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教育の特色

インタビュー

Interview 各界で活躍する卒業生たちを紹介! 脚本家 1981年度芸術学部放送学科卒 中園 ミホ さん Miho Nakazono

あなたが目指す夢に一歩でも近づけるように、日本大学では総合大学ならではの多彩で気力的なカリキュラムを用意し、自ら考え、自ら行動し、自ら創造する「自主創造」の力を養います。ここでは、日本大学で身につけた「自主創造」の力を発揮しながら、各界で活躍する卒業生を紹介します。

学生時代の出会いが教えてくれた「好きなことをやり続ける人生の面白さ」

「日藝」の個性的な教授陣や学生に魅了された4年間

 日本大学第二高等学校でちょっとはみ出し気味の高校生活を送っていた私に、担任の先生が「ぴったりの学部がある」と推薦してくれたのが芸術学部放送学科でした。私のひん曲がった個性を曲がったまま伸ばしてくれる学部だと考えてくれたのでしょう。
 ところが入学してみると、高校ではみ出していた私が、地味でぱっとしない平凡な人間だといじけてしまうほど、周りは個性的でクリエイティブな気配を漂わせる人ばかり。入学式の日から4年間圧倒されていたように思います。
 各界で活躍している教授陣も個性的な方が多く、広告業界の重鎮だった故・天野祐吉先生の講義はとにかく話がおもしろく、マスコミの表現というものに私の目を開かせてくれました。また、放送劇作家の故・西澤實先生は、教壇を所狭しと走り回り、エンターテイナーとしても学生たちを魅了し、当時の中講堂を満員にするほどでした。私は欠かさず講義を聴き、先生方の姿に「なんて面白い人生があるのだろう」と感動しました。
 卒業論文は、1時間ドラマの脚本を提出しました。大学2年生だった19歳で母を亡くし、その時の衝撃的な思いを物語に仕立てた『母の諡(おくりな)』です。最初から最後までお葬式を舞台にしたドラマで、映画監督の伊丹十三さんの『お葬式』が発表される前のこと。卒業論文の審査員の先生が「場面をお葬式だけにしたのがよかった。あなたは脚本を書き続けた方がいい」とすごく誉めてくださいました。いま思えば、あの時が脚本家への道のスタートだったのかもしれませんが、卒業後は天野先生に影響されて広告代理店に入社し、その後さまざまな職業を経験してたどり着いたのが、脚本家でした。

好きなことを続けている、輝いている人との出会いが、私の人生を変えた

 テレビ局や取材先で、「ジュリー」と呼ばれることがあります。これは、学生時代に歌手の沢田研二さんに似ているという理由で付けられたニックネームなので、そう呼ぶ人はみんな日藝出身者なんです。懐かしい人たちがドラマ制作のスタッフや、さまざまな現場でカメラマンなどで活躍しているんです。「ジュリー」の頃の私を知らなくても、日藝出身と分かれば、一気に距離が近くなる。あの頃同じ空気を吸っていたと思うと、家族のような感じがしますね。
 また、芸術学部以外で日本大学のつながりを強く感じたのが、ドラマ『はつ恋』でした。現在日本大学医学部長の髙山忠利先生は高校時代の先輩。ある時、先生の講演を聴き、肝臓外科医に興味を持ったことがきっかけで書いた脚本です。多忙な中でも時間を割いて、高校・大学の後輩にあたる私の取材にお付き合いくださり、外科医の人間像や医学部時代のお話などが下地になりました。『はつ恋』と『Doctor-X 外科医・大門未知子』の2本の医療ドラマで、幅広い年代の方に認知していただき、脚本家に贈られる重要な賞である向田邦子賞を受賞できたのも、日本大学のスケールがあってこそのご縁なのだと、感慨深いものがあります。
 日藝には好きなことをやり続けている学生や先生がいて、「なんて面白そうな人生なんだろう」と感心して、私もそうありたいと強く思い続けてきました。どの学部であっても、そんな人はいるはず。その出会いが、きっとこれからのみなさんの人生を面白くしてくれると思います。

profile

1959年東京都生まれ。卒業後、広告代理店勤務などを経て脚本家に。1988年『ニュータウン仮分署』でデビュー。代表作に『For You』『anego』『ハケンの品格』『花子とアン』など多数。2015 年4月放送開始の『Dr.倫太郎』の脚本も手がける。『はつ恋』『Doctor-X 外科医・大門未知子』で第31回向田邦子賞を受賞。2010年度から日本大学芸術学部客員教授を務める。