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留学・国際交流

国立台湾大学 高橋成美さん(文理学部)

国立台湾大学交換留学を終えて

私は日本大学本部の交換留学制度で、大学3年の8 月から国立台湾大学で1年間学びました。
私にとってこの1年は、忘れられないかけがえのない経験となりました。
国立台湾大学は世界中からたくさんの学生が集まります。授業では主に中国語を使いますが、友達とご飯を食べたり遊んだりするときなど日常会話は英語を使うことも多いです。留学生活の初めの1ヶ月は、中国語も英語も自信がなかったため、話すことさえも億劫だと感じてしまいました。そのため、ディスカッションの時など私がなかなか発言できないにもかかわらず、討論はどんどんと進んでいき、結局あまり参加できないまま終わってしまったり、討論に参加していた子に顔を覚えてもらえなかったりと、落ち込むことが多々ありました。その度に何のために留学しに来たのか自問自答を続けていましたが、「ずっと恥ずかしいと思っていたら、いつまでたっても中国語も英語も上達しない!日本人だから中国語も英語も完璧にできなくても悪くない」と割り切ることにしました。すると、自然と心が軽くなり、国籍の違う人々とコミュニケーションを取ることを単純に嬉しいと感じられるようになりました。また日本語学科があるため、その学科の学生と言語交換することで、自分の中国語力を効率よく磨けます。さらに同世代の外国人が日本に対してどのように思っているのか直接知る機会も多くあり、とても新鮮でした。国立台湾大学は英語も中国語も上達でき、学生がそれぞれ持つ勉強したい事を学べるフィールドがきちんと用意されている素晴らしい環境でした。
また大学の留学生に対するサポートがとても手厚いです。留学生は大体同じ寮に住むのですが、そこはロビーには24時間警備員がおり、出入り口は全てオートロックで、とても安全です。仮に寮でトラブルがあっても、寮母さんやロビーの人に言えばすぐに解決します。一人暮らしが初めてだった私にとって、とても心強かったです。また、クリスマスやテスト前になるとロビーでお菓子が配られたり、定期的に服や雑貨のフリーマーケットや料理教室が開催されたりするため、寮生活は毎日本当に楽しかったです。
大学の授業は留学生対象の授業と本科生の授業がありました。私が取った留学生対象の授業は毎日2 時間行う中国語の授業と台湾の自然や歴史などを英語で学ぶ授業で、本科生の授業は中国語で行う中国哲学の授業です。最初は外国語で授業を受けることに少し違和感がありましたが、2.3 回受けると完全に慣れました。しかし、どうしても聞き取れなかったり理解できないところが出てくるので積極的に教授や同じクラスの学生に聞いたりしました。結果無事に単位を取得することができました。
留学は決して楽しいことばかりではありませんでした。台湾に着いた瞬間は初めて訪れた国でこれから始まる留学生活に胸が高鳴りました。ですが、空港を1歩出ると中国語で溢れかえり、寮に行くためのタクシーに乗っても、運転手さんになかなか自分の中国語が伝わらず、先ほどの胸の高まりとは逆に不安に押しつぶされそうになりました。日本大学から派遣されたのは私だけでしたので、寮についても当然友達もおらず、さみしさと不安のあまり寮のロビーの隅で友達に泣きながら電話したことを今でも鮮明に覚えています。しかしこの悔しさを乗り越えたことによって、行動力がつき、何事にも積極的に取り組めるようになりました。留学生活が半分終わった頃に、父親が私に会いに台湾に来ました。その時私に「頼もしくなったな」と言ってくれました。
その言葉は、私に辛いことや悔しいことなど色々あった留学生活は全て無駄なことではなく糧になっていることを気づかせてくれ、とても嬉しかったです。辛いことや悩むことはありましたが、それ以上に貴重な経験ができ成長できた留学でした。私は大学という比較的時間に余裕があり勉強したい事が明確にわかっている時期に留学を経験できて、本当に良かったと思います。この経験は間違いなく一生忘れられない素晴らしいものです。留学終わって、またこれからも自分の道を精一杯頑張って進もうと思います。私にこの貴重で素晴らしい経験をさせてくださった日本大学に心から感謝します。ありがとうございました。
港町、基隆にて

2013年12月

12月になりました。私にとって2013年は本当に激変の年でした。3月入って台湾留学が決まってから色々準備をしてきましたが、あっという間に留学も折り返し地点が見えるまでに来ました。私は中国語を専攻していたため大学に入学後ずっと中国語を勉強してきましたが、台湾に来てからもやはり毎日語学の壁にぶつかっていました。語学の壁を感じることは留学をしないと感じられず、留学の醍醐味と言われればその通りですが、時として辛く思うこともありました。しかし、海外で長期間自分の好きなことを思い切り勉強できる機会はそうそうないので、残り半分も有意義に過ごせるよう頑張りたいと思います。
12月に入り、9月から来年3月までの6か月間、国立台湾大学で教鞭を取っていらっしゃる文理学部中国語中国文化学科の山口教授の授業を何回か聴講しました。台湾大学で台湾大学の学生たちと日本大学の先生の授業を受けることはとても新鮮でした。山口教授の授業の1つが日本文学、主に転向文学についてでした。日本語で行う授業のためもちろん私は理解できましたが、台湾大学の学生たちもしっかりと理解しており、さらに、1930年代に書かれた少し古い日本語の文章もすらすらと読んでいるのを見て衝撃を受けました。
彼らの中には日本語学科の学生も多くいましたが、理系の学生が日本語で摂氏と華氏の説明していたのを見た時にはとても感動しました。台湾にいながら日本語をここまで話せる台湾大学の学生の能力の高さに圧倒されたと同時に自分も中国語の勉強を頑張ろうと強く思いました。
12月26日、山口教授が主催した台湾大学と日本大学両校の教授が参加するシンポジウムを聴講しました。このシンポジウムの大きなテーマは「文学と映像メディア」で、発表する先生方はそれぞれ自ら決めた主題について話すという形で行われました。中には文理学部国文学科の教授もいらっしゃったため、日本文学からの視点と台湾文学からの視点の両方からの意見やアプローチを聞ける貴重な機会でした。私は台湾に来る前、外国人が日本文学について話すという機会に出会うことが一度もなかったので、台湾大学の先生方が日本文学にも触れながら自分の意見を展開していることにとても刺激を受けました。
1月の正月休み(台湾は旧正月がメインのため元日しか休みがありません)が終わるとすぐに期末試験が始まります。期末試験が終わると約1ヶ月間の春休みに入ります。春休みを楽しみに試験勉強頑張ります!!
台北市内にある陽明山からの景色。
台湾で人気の黄色いアヒル。雨にもかかわらず大賑わいでした。
故宮博物館。台湾の大学生は入場料無料。

2013年10月

1つ110元(330円)ぐらいです。

台湾に来て2ヶ月が経ちました。8月、9月の台湾は日本ほどの湿気はなかったのですが、肌がすぐヒリヒリ痛くなるくらい日差しが強かったです。しかし、一転、10月に入り朝晩は少し涼しく感じられるくようになりました。とはいえ、亜熱帯の台湾では、肌を出して出歩くことが多いため、虫によく刺さされます。私が台湾の蚊に対する免疫がないためなのか、5箇所刺された足首はみるみるうちに太さが変わるほど腫れてしまいました。
台湾人の友達に相談したところ、綠油精という薬を勧められ、塗ると数日間で腫れが引きました。台湾の虫刺されには日本の薬よりも、やはり現地の薬が効くことを実感しました。
綠油精はハッカ油のようにすっきりとした香りの緑色の油で、虫刺され以外に鼻づまりや頭痛にも聞くという万能薬です。台湾の薬局には必ずと言っていいほど置いてあります。
なお、台湾には、日本の薬を専門に置く薬局もあり、もし体調を崩しても、日本にいる時と同じように日本の風邪薬や胃薬などが簡単に手に入ります。

授業が始まって1ヶ月が経ち、授業に慣れたので、気持ちにも余裕が出てきました。余裕が出てきたからなのかもしれませんが、自分が過ごしている時間の使い方は間違っていないだろうか、中国語をもっと話せるようになるにはどうすれば良いのだろうか、と悩むことが多くなりました。現在、火曜日と木曜日の中国語の授業では、主にスピーキングを中心に学んでいます。授業では毎回3~4度当てられ、質問に答えたり意見を求められたりします。クラスの学生たちは皆すらすら答えられるのですが、私はどうしても言葉に詰まったり文法を間違えてしまったりと、話すことに対し苦手意識があります。また、先生も学生たちが外国人だからといって話すスピードを緩めることはなく、聞き取るのも一苦労です。そのため、極力、台湾人の友達と一緒に時間を過ごすようにしたり、日本語学科の学生さんと言語交換を始めたりしました。最近は、少しずつリスニング力、スピーキング力がついてきたなと感じていますが、自分の理想とするレベルには比べたらまだまだ及ばないので、これからも毎日少しずつ鍛えていきたいです。
10月10日は「國慶節」、台湾の建国記念日でした。中正記念堂で特別な衛兵交代式を行うと聞いていたので、台湾人の友達と日本人の友達など総勢10人ぐらいで中正記念堂に行きました。中正記念堂は国民党の故蒋介石総統を記念して建てられたモニュメントで、同じ敷地内には国家音楽庁、国家戯劇院もあります。
自由廣場と書かれた門
ぞろぞろと列をなして集まる人々
中正記念堂につき、交代式が見えやすい国家戯劇院の階段に座ってみんなで話しながら始まるのを待っていたら、続々とハチマキをして旗やらのぼりやらを持った人が集まって来ました。30分ほどで、89歳で亡くなった蒋介石の年齢と同じ段数ある中正記念堂の階段がびっしりと人で埋め尽くされました。そして、みんな一斉に同じ言葉を叫んでいました。離れた場所におり、また、あまりにも多くの人々が一斉に叫んでいたため何を言っているか正確には聞き取れませんでしたが、この光景があまりにも衝撃的すぎて、すぐに台湾人の友達に何が起こっているのか聞いてみました。友達曰く、今の台湾の総統である馬英九氏に対しての抗議活動ということでした。確かにのぼりには馬英九政権に対する不満や失脚を希望する文章ばかりが書いてありました。このデモの影響で予定されていた衛兵交代式は中止になってしまいました。私はせっかくの國慶節なので総統府では何かやっていないかと思い、総統府に向かうことに決めました。しかし、総統府もデモを警戒しているためか警官隊が出動し、総統府周りを囲んでいたため中に入るどころか総統府を遠目で見ることしかできませんでした。
階段にびっしりといるデモ隊
1時間に1回行われる普通の衛兵交代式
警官隊に囲まれる総統府
少し異様な雰囲気でした
10月第2週目の日曜日に授業の一環で福山に行きました。福山は宜蘭と新北市の境にある敷地面積約410ヘクタールを誇る台湾最大級の植物園です。自然保護のために、1日の見学者数を300人までに制限しています。いつも台北市内にいるため自然に触れる機会が少ないため、とても楽しみにしていました。
福山の中を歩いていると野生の猿やカワセミを見ることができ、台北101がある同じ台湾だとは思えませんでした。台湾人のガイドさんに連れられて植物園の中を歩きながら、他の国から来た交換留学生たちと中国語で話しました。世界各国の大学生と同じ授業を同じ言語で学べるという留学でなくてはできない経験を毎日できていることが本当に楽しいです。お互い母国語ではない言語を使ってコミュニケーションを図り、通じ合ったときは毎回言語を学んでいて良かったと感じます。
8、9月に比べ充実した日々を送っているためか、月日の流れが早いなと感じ始めています。限り有る留学期間をより有意義に過ごせるよう頑張りたいと思います。
台北市内に比べて気温が低く感じました
猿が食べた後の木の実が落ちていました
散歩道も整備されていました

2013年9月

猫空から見た台北市内

8月4日に台湾に来て、1ヶ月が経ちました。8月は台湾大学のサマープログラムに参加しました。サマープログラムには3つのコースがあり、私は中国語と台湾の文化を学ぶコースに所属して1ヶ月間、毎日中国語の授業を受け、台北市内の観光名所を巡りました。
サマープログラムには、大陸から来た中国人や日本人の他にドイツやフランスなどの欧米人やアメリカ在住の華僑などが参加しており、彼らとは英語や中国語を使ってコミュニケーションを取っていました。それぞれ様々なバックグラウンドを持っているため、会話をとおして多くの発見や驚きがあり、とても刺激的でした。

キャンパス内の椰子の木通り

台湾にいる間は大学の学生寮に住みます。私が住んでいる寮はキャンパスから歩いて5分のところにあり、比較的新しく綺麗な寮です。私の部屋は1人部屋なのですが、思ったよりも広く、冷蔵庫や本棚、クローゼットも完備しています。1階の入り口はオートロックかつ、ロビーには24時間管理人がおり、初めての長期間の海外生活でも安心です。
9月からは本格的に交換留学生としての生活が始まりました。交換留学生は毎日中国語の授業を受講することができます。月水金は一般的な中国語のコースで、指定された教科書に沿って授業が行われます。火木は応用コースで、より実践的な内容を学びます。学期の初めに中国語のクラス分けテストが有り、私は毎日朝8時から2時間中国語の授業を受講しています。中国語の授業以外には,東南アジアの歴史と台湾の自然に関する授業を履修しています。
国立台湾大学の施設や設備は日本のどの大学にも負けないほど素晴らしいものです。メインキャンパスは台湾の国土の1%を占め、その中で3万人の学生が勉学に励んでいます。
授業が終わると図書館に行って勉強することが習慣となっているのですが、館内には中国語の本以外にも英語はもちろんのこと、日本語や韓国語の本も豊富にあり、とても充実しています。また、キャンパス内にはテニスコートのほか、バスケットコート、サッカーグラウンド、野球場、プール、卓球場などありとあらゆるスポーツ施設が揃っています。
これからここで留学生活が送れると思うとうれしくてとてもワクワクします。台湾大学で1年間精一杯頑張りたいと思います。