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留学・国際交流

アヴィニョン大学 竹崎奈有加さん(文理学部)

アヴィニョン大学留学報告書

【はじめに】
百聞は一見に如かず。私がフランスに留学を志望したのは、フランスという国が知的障害児教育の父と呼ばれるオネジム=エドゥアール・セガン(Onézime-Édouard Séguin)の母国であったからだ。障害児教育を勉強する中で、セガンという人物を知り、人権思想が生まれた国であるフランスに興味を抱いた。私にとって留学とは、そのような国で勉強ができる大きなチャンスで、セガンの思想を辿る最大の手段であったのだ。確かに、日本に居ながらにして研究は可能かもしれない。しかし、実際に自分の目で確かめ、触れなければわからないことがきっとあるはずである。この思いは私を、異国の地への留学へと突き動かした。

【アヴィニョン大学での学習成果】
基礎語学力の向上が、学習成果として一番にあげられるだろう。大学付属の語学学校にてフランス語を学びながら、後期は人文学部および自然科学部の講義を履修した。
フランス語の授業では、言語を実践的にバランスよく学べたと思う。とくに授業内でのディスカッションやプレゼンテーションは本当に大変ではあったが、自分の殻を破ることができる良い機会であったことは間違いない。なかでも毎週のレポートでは、書く力に自信がついた。フランス人教師からの丁寧なアドバイスおよび学生を褒める姿勢は、純粋に嬉しかったし、私を含め学生の自信につながったと思う。一方で最も苦手だったことは、リスニングである。とくにラジオのリスニングは早口であることに加え、発話者の顔が見えないため、最も困難であった。帰国後も継続して学習していきたい。
大学の授業では、フランス文学及びフランスの歴史について学んだ。それらの授業では、フランス人学生やヨーロッパを中心とする他国の留学生と机を並べ、勉学に励むことができたと思う。なかでも外国文献への慣れは、今後の学習の幅を広げてくれるだろう。また、院生を対象とした授業では学部とは異なる雰囲気を感じた。学ぶことに対する意識の高さに、私も努力しようと鼓舞された。多くの教授は早口で話すため、すべてを理解したわけではないが、フランス人学生に助けをかりながらも、授業に参加することができた。

【フランスでの留学生活を通して】
フランス人家庭にホームステイしていたことから、フランスの文化、国民性を垣間見ることができたように思う。時には、正午から食前酒を開けたはずなのに、デザートを食べ終えたのは夕方 5 時頃、その間ずっと食べ続ける、なんてこともあった。どういう胃をもってしたらそのようなことになるのかは全くもって不明であったが、食文化の豊かさを感じ、家族で過ごす時間を心から大切にする彼らの文化が愛おしくも思えた。
また、留学生活を通してしか触れ合うことのない世界各国からの学友と過ごした時間は、かけがえのない財産となったことも留学の成果として挙げなければならない。友人になった途端、その国が身近に感じるようになるのは、本当に不思議なものである。加えて、フランス語という共通のコミュニケーションツールをもちい、意思疎通ができたことに感動を覚え、言語の持つ力を知った。文化相違を超えて、相手のこと何らかの手段をもちいて深く知ることは可能であり、自らの考えや思いを伝えることはできるということを肌で感じた。尊敬でき、その人のためならば何でもしたいと心から思える友人が、日本以外の国でも出来た事は、忘れられない留学生活の一ページである。
日本を離れ、異国の地で人間関係を一から構築していく過程は、大きな経験になったと思う。まるで白紙の上に自分がたっていて、そこでどう振る舞うのか、どこまでやれるのかが試されている気がした。そういった環境に身を置くことで、再び自己を見つめ直し、人間的な成長を図るまたとない機会になったと言える。

【おわりに】
たった九ヶ月の留学期間で、こんなにもたくさんのことを学び経験し、そして自分に自信を持てるようになったことは大きな変化である。あのとき留学への一歩を踏み出して本当によかったと思う。
今後は語学力を活かしながら、研究対象としている、フランス革命以降における障害児教育の理解を深めること力を注いでいきたと考えている。フランス留学を志すきっかけとなった、オネジム=エドゥアール・セガン(Onézime-Édouard Séguin)についてあまり深く勉強できずに終わったことが少し残念だった。ただ、私にとって最大の収穫は、何といっても外国語文献への「慣れ」を得たこと、そしてそれを読む力が飛躍的に伸びたことである。読解力が上がったことで今後の勉強の幅も大いに広がり、様々な場面でその重要性を実感できるようになると確信している。
そして、言葉や文化の異なる、多様なバックグラウンドを持つ人々との交流は、今後さまざまな場面において、役に立つ経験であることは間違いない。たとえば、私の根底をなす「障害児教育」という分野においてである。子どもたちの持つ障害は多種多様であり、中には言葉を持たない子どももいる。共通点を見つけコミュニケーションを図ること、相手に寄り添って関わっていくことは、留学生活を通して身に付けた順応性、または他者を理解しようとする姿勢を十分に活かせると考えている。
将来的には、障害児教育のプロフェッショナルとして、他の教員が体験したことのない経験をもとに、生徒たちにとって、魅力ある教師になりたいと思っている。人生においても、何事にも柔軟で寛容な思考で生きていきたいと考えるようになった。本当に充実した9か月であった。
以上、今回のフランス留学は紛れもなく自分にとって生涯の財産と言えます。そのような留学をする機会を頂けたことに感謝しています。

2015年5月5日

時が経つのは本当に早いもので、春の訪れを告げた桜の花もいつの間にか散り、豊かな緑が青々と茂る5月を迎えました。サマータイムも始まり、どうやらここ南仏では夏を迎える準備は万端のようです。
ところで、こちらに来てから生まれて初めて虫歯というものが出来ました。それもそのはず、食事は必ずデザートで締めるフランス式に見事に染まってしまい、そのまま疲れて就寝、なんて日も続いてしまったのだから、当然のことでしょう。自業自得です。さっそく、歯医者の予約に挑戦しました。電話越しには、いつものごとく早口のフランス人。ええい、直接行ったほうが早いと思い、ホストマザーの紹介してくれた歯科医院まで足を運びました。ところが、なんと予約は一番早くて一か月後とのこと。どこも同じような状況らしく、その日が来るまでおとなしく待つしかなさそうです。
続いて、日本で入った保険会社に電話し、保険適用の有無を確認しました。私の場合は入国日から90日が経過していたため、保険が適用するとのこと。電話越しの日本人職員の方の対応は、丁寧かつ正確で、すばらしいものでした。しばらくこういったサービスを受けていなかったため(フランスでは期待してはいけません。もちろん人によりますが)、本当に感動しました。

週末にスペインのバルセロナまで行ったのは、世界遺産サグラダ・ファミリアを自分の目で見てみたかったからです。スペイン人の友人たちという最強の旅仲間と共に、車を4時間ほど走らせ、到着したのは夜11時。パスポートなしでふらっと外国へ行けるのは、ヨーロッパならではだと思います。初めて目にしたサグラダ・ファミリアは、その存在感にただただ圧倒されました。外観はかなり精巧で緻密な造りになっていて、すべて人の手が造りだしたものだと思うと、畏怖の念すら感じました。
先日、市民向けの日本語講座、木曜日のクラスが最終授業を迎えました。なにか日本のものをお礼にと思い、桜柄の和紙で折った折り紙をそっと手渡しました(折り紙は本当に持ってきてよかったと思えるアイテムです)。「また来年」といわれても、おそらくそのころ私はもうここにはいないだろうから、少しの寂しさと切なさを感じながらも「日本語がんばってください」とエールを送りました。
さて、今月は最終試験を控えています。前回はなかった口頭試験にむけ、友人の助けを借りながら、試験に備えています。引き続き充実した留学生活を送れるよう、気を引き締めて精進したいと思います。
世界遺産サグラダ・ファミリア。1882年に着工がはじまりましたが、未だに完成はしていません。

2015年4月10日

アヴィニョンから少し離れた町、サント=マリー=ドゥ=ラ=メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)優しい光と、気持ちの良い風、そして青い海に癒されました。

三月はたくさん悩んだ時期だったように思います。自分の言いたいことがすらすらと出てこなくて、悔しい思いをしたり、時には自分が情けなくなり、涙を流したり。毎日を振り返ってあげられることといえば反省点ばかりでした。でも、そんなとき、何も言わなくても顔を見ただけで「大丈夫か?今日何かあったのか?」と心配してくれるクラスメイトがいてくれることは、とても幸せなことだと思います。ここにいる人たちは概して温かく、なにも言わずただ話に耳を傾けてくれる人や、気にかけてくれる先生、「気分転換に海にでもいこう」と誘ってくれる友人、一度親しくなると惜しみない愛情を注いでくれる人たちばかりです。しかし、わかったことは、たとえ壁にぶつかったとしても、最終的には自分の努力でしか突破できないということです。ある種の自信というものは、葛藤と、そして努力からしか生まれないのです。

さて、CUEFA(大学付属語学学校)での授業も折り返し地点を迎えました。授業内容は以下の通りです。
・Conpréhension Ecrite:さまざまなテキストを読み進め、文章理解を深めます。
・Conpréhension Orale:教科書のCDやラジオをもちい、聞き取り能力を鍛えます。
・Expression Ecrite:文章をたくさん書くことで、書く力を鍛え、文章表現を鍛えます。
・Expression Orale:ディスカッションやロールプレイングを通して、口頭表現を学び、話す力を上げる授業です。
・Culture et Société:新聞・雑誌・テレビなどのマスメディアをもちい、現在のフランスに対する理解を深めるとともに、フランス文化への理解も深める授業です。

突然ですが、これから留学を予定している人に伝えたいことは、日本にいる間に、聞き取り能力を鍛えておくことです。それから単語力を上げておくこと。というのも、リスニング力に関しては、アルファベット文化で育った欧米の学生と比べて、大きな差があると感じられるからです。話す機会はこちらではいくらでもあります。ただ、聞き取りは日本にいながらにしても鍛えておくことは可能です。インターネットサイトやラジオでフランス語に触れておくことをおすすめします。私の場合、帰宅してまずすることは、手を洗うよりも先に、ラジオをオンにすることです。
日頃から早口のフランス語に慣れておくと、いざ機関銃のように話すフランス人を目の前にしたとしても、「単語の一つ一つがすべて解るわけではないけれど、相手が伝えたい話の全体像は何となくだけどわかる」という現象が発生するでしょう。

先週のエクスポゼ(プレゼンテーション)では「les différences de la vie quotidienne entre le Japon et la France 日本とフランスにおける日常生活の違い」についての発表が求められました。両国間に当然違いはたくさんありますが、中でも注目を集めたのは、労働時間と生産率の割合についてです。フランスの日刊紙フィガロによると、日本は労働時間が長いのに対し、生産率が群の抜いて低いのです。なぜでしょうか。私はまだ社会というものを経験したことがないため、大枠をつかむことはできないのが残念ですが、日本は、アメリカやフランスの三倍近い残業を行っていることがわかりました。(独立行政法人労働政策研究・研修機構データブック国際労働比較 2013 年)日本ってなんだか無理をしすぎているような気がします。日本にいたときに感じていた疲労感、たとえば満員電車に押しつぶされる朝だとか、社会に漂う不安感、そういったものを少なくともこちらで感じることはありません。外国人だから、という理由で片づけてしまえばそれまでですが、そういったものを抜きにして、市民がちゃんと「Non」と言えるのです。町では、社会への抗議としてのデモやストライキをしょっちゅう見かけますし、少しでも「違う」と思えば、はっきりと自分の意志を言えることのできる社会です。こちらの市民は勇敢だし、その賑やかさに誘われて、政治も社会も耳を貸さずにはいられないようです。しかし、日本は違う。なんだかわからないけれど、日本人はいつも何かに追われていて、我慢していて、疲れているような気がします。やや悲観的になってしまいましたが、それがいま私の感じることです。授業をとおして、このような比較思考が培われたように思います。

ところで、先日日本人の友人たちとこんなことを話していました。「言語によって自分の性格が変わる」ということです。日本語を話すときと、フランス語を話すときの自分の性格が異なると感じるのです。フランス語を話している時はよりオープンに、かつ性格が積極的になるのを自分で感じますが、日本語で話している時はその反対です。それは、やはり文化的な違いが表れているのでしょう。日本では遠慮や謙虚さといったことが美徳とされる文化であるため、あいまいな言葉の言い回しが多くあります。それに対し、フランス人の友人に言われた一言、「言わなくちゃわからないよ」。フランス語はこの一言に集約されていると思います。つまり、「察する」よりもはっきりという文化であるため、自然とものの言い回しも明確になるような気がします。そのようなことが、社会に反映されているのでしょうし、市民の強さにもつながるのだと思います。どうやら、「言語は文化」というのは、おおむね間違ってはいないようです。
さて、大学のキャンパスでは、学生たちが気持ちよさそうに日向ぼっこをする季節になりました。南仏では夏が待ちきれないと言わんばかりに、今日も空の機嫌がとてもよいです。
アヴィニョン大学のキャンパス。桜のピンクと青空のコントラストがとても綺麗です。

2015年3月5日

選挙ポスター。政党の全候補者の男女比を同率にすることが求められています。違反すると政党助成金が減額される仕組みのようです。

もうすぐエクスポゼ(プレゼンテーション)を行います。発表テーマは「フランスにおける男女格差および日本との比較」。CUEFA(大学付属語学学校)では、クラスが上がり、エクスポゼの内容もぐんとレベルが高くなりました。ディスカッションの内容も社会問題・文化相違といったように、幅広く、かつ知的好奇心を刺激されるものばかりです。

ただ、悩みと言えば、クラスメイトのフランス語、とりわけ強い癖のあるスペイン、中国といった言語話者のエクスポゼを聞き取るのに苦労していること、それから自分の語彙の少なさに落ち込むことでしょうか。
ディスカッションでは、各国のコミュニケーションの取り方の違いがよく表れます。たとえば、欧米の学生の発言率は非常に高く、「正しいか正しくないか」「人がどう思うか」は二の次で、自分が思ったこと考えたことをすぐ口にします。(一度口にしたら、どんな状況でも話を完結させる点で、非常に勉強になります。)一方アジア系の学生は、良く考え、他人の意見をよく聞き、相手がしゃべり終えてから発言するというコミュニケーション方法をとるため、クラスで飛び交う意見に入るタイミングや話のリズム、テンポをつかむことに苦労が生じます。しかし、ディスカッションを通して、自分の意見をはっきり表明するという力はついたように思えます。

ところで、男女格差といえば、一般に男女平等のイメージがあるフランス(少なくとも私はそうでした)でも、やはりまだまだ男性が社会的に優位にあるようで、たとえば、男女同じ役職だとしても男女に賃金格差が生じているようです。しかし、政治の世界において、男女不平等を修正するために、2000年に「候補者男女同数法」(パリテ法)という法律がもうけられました。この法律は、市長や議員の数は男女同じであるべきだとしています。
そして、2012年に「男女同数内閣」を実現させました。今月末には地方選挙があり、男女平等の観点からも注目したいと思います。

後期からは、CUEFAと並行して大学の授業も選択しています。大学の授業形式はCM(大講堂で、大人数で行われる授業)とTD(20~30人ほどで行われる少人数制の授業)があります。授業内容については以下の通りです。

・<フランス共和国成立の歴史>
フランス近代史を学んでいます。フランス革命に反対の立場であった、ジョセフ・ド・メーストルの「フランスについての考察」を取り上げ、共和国成立について、フランス人学生と机を並べ学んでいます。日本ではあまり研究されていない内容なので、貴重な経験になると思います。

・<文学「マリー・ド・フランスのレー」>
中世の詩人マリー・ド・フランスの作品を学んでいます。レーとは、12世紀後半に初めてつくられた古フランス語による詩の形式です。この形式を使って最初に物語を書いたフランス文学史上初の女性作家と言われているのがマリー・ド・フランスです。詩の世界を通して、中世フランス語を読み解き、フランス語の奥深さを学んでいます。

・<比較文学>
ジャン・バティスト・ラシーヌの「フェードル」とウィリアム・シェイクスピアの「オセロ―」を通し見える悲劇作品の世界を学んでいます。「フェードル」にはギリシャ神話への言及が多くあるため、ギリシャ神話並びにキリスト教文化への理解が必要とされます。
そのような意味でも授業を理解するのに必死ですので、時には、友人の助けを借りながら学んでいます。外国文献への「慣れ」とその読解力の向上というものは、勉強の幅を広げてくれるだろうし、様々な場面でいきてくるだろう思います。

・<フランコフォンについて>
「Activités culturelles proposées par le Service Culture」という、主に文化的教養を学べる授業があり、20科目ほどある中から一つ選択できます。(「ワイン醸造学」や「日本文化」など興味をそそられる授業が数多くそろっています。)現在私は「フランコフォンについて」の授業を選択しています。フランス語圏成立過程並びにその意義について、フランス語圏文学が専門の教授に習っています。クラスにはフランコフォンであるベトナムやアフリカ出身の生徒もおり、さまざまな意見を聞くことができるため大変興味深いです。

以上のようにフランス語の世界・フランス文化にどっぷりと浸かっています。もうすぐ試験も迫っているため、努力を惜しまず、精一杯取り組もうと思います。
さて、この異国の地での生活も終わりを意識せざるを得ない時期になりました。マルシェのパン売りのおじさんとはもうすっかり顔なじみになって、バゲットをおまけしてくれるようになったし、最初はむすっとしていたスーパーの警備員だって、優しい笑顔の持ち主であることを知ったし、それから夢だってときどきフランス語で見るようになりました。
こうやって、フランスという地に根付き始めたところだというのに、「帰国」の文字が頭をよぎるのは非常に寂しく、少々早足でやってきたノスタルジーを感じています。残り数か月、おそらく私は、シャンプーをあと半分くらい消費するだろし、掃除をあと10回くらいして、牛乳を8リットルくらい飲み、パスタを1キロくらい食べるのでしょう。誰がなんと言おうと、そうやって時間は過ぎていくのです。自分がどこにいて何をしているのか。
そういうなんでもないことを意識して一日一日を大切に過ごしていく次第です。
3月になり、ゴッホの絵の題材にもなったアーモンドの花が咲き始めました。アーモンドの木(armandier)は桜によく似ていて、ピンク色の小さなその花は、私を懐かしい気持ちにしてくれます。初めて異国で迎える春の到来を純粋に嬉しく感じています。
ホストマザーの飼い猫ミネット。試験前はとくに、猫になりたいと心底思います。

2015年2月5日

ここ数日ミストラル(南仏で吹く風)の影響で冷え込む日が続き、おまけに雪ときたものですから、私は見事に風邪を引いてしまい、こちらに来て初めて高熱で寝込む事態になってしまいました。自己管理の甘さを反省しております。その際ホームステイ先のマダムをはじめ、友人が心配してくれたり、動けない私のためにわざわざ食料を買ってきてくれたり、と人の優しさが身に沁みる日々でした。日大本部の皆様にもご迷惑おかけしたこととは思いますが、おかげさまで徐々に回復しております。ちなみに「沁みる」という漢字は的確に人の気持ちを表しているから、漢字ってすごいなと思います。いろいろな人に助けられて留学生活が送れているということ、それから何より健康が一番であることを実感しました。

さて、新年を迎えてからさまざまなことが起こった一か月でした。まず、パリで起きた「シャルリー・エブド誌襲撃事件」から始まり混乱の最中、ISILによる邦人拘束殺害事件は本当にショッキングな出来事でした。いま世界中を包む不安と悲しみを、ひしひしと肌で感じています。パリの事件以来、大学の正門には警備員が立つようになり、街中では、穏やかなアヴィニョンには似つかない、迷彩服を着て銃を持ったフランス兵が目に付くようになりました。「Je suis Charlie(私はシャルリー)」「Nous sommes Charlie(私たちはシャルリー)」を掲げたポスターが、大学、店の窓ガラス、郵便局、と至るところで見られるようになり、フランス人の友人たちのフェイスブックのプロフィール画像は、次々とその合言葉へと変わっていきました。個人主義であるフランスが「私たちは」と一致団結している様子はとても印象的でした。
フランスの風刺画に対しては首をかしげることも多々ありますが、時の政府や教会といった権力者を皮肉ったり、からかったり、迷妄を全部笑い飛ばすという、とてもフランスらしい立派な文化だと思っています。しかし、そう思う反面、事件のきっかけになったとされる風刺画に関しては、あまり好きではなかったし、私の主観では笑えるものだとは到底思えませんでした。フランス人の友人に「もちろんテロは悪だけれど」と述べたうえで、「でもこの風刺画ちょっとやりすぎじゃない?」と問いかけたところ、彼は一言、「でも、それが自由だから」と。なるほど「自由」に対しての認識の違いがあるのかもしれません。
たしかに、フランスの場合は、シャルリー・エブド誌の方針に賛成できない人、あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたこと、すなわち彼ら曰く「表現の自由」が侵されたということへの怒りがとても強いのに対し、日本の場合は、「テロは良くないが」という枕詞で始まり「でも表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは」との声が少なからずあったように思いました(日本の情報はたとえ日本語を避けていようともインターネットという文明の利器がある限り、どこからともなく入ってきます)。つまり、「自由」の定義も尺度も解釈も、文化によって違うということです。これだけ多くの文化が混ざり合う世の中、自分と異なる人種や文化、価値観を理解することは本当に難しいことでしょう。しかし、共感する必要こそないとは思いますが、自分と異なるものに出会ったとき「理解しようとする姿勢」は必要なことだ、と今回の一連の出来事から学びました。これはフランス語でいうところの「tolérance(トレランス)」ということなのかもしれません。以下、作家、池澤夏樹の言葉を引用したいと思います。
「tolérance というのはなかなか日本語になりにくい言葉だ。寛容とか寛大とか訳されるけれども、これらの言葉にはこちらが優位に立つという思いが透けて見える。罰を与えるべき立場にある者が猶予を与えているかのように響く。トレランスはそうではない。とりあえず自分の考えをかっこに入れて、そのうえで相手の思想や信仰を理解しようと努める。理解できない部分については判断を停止し、もう一歩先の相互理解を待つ。その忍耐を求める」(一度深呼吸をするように)まずは相手を受け止めること。理解しようと努めること。グローバルと言われる時代、そういった姿勢が大切であり、必要なのだと考えています。
さまざまな事が起こり、世界が良くない方向へ向かっている空気を感じますが、武力ではなく、知性と理性と文化で平和を守ろうとする人間でありたいと私は思っているし、また、そのような日本であってほしいと願っています。
街の中心にあるオペラで年に一度、バレエを無料で鑑賞できる機会があります。とても迫力があり素晴らしいものでした。公演終了後、バレエダンサーたちが「Je suis Charlie(私はシャルリー)」と掲げていました。
ところで、大学が休みの期間は、少し離れた町まで足を伸ばしたり、アヴィニョン近辺に住むクラスメイトの家を訪ね、自然の中を散策したり、食卓を囲んで他国の料理を楽しんだり、と勉強の気分転換になる、ゆったりとした贅沢な時間を過ごせたと思います。また、市民向けの日本語講座では、一クラスだけ授業を担当することになり、毎週悪戦苦闘しながらも、いかに充実した授業を展開するか、と試行錯誤を重ねています。フランス語を使って日本語を教えるということは、とても困難でありますが、面白くもあります。長年教鞭をとっている日本人講師の方の授業はとくに勉強になり、一語一句聞き逃すまいと、毎回必死です。

さて、新学期も始まり、CUEFA(大学付属語学学校)を継続しつつ、大学の授業に参加しています。大学の授業については、現在選択する期間に入りましたが、ここアヴィニョン大学に哲学科は残念ながら設置されていないので、自分の興味のある分野(とくにフランス文学・歴史)を学びたいと考えています。もちろんフランス語力向上にも努力を惜しまず力を注ぐ次第です。自分の興味に忠実に、残りの留学生活を有意義に過ごしていこうと思います。
クラスメイトの住むサン=レミ=ド=プロヴァンス(Saint-Rémy-de-Provence)を訪ねました。16世紀の医師・占星術師ノストラダムスの出生地であり、画家ゴッホが、この町の精神病院で療養していたことがあります。静かで自然が豊かで、澄んだ空気と青空が、いまなお脳裏に焼き付いています。湖のほとりでしたピクニックはとても贅沢なひとときでした。

2015年1月4日

新たな年が始まりました。おかげさまで、こちらに来てからの四か月間、特に大きな怪我もなく健康に毎日を過ごしています。この一か月は、師走という名に相応しく、大学、図書館、自宅間を行き来して忙しく過ごしているうちに、あっという間に過ぎていきました。とはいえ、週末には近くの町まで足を伸ばし、息抜きをするのも忘れませんでしたが。
最終試験も無事に終え、一学期を修了しました。今学期を振り返って思うことと言えば、言語の壁は想像以上に高いということです。つまり、思い知らされるのはいかに母語が自分に染み付いているのかということで、フランス語で同じ域に少しでも達するには果てしない時間が必要だろうということです。しかし、なにも悲観的になる必要はなく、そのことを受け入れたうえで努力すればよいのだと思います。人間ですから気分が落ち込むことも多々あります。それゆえ、自らへの励ましも込めて、今こうやって記述しているわけです。ただ、フランス語の知識(とりわけ文法)は渡仏前に学んでおいて本当によかったと実感しています。フランス語を使ってフランス語を教える利点は数多くあります。けれど一度波からそれると、どこまでも取り残されてしまう危険もあるのです。取れどかすめる情報の渦。日本から持参した文法書に何度助けられたことでしょう。

また、日々つねづね思ったことは、留学は言語を学び、その国の文化に触れるだけが醍醐味ではない、ということです。たとえば、授業中「フランスで有名な迷信を知っているか?」「フランスのノエル(クリスマスの意味)はどうやって過ごすのか?」と質問されて答えても、その先にはたいてい「日本にも同じような迷信はあるのか?」「日本にもノエルの文化はあるのか?新年はどうやって過ごすのか?」という質問が待っています。もちろん、渡仏前にフランスの文化を学んでおくことは重要です。しかし、留学生には一歩進んだ「自分の国の文化を伝える」力が求められているように思います。それは古典的・伝統的な日本の文化だけでなく、時には現代的・サブカルチャー的な日本文化の知識すら求められるのです。こういった自国を発信することも留学の大きな魅力だと感じています。
さて、来学期は語学学習の継続、それから大学の授業への参加を予定しています。現時点では、応用言語学部の文学の授業(LITTERATURE COMPAREE)、人文学部の歴史学の授業(SOCIETES ET CULTURES PROTESTAMTES, HISTOIRE CULUTURELLE DU CONTEMPORAIN)等を希望していますが、教務課の方と相談してから決めようと考えています。また、文献等の収集については、公立の図書館へ足を運ぶつもりです。というのも、大学の図書館において、フランス人教育学者オネジム=エドゥアール・セガン(Onézime-Édouard Séguin、1812~1880)に関する文献を現段階で見つけられていないからです。とはいえども、大学の図書館はとても広く、蔵書数は17万5千冊を超え、雑誌・新聞等1306種類以上、5800本以上のビデオ・DVDを有しています。村上春樹やよしもとばなな、三島由紀夫など日本人作家の著書も多く見受けられ、その人気を垣間見ることができます。加えて、司書の方々の対応は丁寧で、学習環境はとても良いと思います。

ところで、先日はノエル(クリスマス)を迎えました。家族で過ごすことが習慣とされるノエルですが、フランス人家庭に呼んでもらい食卓を楽しみました。正午から食前酒を開けたはずなのに、デザートを食べ終えたのは夕方5時頃、その間ずっと食べ続けていました。フランスではこういったことが時々起こり、どういう胃をもってしたらそのようなことになるのかは全くもって不明ですが、食文化の豊かさを感じます。
最後に、灯りについて。フランスの街灯は基本的にオレンジ色です。オレンジの方が白い光より遠くまで光が届くという理由もあるようですが、その色は火を連想させます。家の中も温かみのある光ばかりです。勉強する際は白い光の方がいいかとも思いますが、部屋はchambre(寝室)、つまり落ち着くためには、なるほど無遠慮な白い光でなく火のようなやわらかい色の方が良いのかもしれません。フランスにいて心が落ち着く理由の一つだと感じています。
南仏では12月に入ると教会や家庭でツリーだけでなくクレッシュ(crèche)を飾ります。クレッシュはイエスの誕生を再現した模型のことです。各教会や家庭でその大きさや人形の形も異なり、それぞれとても味わいがあります。

2014年12月4日

いよいよ2015年が終わると思うと、月日の流れは本当に早いものであるなと感じると同時に、自分がフランスにいる意味をもう一度見つめ直さなければならないと考えています。
最近は、試験が続き、慌ただしくも充実した毎日を送っています。フランス語については、よく海外経験者のいう「三か月を過ぎたあたりから聞き取れるようになる」ということを、身をもって実感としているところです。三か月目を迎える少し前頃から、フランス人教師の言っていることがすんなりと耳に入ってくるようになり、フランス語を日本語に解すことなく、そのまま意味で理解できることが増えたと感じています。これは先日映画鑑賞をした際にも実感したことです。劇中で交わされるフランス語のジョークに、笑っている自分がいることに気が付き、驚きました。どうやら一歩一歩、petit à petit、確実に前には進んでいるようです。ちなみに、映画に関していうと大学の図書館内にあるオーディオスペースを頻繁に利用しています。DVDを鑑賞することはもちろん、借りることも可能です。また、町の映画館にもたびたび足を運びます。学割だとだいたい5€(約740円)で映画を見ることができるので、見たい映画があれば積極的に行くようにしています。
読解力についても、少しずつ上がっていると言えます。フランス人教育学者オネジム=エドゥアール・セガンの著著を原語で読むことは、私の目標であるため、フランス語の文章に慣れること、つまり読解力を向上させることはとりわけ重要なのです。教科書を読むこと以外に、雑誌や本などの活字にも定期的に触れるようにしています。実際のところ、大枠を理解するだけならばある程度可能ですが、単語の問題に直面します。活字を追っているときわからない単語に出会うたびに辞書で調べていると、雑音になってしまうので、文脈内でよほど重要そうな単語でない限り、辞書を使わないようにしています。それでもやはり辞書は手放せませんが。
ところで、私は自己主張というのがあまり得意ではありません。というのも、日本の教育にどっぷりと浸かっていたため、受け身の教育に慣れていたからです。しかし他国の学生と机を並べていると、そういった受動的な態度はよしとはされないのです。最近思うことは、他者の目を気にして意見を言わないとか議論をしないというのは、学ぶものとしての責任放棄であるということです。なぜなら、黙っていても語学力の向上は望めないばかりか、そこからは何も生まれないからです。たしかに、外国語で話すとなると、おそらく日本人にとってはとくに、ハードルが高くなるでしょう。しかし、「間違いを恐れない」というのは、使い古された言葉ではありますが、正しいと思います。「会話であるのなら間違ったってなんだっていいじゃないか。間違えたって、話し続けてればなんとでもなる。話さなきゃ何も始まらないよ。」という姿勢は、文法が間違っていようが途中で詰まろうが、フランス人相手にさえ話す隙を与えない、スペイン人から学びました。
学外での活動はといえば、市民向けの日本語講座において、日本人講師の方のアシスタントをしています。これが毎回、日本語についての新たな発見がありとても面白いのです。
たとえば、あげる・もらう・くれる(授受動詞)の使い分けなどは、日本語話者には意識されませんが、外国人からしたら、もう本当にややこしいものだと思います。私が外国人であったらこの言語を学ぶことは御免だ、と思うでしょう。とはいえども、日本語を第一言語として持っていることは、幸運なことなのだろうと感じています。
こう毎日言葉に向き合っていると、その面白さや、むずかしさ、危うさを感じます。そして改めて言葉の大切さに気付くのです。人間は言葉と共に生きてきました。遠い昔から、何もないところに言葉を生み、その言葉をもって神を描き、物語を造り、あらゆるものに意味を与え、名付け、結びつけてきました。形あるものはすべていずれ消えていくなかでもなお、その営みを続けてきたのです。そういう歴史の上に私たちは立っているのではないでしょうか。現在世界にあるたくさんの語彙は、先人たちからの贈りものです。どうやら私は、フランス語を始めてから言葉に対して敏感になったようです。
さて、今後の課題は、引き続きフランス語力の向上と専門分野に向けて理解を深めること、それから思考の整理をすることです。今までの学習の成果をかたちにできるよう鋭意取り組んでいくつもりです。
ここ最近雨が続きましたが、ときどき訪れる雨上りの時間は美しくて、こんな日もいいなあと思いました。

2014年11月3日

アヴィニョンに来てから二ヶ月が過ぎました。11月に入ってから一段と寒くなり、朝に飲む熱すぎるコーヒーが、もっとも美味しい季節になりました。こちらの生活には、もう本当に慣れてきて、住む(habiter)という動詞が、慣れる(s’habituder)という動詞に似ているように、非日常だったものが、日常になっていることを感じます。
CUEFA(大学付属の語学学校)での授業は、エクスポゼ(プレゼンテーション)をする機会があります。もちろんフランス語で。今回のテーマは「母国について」でした。
フランス語を使って人前で話すという機会はそうないのでとてもいい経験になります。日本を紹介する上で最も困難だったことは、言語についてです。自分の言語について疎くなるといった灯台下暗しはどの言語だってあるでしょうが、そういう問題を越えて、日本語は説明が難しいと感じます。漢字・ひらがな・カタカタといった、一つの言語において複数の文字を持つ言語というのはとても珍しいのです。結局言語については、クラスメイトに理解してもらえたのか、もらえてないのかは不明ですが、プレゼン中もっとも盛り上がったのは日本のアニメ文化を紹介しているときでした。日本のマンガやアニメーションの影響力の大きさは、こちらに来て本当に目の当たりにしています。時には言語を超える最強のコミュニケーションツールになっていて、友人を作るきっかけとして、その恩恵を大いに受けています。クラスメイトの発表も大変興味深いものでした。エストニア出身のリーは英語を流暢に話す、笑顔のかわいらしい女性です。失礼ながらも、彼女の母国エストニアについては、「寒そう」くらいしか印象にありませんでしたが、彼女のエクスポゼのおかげで、エストニアについて知ることができました。語学学校の醍醐味はこういうところにあると思います。他の国のことが知れるということ。こうやって書くと月並みの言葉になってしまいますが、他国の人と出会い、彼らと時間を共有していくと、その人が生まれ育った国、その人の家族がいる国、たったそれだけで、その国のことが好きになってしまうのです。
授業で苦労することと言えば、「文法はある程度できるが、聞き取りと会話が苦手」という、日本人の陥りやすい問題に今まさに直面しているところです。フランス語から言語的距離が遠い日本人は、やはり愚直に文法を覚え、単語を覚え、一歩一歩習得していくしかないのでしょう。これに対して、言語的距離が近い欧米人は、隙だらけの文法でもスムーズに会話が出来てしまいます。よく聞いてみると、案外めちゃくちゃなことを言っていたりしますが、それでも通じてしまうから不思議です。アルファベット文化で育った彼らには、私には聞こえない音が聞こえるのだろうし、私には出来ない方法で文章を構築し、発しているのだろうと思います。けれど、私たち日本人にとって決して不幸なことばかりではありません。癖の強い母語をもつ人々のフランス語はたいてい各国の訛りが現れますが、その点で日本人は有利です。なぜなら日本語もフランス語と同様に平坦な言語のため、フランス語の流れるようなリズムをそのまま受け入れることが出来るからです。そうは言ってもやはり、日本語に比べてフランス語の音の数ははるかに多いので、発音に関しては苦労が多いのは事実ですが。

先週はバカンス期間を利用して、マルセイユに行ってきました。今回私は、とても面白い体験をしました。この旅行自体がどうこうということではなく、旅行を終えてアヴィニョンに到着したとき、自分の部屋に戻ってきたとき、あるいはホストマザーの顔を見たとき、「ああ、帰ってきたのだ」という安堵感を覚えたのです。これは大変興味深いことだと思います。というのも、わずか数か月前まで知らない場所だったのに、今や自分の一部のようになっていて、いつの間にか「自分の帰るべき場所」になっているのです。人間の適応能力というのは良くできたものだと感心します。と同時に、物理的に移動し、日常から離れることで、新たに見えてくるものがあることを実感しました。
マルセイユの港から船で20分のイフ島に行きました。イフ島にあるイフ城は、かつて牢獄でした。アレクサンドル・デュマ・ペールの「モンテ・クリスト伯」の舞台として有名です。空高く自由に飛び回るカモメが、牢獄とは対照的でとても印象的でした。

2014年10月5日

フランスで生活を初めてから1ヶ月が過ぎました。到着した頃よりも肌寒さを感じることが多くなり、相変わらず日差しの強さは変わりませんが、季節の変化を感じます。
大学付属の語学学校での授業では、初中級のクラスで勉強をしています。クラスメイトは私を含め7名で、国籍は皆バラバラです。それぞれ様々な目的を持ってここアヴィニョン大学に集まりましたが、「フランス語を学ぶ」という点では同じです。むしろそれだけが共通点ではないでしょうか。フランス人と結婚し、フランスに住むために語学力が必要になったロシア人、キューバに住んでいたが、大学に入るためにフランス人の叔母さんのところにきたスペイン人、ワインの勉強をしにアヴィニョンにきた中国人。
日々ビザの関係で人数が増えていき、とても賑やかなクラスです。来週は、毎月行われる試験がある週なので、ややピリピリしているかな、という感じですが。
朝、大学に到着すると「Bonjour!(おはよう、こんにちは)」「Salut!(親しい友人に対してこんにちは、またはさようなら)」から始まり、そして次に「Ça va?(元気?)」と毎回決まり文句のように相手と言葉を交わします。フランス語というのは、挨拶に優れた言語のように思えます。例えば、フランス語で感謝の言葉は「Merci」ですが、これは短くて言いやすいため、もう口癖のようになっています。それから、別れの際「Au revoir (さようなら)」 の代わりに「Bonne journée!(よい一日を)」や「Bonne soirée!(よい夜を)」とよく言いますが、これもやはり言いやすく、お互いが気持ちの良くなる明るい言葉です。ご飯を食べる時には決まって「Bon appétit(ボナペティ)」と言いますが、これは「いただきます」にも「召し上がれ」にもなり、食卓を明るくしてくれる魔法の言葉です。なにより響きがとてもかわいらしい。ただ、日本語では当たり前の挨拶、「お疲れ様」とか「よろしく」になかなかフランス語にしづらいのもまた事実ですが。それから、フランスの習慣で「ビズ」というものがあります。友人に会ったとき、お互いの頬を軽く合わせ、口先で「チュッ」と音を発したりするもので、男女でも同性同士でも行います。私は最初こそ戸惑いましたが、今ではとても大好きな挨拶の行為です。なぜならビズは、友人同士の距離をより一層縮めてくれるからです。
さて、フランス語コースの授業以外では、部活動に参加したり、様々な文化講座に出席したりしています。先日からは「日本文化」の授業に出席しています。というのも、フランス人からみた日本文化について興味を持ったからです。事前登録では満席で登録できませんでしたが(日本文化へ強い関心を感じます)、当日教授と交渉し参加できることになりました。授業内では「根付(ねつけ)」について取り上げられていました。
「根付」とは江戸時代に、煙草入れ、印籠などをひもで着物の帯から吊るし持ち歩く際に用いた留め具のことです。私自身「根付」という言葉自体知らなかったため、日本文化の新たな一面に出会いました。さらに、コーラスの授業では、日本の童謡「さくら」を合唱しました。日本人は私一人だったため、歌詞の情景を浮かべながら歌ったのはおそらく私だけだったでしょう。このようにフランスにいながらにして、日本を感じることができるのは、大変嬉しいことだと思います。

先週末は、「ファーブル昆虫記」の著者であるファーブルの家を訪れました。ファーブルはアヴィニョンからそう遠くない、セリニャンという小さな村で晩年を過ごし、昆虫研究に没頭しました。日本ではファーブルと言うと有名すぎるほど有名な人物ですが、フランスでは日本ほど広く知られてはいないようです。幼い頃に読んだ本の著者の家に訪れるチャンスが巡ってくるなんて、まさか思ってもいませんでした。ファーブルは真実に対して真摯な人物だったと思います。ファーブルは先行研究に対して疑問を抱きます。そこに描かれている洞察や推理が、聞き伝えられたものかもしれないと疑い、またそれは事実そのものを冷静に分析して得た結論ではなく、憶測であるかもしれないと疑い、ファーブルは、ちょっと待てよ、と踏みとどまります。即断や、安易な決め付けなどはせずに、きっちりと事実を丹念にひろいながら、その事実から導き出される確かなものこそを、ファーブルは知ろうとするのです。「見ることは知ること」と彼が言ったように、自分の目で見たことだけを信じる、それ以上のことは確認できていないというのがファーブルの姿勢です。私は、ファーブルのこの姿勢こそ現代人が持つべき視点かもしれない、と思うのです。というのも、何もかも出来上がっている(ようにみえる)現代社会では、「疑う」という思考はおそらく持ちにくいでしょう。インターネットが発達し、現代人は自らの身体で見聞きしなくとも、何もかも知った気になっているように思います。しかし、本当にそれでいいのでしょうか。深く考えることはなくなり、本能が、感覚が鈍っていっているいのではないか、と感じることがあります。何も考えなくても生きていける社会になっているから、本当は何も考えずに生活するのが正解かもしれません。けれども、私はそうでありたくはない。自分の目で確かめに行きたいし、目の前にある現実の世界を見て生きていきたい、と思うのです。ファーブルという人物に再び出会い、そんなことを考えた週末でした。ひとつ心残りなのは、職員の方が解説をしてくれたのに、私の聞き取り能力のせいで100パーセント理解できなかったことです。しかしながら、ファーブルの部屋は昆虫への情熱で溢れているのを感じました。
その情熱は大切に確実にフランスの小さな村で引き継がれています。
ファーブルの家。家の周りは林のような大きな庭があり、静かで、たくさんの自然で溢れていました。温かい日差しが降りそそぎ、家のオレンジ色がとても映えます。

2014年9月4日

アヴィニョンに到着してから、一週間が経ちました。ホームステイ先のマダムの運転でアヴィニョンの中心街を初めて見て回ったときは、美しい街並みに思わずうっとりとしてしまいました。
14世紀に建てられた法王庁宮殿、それを囲うように建てられた城壁、かの有名なアヴィニョンの橋、数々の歴史的建造物がこの町を彩っています。のんびりとしたアヴィニョンの雰囲気は到着したその日から好きになりました。
住居は、幸運なことに前年度交換留学生の方のあとを引き継ぐような形で、ホームステイ先を見つけました。70歳近いマダムと、大人しくて気まぐれな黒猫と暮らし始めたところです。マダムはとてもその年齢とは思えないくらいエネルギッシュな方で、「A bientôt !(またね!)」と言って今週から旅行にいってしまいました。週末には帰ってくるそうですが、出会って一週間も経たない、見ず知らずのアジア人に家を任せるなんて、おいおい大丈夫なのか、とツッコミを入れそうになりました。人への信頼度が高いのか、ラテン気質の楽天的思考なのか、マダムの大らかさゆえのものなのかはわかりませんが、いずれにせよこちらの方は自由に生きているという印象を受けます。
大学では、先日留学生の交流会があったので参加してきました。20名ほどの学生が集まりましたが、欧米の学生が大多数でアジア系は私と台湾の学生の二名でした。皆、たどたどしいフランス語で交流し、情報を交換したり、お互いのことを話したりしました。欧米の学生のフランス語能力は格段に高く、刺激をうけたと同時に、闘争心のようなものも込み上げてきたので、他国の学生と切磋琢磨しながらこれから頑張っていこうと思っています。
気候は、太陽の日差しがとても強いのですが、涼しい風がよく吹くので、気持ち良く過ごせます。ミストラルと呼ばれるその風は、ときにかなりの強風になり、羽織りものなしでは震えてしまうくらい気温が下がります。一昨日は一日中その強風が吹き、夜中家を叩きつける音に恐怖を感じずにはいられませんでした。不運にもマダムは不在だったため、精神的に厳しい夜となりました。

昨日は、アヴィニョン大学から日本大学へ前年度交換留学生として来ていた友人の家にホームステイしました。家族内で交わされる会話はとても速いうえに、複数人のやりとりなので、聞き取るのに精一杯でしたが、自分の発するフランス語が複数人に伝わるという喜びを感じ、とてもいい経験でした。しかしそれ以上に、伝えたいことをどのように伝えたらいいか、伝達手段を知らない、つまり言語を知らない、という困難が生じたことの方がはるかに多くありました。とはいえども、その経験ができたことは大きな収穫だと思います。なぜなら、人が言語を生み出したまさに出発点に立ったと思うからです。人間が社会生活を営む上で、他者との共有化、伝達は必須なものです。伝えたいことを伝える、そのために生まれた手段が言語です。ところが私はこの土地におけるその手段を知らない。幸い、現代には言語という道具はすでにあるので、あとは習得をすればよいのです。伝達したいという欲求はあるがその手段を知らない、というジレンマを感じ、更に努力しようと決心した夜でした。
学習状況については、単語帳を用い、毎日規則的に暗記してはいますが、実際の会話の中で出てきた単語をメモし、そのあと辞書で調べ覚える、というスタイルの方が記憶に定着されやすいということが分かります。やはり実体験を通した学びの方が成果は得られるのでしょう。今後も様々な人と関わり、学びを深めていこうと思います。
「アヴィニョンの橋で~」という歌で有名なサン・ベネゼ橋です。毎日観光客が途絶えることなく、世界中から愛されている橋です。歩行者と騎馬通行者のために作られた橋だそう。そのため橋の幅は狭く、歌にあるように、橋の上で輪になって踊るのは不可能です。