイズ、ボックスの中から一つ物を引いて制限時間内にそれについて紹介をする遊び、そして最後にクラスごとに歌と踊りを発表するといった内容でした。結果は、私が所属している高級2班が見事に1位となりました。発表の練習が十分ではなかったので、みんな心配していたのですが、良い結果を残せて本当に良かったです。

休日には、友人と孔子の故郷である曲阜、河南省にある開封及び嵩山少林寺にツアーを使わずに自力で行って来ました。自分たちで行きたい場所を調べ、計画を立て、ホテルやチケットの予約をしなければならないので、旅行中もツアーで行くのとは異なり、すごく解放的な気分で過ごすことができました。
場所が分からなくなった時やタクシーに乗る時、入場券を買う時は、もちろん地元の方と話すことになりますが、学校の先生と話す時とはまったく違った形で自然な会話をすることができたのでとても良い経験となりました。
授業の時、先生方は留学生に中国語を教えることを心得ていらっしゃいますので、やはり私たち学生に対して聞き取りやすいようにゆっくり、はっきりと話してくださいます。大変ありがたいことですが、地元の方と話す時は地域特有の訛りがあったりする上に、留学生に対しても普通の中国人と同じスピードで話してくださるので、正直、聞き取れない時があります。だからこそ、今回の旅行は中国語の良い練習になり、耳が鍛えられました。
済南から曲阜までは高铁が通っているので45分ほどで着きます。曲阜は周代の魯国の都であり、孔子の生地として知られているため、山東に来たからには行っておくべき場所だということで、クラスメイトの韓国とベトナムの友人と3人で行ってきました。
下の写真は、孔子六艺城・孔子故里园、孔庙、孔府、孔林を訪れた際に撮ったものですが、さすが孔子の生地だけあり、どこも孔子に関わるものばかりでした。孔林は孔子の墓地であり、子孫代々の分まであるので、数え切れないほどのお墓がありました。その敷地の広さには驚かされました。天気もよく、空気も都市部とは異なり新鮮だったため1時間かけて散策してみました。右下の写真は曲阜东站(曲阜東駅)内にある孔子の像です。
済南から開封まで夜行列車で約7時間半かけて、タイとインドネシアの友人と3人で行きましたが、硬卧(普通寝台)だったため、翌日に影響することなく旅を続けることができました。2等寝台だと、上・中・下の三段ベッドで日本ではなかなか見ることが出来ない光景だったので印象的でした。
開封は、戦国時代に魏の都であり、五代の後梁・後晋・後漢・後周・北宋の都でもあり、非常に歴史がある場所です。見所もたくさんあるため、一日でまわりきるのは難しく、全部を見ることはできませんでしたが、龍亭、铁塔公园、清明上河园、包公祠、開封府、大相国寺を訪れることができました。
清明上河园に滞在した時間が一番長かったため、写真の大部分が清明上河园のものですが、少しでも開封の素晴らしさが伝わればなと思います。
開封に行った日の夜は、鄭州で一泊し、翌日の朝、バスで嵩山少林寺がある登封の方に向かいました。嵩山少林寺といえば少林寺拳法で有名ですが、敷地が広大な上に自然が素晴らしく、訪れる人を癒してくれる力がありました。少林寺、十方禅院、塔林、三皇寨の順に見ていきましたが、時間が足りなくて満足に全ての景区を見られなかったことが残念でした。
三皇寨では、ロープウェイで山頂付近まで行き、やや険しい道を歩かなければなりませんが、晴天だったため眺めが本当に最高でした。右下の写真を見ていただければ、その険しさが少し伝わるかもしれません。
今回の経験により、中国のいろんな場所を周って、もっと地元の方とたくさん自然な会話をしたいという思いが湧き、日頃の授業もさらに身が入るようになりました。書物もたくさん読み、外に行った時に培ったことを応用できる人になれるように頑張りたいと思います。

2013年11月5日

済南に来てからちょうど二か月が経ち、居留許可の手続きも無事に済みました。授業は毎日午前中の8時からなので正直つらい時もありますが、今まで通りなるべく休まずに授業を受けています。
留学生棟のそばで撮った写真ですが、秋を感じさせてくれる一枚です。ジョギングや散歩をしている学生をよく見かけますが、たしかに散歩のコースには適していると思います。
10月からはHSK6級の授業を免费(無料)で受講できるとのことで追加で受けています。
自分で問題集を買って勉強するのとは異なり、先生がわかりやすく詳細に解説してくださるのでとても為になります。2013年の6月に日本で6級を受験した時はぎりぎり合格点に達していましたが決して芳しい結果ではなかったので、帰国する前に再度受験してより高得点を取ることが目標です。

また、授業を受けていて周囲の学生よりも作文の力が足りないなと感じる時がままあります。もちろん中には専攻が中国語学科の学生もいて彼らに及ばなくても仕方がないと言われればそれまでですが、やはり同じ授業を受けているからには彼らのように高尚な文章を書けるようになりたいと思いました。そのこともあって、授業がない午後の日は、より中国語に触れるために中国人の友人に薦められた書籍を毎日必ず5ページ以上は読むように努めています。わからない単語に遭遇することもありますが、物語の内容が非常に面白いのでカフェで読みふけていると気づいたら4、5時間たっているということもしばしばです。

・参考書籍
『意林』,『经典阅读』,『特别关注』,『午后祝你幸福』,『爱你』,『37°女人』
そして、10月の第一週は中国の国慶節にあたるため学校は約一週間休みになります。この機会に、2人の中国人と2人の韓国人ともう一人の日本人の友人の計6人で青岛に行きました。
上の写真からも青岛の晴れ渡った景色と綺麗な夜景を見てとることができるかと思いますが、国慶節の青岛の海辺や教会は、観光客とは別に結婚写真を撮るカップルで賑わっていました。ちなみに右下の写真は孔明灯を揚げている最中の写真なのですが、夜の海辺はお昼とは異なり、家族や友人同士で孔明灯を揚げる人たちでいっぱいでした。私も友人と一緒に揚げてみましたが、試行錯誤の後に上手く揚げられた時の達成感がなんとも言えませんでした。

旅行中、中国人の友人とはもちろん中国語を使って会話をしていたのですが、おかしな中国語を使ってしまったり、アクセントが違ってたりすると直ぐに正しい言い方を教えてくれるので、とても有意義な旅となりました。
10 月の第四週末には、留学生棟の中庭にて年一度の国际文化节が開催されました。
今年は第十三届国际文化节ですが、毎年留学生たち自身が応募して出場しています。中国人の学生も含め、数え切れないほどの国の留学生が自国の民族舞蹈(民族舞踊)を披露していました。残念だったことは日本人の出場者がいなかったことですが、想像以上に本格的だったので、その会場にいたすべての人が演出にどんどん引き込まれていったのを憶えています。

この他にも、月に2回ほど日本語学科の学生との日中交流会があり、基本的には一対一ではじめの一時間は中国語のみの会話、残りの一時間は日本語のみの会話で交流を深めるといったものですが、毎回、相手の学生が雑学的なことや豆知識を教えてくれるのでいつもこの会が催される日を楽しみにしています。

11月最初の休日には、深夜より約7時間かけて日の出を見るために泰山を登りました。授業でも先生から泰山は四山五岳の一つ、东岳之手(山東山脈中の主峰)であり、諺に泰山归来不见山(泰山から帰って来ると小さな山など目にとまらない)とあるくらいだから山東に来たからには一度は行っておくべきだと勧められていたので、クラスメイトのタイとインドネシアの友人と3人で登山しました。
11月ということもあって山頂の朝は非常に寒かったのですが、一生懸命に登山した後に眺める日の出はやはり一味ちがいました。さらに天気にも恵まれ、まるで絵に描いたような雄大な自然の景色は本当に感無量でした。帰りは、さすがに3人とも疲れていたのでロープウェイで下山しました。
海に行ったり、山を登ったりと中国語を使いながら中国の自然に触れることができた上に、文化节を通して異文化を理解することもできたので、非常に中身が濃いひと月となりました。

2013年10月1日

この写真は国際教育学部がある中心校区(中心キャンパス)のものです。南門(正門)を入ると、花や木と調和している大きな噴水に出迎えられます。9月、10月は見頃です。

済南に来てからそろそろ一か月が経とうとしています。思えば、到着して二日目にいきなりクラス分けテストを受け、一週間後には授業が開始していました。国際教育学部で中国語を学んでいる留学生は約230人で主に韓国からの留学生が大多数を占めています。クラスは、初級1が2クラス、初級2が3クラス、中級1が3クラス、中級2が3クラス、中級3が3クラス、高級1が2クラス、高級2が1クラスあり、筆記と面接試験の結果によってクラス分けされます。

現在、私は高級2のクラスで中国語の授業を受講していますが、定期的にプレゼンテーションやディスカッションをするため、パワーポイントの作成に追われる日々を送っています。先生はもちろん中国の方ですが、幸運にもクラスにはイタリア、インドネシア、ロシア、タイ、ベトナム、モンゴル、韓国の学生が揃っているせいかディスカッションが始まるとまるで国際会議を開いているような感じになります。

私のクラスには日本人がおらず、みんな国が違うということもあり、もし言いたいことが伝わらなかったとしても誰にも助けてもらえないので、当初はこの環境に少し戸惑っていました。ルームメイトも韓国からの留学生なので常に中国語を使わざるを得ない生活環境にいるため、今では中国語を上達させるには非常に良い環境だと実感しています。

大学のキャンパス内は非常に広く、その一か所に小树林という場所があります。天気がよく、陽気な日には多くの学生がここに来て勉強しています。実際にここで勉強してみましたが、図書館とはまた異なった穏やかな雰囲気に包まれながら効率よく勉学に励むことができるのでお勧めです。

生活面につきましては、キャンパス内に学生スーパーがあるので基本的な生活必需品はここで手に入れることができます。わざわざコンビニや百貨店まで行かなくて済むため非常に便利です。
また、中心キャンパスの留学生棟は3つあり、主要となっている棟には売店があって、夜の11時半まで営業しており、サンドイッチやコーヒー、ポテト、ナゲットなどを注文して咖啡厅で食べることもできるので、たくさんの留学生が利用しています。

休日には、大学で知り合った中国や台湾、クラスの友人たちと一緒に食事やカラオケに行ったり、済南の名所を訪れたりすることで教科書では学べない中国のことを身をもって経験することができました。
そして、済南の主な名所として趵突泉公园や大明湖、千佛山が挙げられますが、実際に行ってみて皆由緒のある場所であり、目でみて学ぶことが本当にたくさんありました。済南は泉で有名な地域で、数え切れないほどの泉が存在しているため、地下を掘ると湧きあがってくるので地下鉄がありません。もし地下鉄を使い慣れてる人が済南に来たら不便だと感じるかもしれませんが、趵突泉公园を訪れて泉の水の透明さに癒されたのならば、さっきまで感じていた不便さも掻き消されるかもしれません。

趵突泉公园と大明湖で撮った写真ですが、柳の木がそれぞれの場所を彩っていて綺麗です。また、趵突泉公园の中には、かの有名な女詩人である李清照の記念堂もあるので併せて見るといいと思います。

最後に、日本人の留学生は20人ほどですが、みんな友好的で新しい学期ごとにバーベキューで新しく来た日本人留学生に対して歓迎会を開いてくれます。同じ日本人がいるということは心強い一方で、それに甘んじて日本語を使いすぎないように気を付けています。そして、ディスカッションの時に日本語で話す時と同じように中国語で満足にはっきりと自分の意見を言えるようになるのが私の今後の課題です。病気することなく済南の生活にも慣れ、学習面においても生活面においても困った時には、いろんな方が支えてくださるので何不自由なく充実した日々を過ごすことができています。

2014年4月1日

3月下旬より徐々に春の兆しを感じるようになり、4月に入ってからは陽気な日々が続いております。学内は半袖半ズボンの人が大半です。
下の写真は春を迎えた中心校区(中心キャンパス)内で撮ったものです。
そして、現在私が受けている法学部の授業は中心校区(中心キャンパス)より少し離れたところにある洪家楼校区(洪家楼キャンパス)にてあります。
キャンパスについて少し説明させていただくと山東大学には8つのキャンパスがあり、その内の6つが济南に点在し、残りの2つが威海と青岛にあります。なお、青岛のキャンパスは現在まだ建設中です。

中心キャンパスは比較的最近できたキャンパスであるため別称新校と呼ばれているのに対して、洪家楼キャンパスは一番古いキャンパスであり、別称老校とも呼ばれています。
下の写真が洪家楼キャンパスにて撮った写真です。このキャンパスは洪楼大教堂(教会)がシンボルですが、普段は一般の人は入れないとのことです。
また、私が受けている授業の中に国際経済法が含まれているのですが、興味がわく科目の一つと言えます。貿易専門用語や国際売買、国際投資に関する基本原則と法律問題等について事例を使いながら先生が解説してくださいます。
この授業で資本輸入国、資本輸出国に関する国際投資問題や国際投資と国内投資の相違点について聞いた時に思い起こしたことは、あくまで中国側の立場で取引事例を考えるということです。
今まで国内=日本で物事を考えていたので、当初、授業中に国内投資という単語が出てきた際もついつい日本国内の投資を連想してしまう自分がいました。

前期は中国語のレベルアップに必死だったので、売買や投資問題といった物事を中国側から考えてみるという余裕がありませんでしたが、後期は中国側から見たいろいろな観点を吸収することができそうです。
何事に対してもそうだとは思いますが、語学を学ぶ上でも余裕を持って臨むことが大切だと気づきました。