TOP

留学・国際交流

ベルリン自由大学 鈴木梨那さん(文理学部)

ベルリン大学交換留学報告書

この一年、留学を通して得たことは沢山ある。大学や寮で色々な国から来ている人たちと話し合っていくうちに、自分がいかに無知であるかを認識した。そして日本人の学生と海外の学生の意識の差が大きくあることをひしひしと感じた。

その顕著な例が政治についてである。昨今、日本人の若者の政治についての関心はとても低い。選挙の投票率も低く、投票していたとしても実際にその政党・政治家がどのような役割をしているのかあまりよく知らずに知名度だけで投票している人が多いように思える。ましてや、友人同士で政治についての話をすることなど一度もなかった。それゆえに私は自分の国なのに、日本の政治についてあまりよくわかっておらず、自分の国が今どんな問題に直面しているのかなど報道番組で得た情報だけしか知らず、特に意識せずに生活していた。

しかし、日本以外の国から来ている人たちは、政治についての関心がとても高く、それぞれ自分の国のことについてはもちろん、国際情勢についての議論が日常的に繰り広げられ、友人同士での会話でもよく政治についての話が出てきた。私の留学中はちょうど、アメリカ大統領選、フランス大統領選があり選挙の前後一週間は誰と話しても大統領選の話が一番に出るほど皆の関心がとても高かった。政治の話が出るたびに、『あなたはどう思う?』あるいは『日本はどうなの?』と聞かれることが多く、無知の私は毎回答えに困っていた。皆の話についていくことができず、また自分の国のことについても答えることができず、とても恥ずかしく悔しい思いをした。少しでも自分の意見を言えるように、聞かれて分からなかったことに関してはすぐに調べたり、また時間がある時は毎日、英語あるいはドイツ語のニュースを見て今何が起きていて、それに対して自分はどう思うかといったことを習慣的にやっていた。それにより、以前より政治・経済に関心を抱くようになった。自分がいかに無知かを知ることで、より貪欲に知識を吸収しようという態度が養われ、以前より少しは教養の身についた人間になれたのではないかと思う。

また海外で生活していくには自分の意見を言い合う議論は欠かせません。大学の授業ではディスカッションをする機会が多く設けられていて、たとえそれが間違っていたとしても恥ずかしがらずに皆それぞれ自分の考える意見を言い合っていた。ゼミナールだけでなく講義でも、何か分からないことがあればすぐに教授の言っていることを遮ってでも質問していた。このように授業では常に分からないことを聞いたり、自分の意見をいうことが求められていた。授業以外でも、寮のフラットメイトと、タンデムパートナー、友人と話すときも皆自分の意見と信念を持っていてよく議論が繰り広げられていた。寮のフラットメイト(デンマーク、トルコ、インド)とは週に一度みんなで一緒にご飯を食べに行ったり、作ったりして、交流の場を設けていたのだが、毎回深い議論をしていた。例えば宗教、政治、美の価値観、性、自殺といった日本ではタブーとされるようなテーマについてそれぞれの価値観を文化的背景を取り入れながら話していた。もちろん育ってきた環境がそれぞれ違うのだから様々な意見があり、時には衝突する事もあったが、本音でぶつかり合う事でとても深い関係になる事ができた。

協調性が求められる日本では自分の意見を一貫して突き通すことは、自己中心的だと思われ、それよりも人の意見に合わせたり、それぞれの意見の真ん中をとることがいい事だと考えられている風潮があるように思うが、自分の考える事を包み隠さずにいう事によってお互いに本当の自分をさらけ出す事ができ、それにより本音と建前ではなく深い信頼関係を築く事ができると実感した。

 

自分の感じた事を書いてきたが、最後に私が伝えたい事は留学を通して成長できるかどうか、留学生活を楽しめるかどうかは全て自分次第だという事だ。私は語学力が伸び悩んだり、英語とドイツ語の切り替えが上手くできず頭が真っ白になったり、言いたい事を英語やドイツ語でうまく伝える事ができずに何を言っているのか分からないと言われたり、授業についていくのが大変だったり、テストが上手くいかずに自分は無能だと落ち込んだり、無知で話についていけなかったりと、辛い思いをして部屋で泣いたりした事もあったが、一度もホームシックになる事なく、日本に帰りたいと思った事もなく、最終的にベルリンの留学生活はとても楽しかったものだと胸を張って言える。それは周りの人間に恵まれていたのもあるが何か問題に当たったらそれを自分が成長できるチャンスだと捉えて、解決していくためにコツコツ努力をしたり、人に何と言われようと自分のやりたいと思った事は全てやり切ったりした為であると自負している。また自分が笑顔で誠実でいれば、必ず相手もそれに答え、優しく接してくれる。自分が人々に対し感じる事は、人々も自分に対してきっと同じ事を感じていると私は考える。ベルリンの人は冷たいと言う人が何人かいたが、私は全くそのようには思わなかった。なぜなら私は常に笑顔で誠実にしており、人々もそれを汲み取って、温かい対応をしてくれる人が多かったからだ。私が落ち込んであまり元気がない時は、やはり人々の温かみを感じる事は少なかったと思う。人への接し方でも随分と暮らしの質というのは変わる。常に感謝の心を忘れず、誠実でいれば自然と自分の周りにもそういった人が集まってくるだろう。

留学がもたらすものは語学力だけではない。得るものは人それぞれ違うが、多くの事を学ぶ事ができ、絶対に自分が成長できる機会でもある。留学生活をより良いものにするためには努力をする事、自分のやりたい事はやりきる、誠実でいる事が一番大事だと思うので、それを忘れずにいれば必ずや楽しく、価値のある一年を過ごす事ができるだろう。

 

そして留学の機会を与えてくださった日本大学、留学前・留学中にサポートをしてくださった国際交流課の皆様に感謝致します。かけがえのない一年間になりました。

ありがとうございました。

同じ学部で唯一仲良くなったロシア人の優しい友人との最後の日。
前期・後期ともにお世話になったドイツ語クラスの先生。とても面白く、教え方もとても上手いので、クラスメートみんなに愛されていました。
深い議論を交わし合ったフラットメイトとの夜ご飯。

2017年7月4日

 ついに留学終了目前まできてしまいました。帰国まであと一ヶ月もないという事実に驚きを隠せない日々を過ごしています。特に6月は時間が過ぎるのがとても早かったです。
 6月5日の月曜日が祝日だったので6月2日の金曜日から月曜日までベルリンではKarnival der Kultur という大きなカーニバルが開催されていました。このカーニバルはいろいろな国の人たちが自国の文化を紹介するもので、普段車が走っている道路をパレードの舞台としてあらゆる国のパフォーマンス団体が次から次へと披露していました。アルバニア、クルド人といったマイナーな国のパフォーマンスもありました。わたしは見ていないのですが、日本の団体も出ていたようで、お神輿を披露していたみたいです。パレードの他に色々な国の食べ物の屋台、DJブースがありこの3日間のノイケルンとクロイツベルク地区は街中がクラブ状態でした。
 6月6日は授業が休みだったので、ベルリンフィルの無料ランチコンサートに行ってきました。このランチコンサートは毎週火曜に無料でベルリンフィルのロビーで行われていて無料でプロのクラシック音楽を鑑賞することができます。わたしが行った時はオーボエ、クラリネットの演奏家がバッハの曲を2曲演奏していました。演奏時間は2曲で45分。ちゃんと時間通りに始まって終わったので、さすがPünktlich(時間どおり行動する)が美徳とされるドイツだなと思いました。観光客が多く、日本人観光客も多くいましたが他には地元の小学生や地元の高齢者の方がいました。高齢者用の優先席があるだけで他には椅子がないのでロビーの階段に座ったり、地面に座ったりそれぞれ自分の好きな場所に座って鑑賞していました。無料でプロのクラシックを聴けるなんてとてもいいサービスだと思います。子供やクラシックにあまり詳しくない人にとってはクラッシック音楽に関心を持つきっかけになりますし、仕事を引退した高齢者にとっては毎週の楽しみになり得ますし、わたしも定年退職したら毎週ここに通って余生を優雅に過ごしたいなと思いました。
 6月8日から10日まではハイデルベルクに行ってきました。なぜハイデルベルクかというと、2年前の夏休みに3週間ハイデルベルクにホームステイをしたので帰国前にホームステイ先をもう一度訪れたいと思ったからです。ハイデルベルクまではバスで夜の22時発8時半着で約10時間ほどでした。8時半にハイデルベルク駅に着いてホストマザーが車で迎えに来てくれたのでそのまま感動の再会をした後に家に行きました。家にはホストファザーもいてみんなで朝食を食べました。長期間のバス移動であまりよく眠れなかったのでいつもより頭が回っていませんでしたが、いろいろな話をしました。今受け入れている人は留学生ではなく難民であることや、ハイデルベルクの歴史のこと、日本の歴史のこと私のベルリンでの生活について話しました。その後1時間半ほど仮眠を取ってから昼ごはんを食べるためにみんなで旧市街までバスで行きました。ハイデルベルクに留学している時は毎日使っていたバス、とても懐かしかったです。その日は金曜日で、敬虔なキリスト教徒にとって金曜日は魚を食べる日らしいので、魚を食べに行きました。(絵画の世界では魚はイエスキリストを意味するので教祖を食べていいのかと思ってしまいましたが)そこには寿司もあって寿司を勧めてくれたのですが、わたしは彼らが食べているものと同じ魚のフライを食べました。ドイツに来て多くの外国人と接して思うのですが、日本人=寿司という概念がとても広がっていて、日本から来たと言うとスシ〜などと言われることが多く、会話のネタとしてはいいのですが、日本人みんな寿司が好きだという”偏見”があり、日本人なのだから当然寿司食べるでしょ?なんで寿司を選ばないの?(私たちは別に食べないけど)日本人だから寿司作れるでしょ?なんで作れないの?といったような言い方がわたしにとってたまに癪に障ることがあります。『ドイツ人だからみんなサッカーが好き』、『イタリア人だからみんなイタリア料理作れる』など、”〜人だから〜ができる”、〜が好き”というイメージはどこの国に対してもありますが、〜人だからといってその人も必ずしもそのステレオタイプのような人間であるわけではありませんし、みんなそれぞれ違うのだから、そのようなことを言われた方は少し嫌な思いになります。前はわたしもそういった質問を少ししていたので、自分が言われて嫌だと気づいてから言わないようにしています。
 昼食のあとは家族と別れてシンティ・ロマセンターに行きました。私が今回ハイデルベルクを訪れた理由はホストファミリーに会うためだけではなく、このセンターに行くためでもありました。私は日本大学のゼミではシンティ・ロマ(ジプシーと言われる人々)について研究していて、帰国してもそのことについて研究する予定なので資料集めのために行きました。そこのセンターではシンティ・ロマたちに対するナチスの迫害についての展示がされていました。無料のオーディオガイドを片手にメモを取っていたので時間があっという間に過ぎてしまい、閉館時間になってしまったのですべての展示を見て回ることができなかったのが残念でしたが、私以外に、それを目当てにベルリンへ来たという観光客や留学生はとても多いです。Berghain, Tresoreなどは世界的にもとても有名で世界のクラブランキングの3位にランクインしているほどです。そもそも歌詞のない低いバスサウンドが特徴であるテクノ音楽はアメリカのデトロイトが発祥の地で、ベルリンの壁崩壊の少し前に西ベルリンへ流れ込んできていました。当時のテクノシーンはまだ小さかったのですが、ベルリンの壁崩壊とともに出現した東ベルリンの空き地の中で若者たちが育んでいきました。若者たちはそういった空き地を不法占拠し、パーテイーを開きました。それゆえに当訪問している人はいなかったので、館長に自分が日本でシンティ・ロマについて研究していることを伝えると、色々話してくれて、研究材料として無料で本などをくれました。また、私が今ベルリンに留学していることも伝えるとベルリンにもシンティ・ロマの研究所があること、そしてそこの人の電話番号も教えてくれました。まだそこの研究所を訪問できていないのですが、帰国前に必ず行って話を聞きたいと思います。センターを後にし、そのまま家に帰り晩御飯を家族と一緒に食べて、日本の少数民族についての話をしました。次の日の朝にホストファザーが新聞を持ってきてくれて、ちょうどその記事には天皇の退位法案可決が決まったという内容が書いてありました。それからその日の朝は日本の天皇制度について、ヨーロッパの王政時代の歴史について話をしました。全体を通して2年前にホームステイをした時よりも言っていることがほぼ理解できるようになっていたし、辞書を使わずに話すことができるようになったので昔よりは成長を感じることができましたが、家具の話をした時にFurnier(張り板)という言葉が出てきて、その時は分からず辞書を使ったのでまだまだわからない言葉が多くあるなとも思いました。やはりどうしても英語で話してしまう寮で暮らすよりドイツ語しか話さないホームステイで暮らした方が圧倒的にドイツ語力は伸びるなと思いました。その後はフランクフルトに3時間だけ寄ってからバスで再びベルリンへ戻りました。
 6月は私にとって留学期間の中で一番災難な月であったと思います。まず部屋の鍵を失くしたと思い同じ寮の多くの人に迷惑をかけてしまいました。ドアを力ずくで開けるためにわざわざペンチを持ってきてくれたり、布団を貸すよと言ってくれる人がいたり、また、私の部屋の上の階に住んでいるイタリア人の女の子とちょうど帰りのバスが一緒だったので、鍵をなくしたかもしれないということを相談したら、私の部屋に泊まっていいよと言ってくれたのでその日は彼女の部屋に泊まるつもりでしたが、フラットメイトから『鍵が冷蔵庫の上に置いてある』という連絡を受け取っていたことに気づき確認のためにそのイタリア人の女の子とキッチンに行くと、わたしの鍵が冷蔵庫の上に置いてあり、鍵があった安堵と嬉しさで二人で爆笑しました。なんとも間抜けなことをしましたが、親身に心配してくれたり、解決策を一緒に考えてくれたりしてその日は寮の住民の人たちの優しさをとても感じました。ただ本当に鍵を失くしたと思っていた時は、鍵代を200ユーロ払わなければいけないという不安と自分の部屋に入れないというストレスで精神的にまいってしまい頭が痛くなりました。また唇の周りに小さいブツブツが全体にできてしまい、痒くてかくと、唇の端が切れてリンパ液が出てその液が乾燥して固まって見た目に問題が生じてしまうほど日に日に腫れてしまったので初めて病院に行きました。今まで海外の病院に行ったことがなく不安だったのでそのことをフラットメイトの子に言ったら、『私もちょうど皮膚科に行こうと思ってたし一緒に行こう』と言ってくれたので後日一緒に行きました。初めてドイツの病院に行きましたが、全体的に日本の病院より適当だと思いました。何の問題があるのか会話をするだけで何も検診をせずにとりあえず採血してアレルギーかビタミン不足か調べようとなり、採血をしたのですが、注射の刺し方が下手すぎて、刺したところの周りが次の日まで痛くて大きい内出血になってしまいました。日本ではこんなことになったことがなかったので、フラットメイトたちに相談をしたら、よく起こることらしく、心配はいらないと言われました。採血の結果、ビタミンD不足(日光不足)でした。毎日外に出ているはずなのですが、このような結果が出て少し驚きました。薬をもらって前よりは見た目が良くなりましたが、また痒さが再発してしまいました。この結果にあまり納得していないので、日本に帰ったらもう一度病院に行きたいと思います。
 6月24日にはインターナショナルクラブの日帰りツアーで北ドイツのロストックへ行ってきました。ロストックはドイツの北端にあるのでバルティック海を見ることができました。天気があまり良くなく、一時期嵐のような雨が降りましたが、街並みがとても綺麗でとても気に入りました。次の日の6月25日にはクラシックバレエの『眠れる森の美女』を見に行きました。ファミリー向けの公演だったので観客はほぼ子連れの家族でした。3年生の時に文学の授業でやったグリム童話のストーリーとバレエのストーリーは少し違いましたが、とても良かったです。これでチャイコフスキーの3大バレエ鑑賞を達成することができました。しかしベルリンで鑑賞できるクラシックバレエは今回で最後だと思うと少し悲しい気持ちになりました。
 授業に関しては7月の最初までに提出しなければならないレポートが2つありました。一つは黄金の20年代に活躍した芸術家の一人についてで、私はバウハウスなどで有名な4大近代建築家の一人であるグロピウスについて書きました。もう一つはベルリンの文化についての授業で、ベルリンのムスリムの生活、ベルリンのパーティー・クラブシーン、ベルリンのホモセクシュアルの生活の3つのテーマから一つ選んで書くというもので、私はその中の2つめのテーマを選びベルリンのテクノシーンの歴史と発展について書きました。ベルリンはテクノクラブのメッカで,クラブはほとんどが違法で突拍子もなくあらゆるところに出現しました。当時のクラブは主に、今まで自由がなかった分パーティーで自由を謳歌したい東ベルリンの若者、東ベルリンに違法住居し、東ベルリンを探索している西ベルリンの若者たち、ホモセクシュアルの人たち。打ちっ放しのコンクリートと低いバスサウンドがマッチし、テクノサウンドに魅了された東西の若者たちは、廃墟の中で結集し、新たなパーティーシーンを作り上げていきました。2000年前半から観光客が多くなり、2016年9月11日にはBerghainはというクラブはオペラや博物館といった文化施設として政府に認定されベルリンの観光業を担う位置づけとなりました。つまりBerghainは文化的に重要な施設であり、テクノは文化的芸術であると政府が公式に認めたことになります。日本ではクラブというと偏見があり少し悪いイメージを抱く人が多いと思いますが、ベルリンは国をあげて援助しているのでクラブに対するイメージが日本とは全然違いますし、テクノクラブに行く人は純粋に音楽を楽しんでいる人が多いように思います。ベルリンに来るまではベルリンがテクノシーンのメッカであることすら私は知らなかったので、今回選んだテーマは調べれば調べるほどとても興味深いデータが出てきて、ドイツ語で書いているにもかかわらずとても楽しかったです。
3年ぶりのホームステイ先のファミリー!! 前と変わらずとても優しかったです。
春のドイツの名物といったら、白アスパラ!! スーパーでも売っているので家でもよく白アスパラを使った料理を作っていたのですが、レストランで食べる白アスパラは格別に美味しかったです。ここはワーグナーなども通ったドイツ最古のカフェです。
ロシア人の友達が連れて行ってくれたジョージア料理。ジョージアはソ連下の国だったので40歳以上のジョージアの人はロシア語を話せるようで、友達は店員とロシア語で会話をしていました。前にバルト三国にいった時も40歳以上の人はほとんどロシア語を話せていたので、ソ連下だった国にはまだまだソ連の影響が色濃く残っているなと思いました。
ロストック。港町でとても綺麗でした。この写真の船は全てお店になっていて、魚を挟んだパンなどが売っていました。ベルリンでは魚を中々食べることができないので、こういった港町にいった時には私は必ず魚を食べます。

2017年6月4日

早いもので留学生活も残り2ヶ月を切ってしまいました。夏学期が始まってからの時間の過ぎ去り方は尋常ではないと思います。5月に入ってからは天気に恵まれ、日照時間も日に日に伸びていき21時30分くらいまで明るいです。みんなが口に揃えて言うことは、Endlich kommt Sommer!(ついに夏が来た!)多くの人が公園でピクニックをしたり、大学では草原の上でおしゃべりをしたり、寮ではBBQをしたりして暖かい天気を楽しんでいます。

全学期に続き今学期も大学の学生団体のインターナショナルクラブに参加しているのですが、5月6日にインターナショナルクラブのみんなでハンブルグに日帰り旅行をしてきました。ちょうどこの日はハンブルグ港の誕生祭の日で港にはたくさんの人とたくさんの船がありました。ハンブルグにはベルリンよりも多くの魚料理があり、塩漬けの若ニシンをパンで挟んだものや、うなぎの燻製を食べました。サーモン以外の生の魚をパンで挟んで食べるのは初めてでしたがとても美味しかったです。ただ、生の魚は寿司として食べるのが一番美味しいなと思いました。

また、インターナショナルクラブの別の企画でシリア難民の人がノイケルン地区(難民、移民が多くいる街)を難民目線で紹介するというツアーに参加しました。ベルリンで最初にできた100%シリア料理のレストランや難民の人がよく使う銀行を案内しつつ、彼がどのようにしてシリアからドイツまで来たのかを、彼のたどったルートが示された地図とともに話してくれました。彼は今30代後半で、2015年までシリアで英語の教師として働いていました。結婚して子供もいます。しかしシリアの情勢が2011年以降悪化し、そこに留まっていられる状況ではなくなり、最初にレバノン経由でトルコに行きました。しかしトルコではあまり英語が好かれておらず英語教師の就職口がなく仕事ができないため、また、トルコの情勢も悪化したため、60人ほどを乗せた35人用のボードに乗り込み真夜中に脱出を試みましたが、道中嵐で多くの人が亡くなったそうです。彼は近くで灯台を見つけ助けられましたが再びトルコに戻されてしまいました。その後ギリシャに行きギリシャとイタリアのフェイクIDを買い、列車でスイスに行きそこで警察に怪しまれるもののなんとか乗り切り、ドイツのシュツットガルトを経由しベルリンに到着しました。彼の当初の目的地はオランダだったそうですが、オランダ行きの列車に乗る直前にベルリンに留まることを理由なく決心したそうです。すでにベルリンに2年間住んでいますが、ベルリンから出ることができず、今奥さんと子供はウクライナに避難しているそうで家族とも会えていないそうです。ある一人の生徒の『家族のこと寂しくないのですか?』という質問に対する『もちろん寂しいし、毎日スカイプをしている。』”But I cannot complain, I am a refugee. I have no choice.“ という言葉とその時の彼の目が印象的で忘れられません。ドイツにはたくさんの難民が今いて、テロなどの出来事により難民のことをよく思っていないドイツ人がたくさんいますが、彼らも好きでドイツに来ているわけではないし、ドイツ人に受け入れられるためにドイツの文化に溶け込もうとしている人もいるということを実感しました。私の寮の一つの建物が難民の人たちのための寮だということを最近知ったのですが、彼らは女の子によく声をかけたり、夜遅くまでうるさくしたり、水タバコを他の寮の建物の敷地内でやったりしていてもちろん彼らのことをよく思っていない人もいます。それらの行為は彼らの国では普通のことであるのかもしれずドイツに来たばっかりでいきなり今までやってきた習慣を変えることはできないのかもしれませんが、私もたまに迷惑に思う時があり、難民問題というのは私の日常の一部でもあるのだなと思いました。私は難民受け入れに賛成ですが、難民反対派のドイツ人の気持ちもわかるのでこの難民問題は簡単には解決できる問題ではないなと思ったのと同時に一刻も早くシリアに平和が訪れ、彼らが自分の国に帰って以前のように家族と過ごせる日が来てほしいと思いました。
欧米の学生は政治への関心がとても高く、フランス大統領選挙日の直前、直後は誰と話しても選挙の話になりました。日常の会話の中で多くの学生が経済面、政治面あらゆる視点から議論をしていて、政治経済にあまり強くない私は話についていくのが必死で毎回初めて知ることが多かったです。日本では友達と政治、経済について議論などしたことがなかったので、日本と海外の生徒の会話の質の差に毎回驚かされます。最近では米国のサンダース議員がベルリン自由大学へ来て演説を行ったのですが、残念ながら授業と被っていていけませんでした。また、5月25日の祝日にオバマ元大統領がメルケル首相とブランデンブルク門で演説をした際には私のドイツ語クラスの多くの生徒が観に行っていました。私も参加したかったのですが、その祝日を利用して友達とチェコ、ハンガリー、スロバキアへ旅行をしていました。ハプスブルグ皇后のシシィも愛したハンガリーはとても美しく、夕方に国会議事堂を観たときは感動しました。また、ドイツ周辺の国の料理は比較的ジャガイモ、肉を使った料理で似たりよったりなのですが、ハンガリー料理は全く違っていてフォアグラ、鯉、ナマズを使った料理などがありました。今回の旅行の移動は全て長距離バスだったのでとても安く旅行をすることができましたが少し体力的にきつかったです。

 
今年の1月にハンブルグにできたばかりのElbphilharmonie。古い倉庫の上に建てられたコンサートホールはとてもモダン的なデザインでした。
寮のフラットメイトたちとそれぞれ自分の国の料理を作って食べました。私以外ほぼ全員がベジタリアンのため、野菜だけで美味しく作れる日本料理ということで焼うどんをまた作りました。当初お好み焼きを考えたのですがドイツのキャベツが日本のとは全くちがうので焼うどんを選びました。味に厳しく日本の料理に慣れていないフラットメイトたちなので気に入ってくれるか内心ビクビクしていましたが、とても美味しい!また作って!と言ってくれたのでとても安心しました。自国の料理を美味しいと言ってもらえるとやはりとても嬉しいです。
インターナショナルクラブの難民目線のベルリンツアーで仲良くなった友人たちと紹介されたシリア料理屋さんに行きました。友人の中にイスラエル出身の人がいるのですが、その人曰くイスラエル料理と少し似ているそうです。余談ですが、リナという私の名前はイスラエルでも人気の名前らしく、Happinessという意味ということを教えてもらいとても嬉しかったです。私の名前はあらゆる国で使われている為か、発音も簡単でみんなすぐに覚えてくれます。
天気のいい日となぜか嵐の日に寮でバーベキューをしました。とても美味しかったです。
念願のハンガリー、ブダベストのセーチェニ温泉へ行ってきました。日本の温泉とは違い、水着で男女混合で入るのでプール施設のようでした。温泉でチェスをするおじいちゃん集団もいて、おきまりの光景を見ることができました。外だけでなく中にもたくさんのお風呂とプールとサウナがあり、とても楽しかったです。朝早くに行ったので人が少なかったですが帰る頃にはだんだん人が増えていました。ドイツの寮ではシャワーしかなく、湯船に浸かることができてなかったので、久しぶりにお湯の中に浸かることができて体の疲れが一気に取れました。
ブダペストの国会議事堂。駅を出た瞬間出てきたこの景色、とても感動しました。夜よりも夕暮れの時間帯の景色が一番綺麗だと個人的に思います。
童話から出てきたようなメルヘンな街、チェコのチェスキークルムロフ。とても小さい街で建物の至る所にだまし絵が描かれていて可愛かったです。
スロバキアの首都、ブラチスラバにあるブルーチャーチ。今までいろんなヨーロッパの国々の教会を見てきましたが、こんなに可愛くて外観も中も水色で統一されている教会を初めて見ました。

2017年5月4日

ついに新学期が始まる4月になってしまいました。夏学期が始まる前に春休み最後にまだどこかにいきたいと思い、出発の直前にバルト三国に行くことを決め、弾丸で行ってきました。最初はエストニアのタリンを訪れました。ここは中世の街並みがよく保存されていて、建物だけでなく当時の服を着た人がいたり、中世をテーマにしたレストラン、カフェがありました。中世がテーマのレストランは歴史家の監修の下で15世紀の商家の雰囲気と料理が再現されていて、自分が中世の時代にタイムスリップしたかのようでとても楽しかったです。ただ料理は当時の人々が食べていたであろうものを再現しているので、豆や木の実が多く、美味しいとは言い難いものでしたがとても良い経験ができました。タリン観光の目当てであった聖ニコラス教会にある『死のダンス』という中世に普及した作品を見たかったのですが工事中で見れなかったのが心残りです。タリンのあとは、ラトヴィアのリガに行きました。街並みがとても可愛く、料理も美味しくて個人的にはバルト三国の中で一番気に入りました。ただ私にとって今まで旅は楽しいものでしかなかったのですが、ホステルに問題があり、初めて旅先で問題に直面しストレスで体調を崩してしまいました。ホステルを変えて何とか回復し、最後はリトアニアのヴィリニュスとカウナスに行ってきました。リトアニアには日曜日に着いたのですが、街行く人々がみんな花を持っていたので祭りでもやっているのかと思い旧市街の方に繰り出すと、皆、花を持ちながら聖歌を歌ってミサを行っていました。ミサに参加しているのは高齢者だけでなく若い人々もいました。こんなにも多くの市民が熱心に祈っている姿は他の国では見たことがなかったのでとても印象に残りました。
今まで色々な国を旅行してきて感じたのが、やはりバルト三国やポーランドのような旧東の国々は西の先進国に比べるとつい最近までソ連に占領され、自由ではなかったため幸せを求めて神にすがる傾向があるということです。カウナスでは、第二次世界大戦期にユダヤ人にビザを発行して多くの命を救った杉原千畝の記念館に行きました。バルト三国に旅行する前は正直、歴史はもちろん、3カ国の場所、首都の名前、国旗のデザインといった基本的なことも全く知りませんでしたが、実際にいって多くのことを知ることができました。

そしてついに4月18日から新学期が始まりました。今学期はドイツ語の語学クラスの他に、ベルリンの歴史と文化を学ぶ留学生用のドイツ語のゼミナールと、正規学生の学科のゼミナールを履修することにしました。また、ドイツに暮らしているものの、留学生同士は主に英語で会話をするので英語をもっと話せるようになりたい、勉強したいと思い英語のゼミナールも取ることにしました。この英語のゼミナールでは主に都市論について学んでいるのですが、クラスメートのほとんどが大都市出身ということで、大都市から来た人々はベルリンのような大都市に惹かれる傾向があるという事がわかりました。実際に私も東京出身なので都市の生活に慣れてしまって、田舎の何もないところで暮らすより選択肢の多い都市の生活に惹かれます。またベルリンの何に惹かれてベルリンに留学することを決めたかという問いには多くの人が、アート、コンサートなどのエンターテイメント、テクノミュージックのクラブといったナイトライフに惹かれたと答えていました。これは東京に留学をしに来る外国人も同じ理由で来ているのかと問われれば違うと思います。都市はそれぞれの特徴を持っていてその特徴に惹かれた人々が至る所から集まるのかなと思いました。ベルリンはまさに自由でアーティスティックな街、私の大好きな音楽という観点から見ると、電車の中はもちろん、ベルリンはBerliner Philharmoniker、Deutsche Operなどのクラシック音楽からBerghain, Tresorなどで有名なテクノといったモダンな音楽まで幅広く街に浸透していて、心から音を愛している人が多いように思えます。この授業は授業前の準備がとても大変で10ページ以上の英語のテキストを読んで、幾つかの問いに答えて、その問いについて授業でディスカッションをするのですが、とても面白く、2時間があっという間です。

また今学期もUni sportでクラシックバレエのコースを取ったのですが上から2番目のレベルのクラスを取ったので前のクラスよりはかなり難しいですが、逆にやりがいがあって楽しいです。
芸術的なベルリンに感化されたのか、ベルリンに来てからダンスをするのが好きになり、バレエの他にも2日間限定のスウィングダンスコースに参加したり、友達にサルサ、バチャータ、キゾンバといったダンスを教えてもらったりして、着々と私のダンススキルが磨かれてきています。
自分のやりたいこと、気になることはすべてやるというのが私の留学生活上でのモットーなので、残りわずかな期間、色々なことに挑戦して悔いのない留学生活を送りたいと思います。

 
エストニア、タリンの中世をテーマにしたカフェ。ここでは美味しいスープを飲みました。照明を一切使っておらず、夜はキャンドルだけの光でとても暗かったですが、電球のない当時の様子を容易に想像することができました。
中世当時の料理を再現した料理。肉料理がメインなのですが、ドイツではなかなか食べられない魚料理を頼みました。魚以外はすべて豆と木の実で、飽きてしまい全部食べられませんでした。
中世の雰囲気がタリン観光の売りなので、このように当時の服を着た人々が商業を行っていました。中世が大好きな私にはたまらない雰囲気でずっと興奮していました。
カラフルで可愛らしい建物が多いラトヴィア、リガの旧市街。新市街は私の好きな建築様式であるJugend still(アールヌーボー調)の建物があり旧市街とはまた違った雰囲気で新市街も楽しめました。バルト三国は全体的にロシア人とドイツ人の観光客がとても多かったです。
5月17日はイースターの日で、寮の友達と一緒に夜ご飯を作って食べたり、卵にペインティングしたりしました。
デンマーク、トルコ、インドのフラットメイトたち。最近は週に一回の頻度で寮のフラットメイトたちとご飯を食べに行ったりしています。

2017年4月3日

3月は春休み期間だったので、旅行期間としてヨーロッパの国々を旅行してきました。
最初はスイスに行きました。スイスを選んだ理由は14世紀からの歴史を誇るスイス最大のカーニバルがバーゼルで開催されるからです。バーゼルに着いたその日がFasnacht(カーニバル)の2日目だったのですが、カーニバル2日目は音楽の日で街中に何カ所かステージが設けられていて仮装したブラスバンドの人たちがヒットチャート音楽を披露していました。道には、仮装した音楽隊で溢れていて、家族の音楽隊、仕事仲間の音楽隊、小さいグループから大きいグループまでいて、どこを歩いても音楽隊に遭遇しました。道にいる音楽隊はステージのブラスバンドの音楽隊とは違い、ピッコロと太鼓で伝統的な音楽を歩きながら演奏していて、その後ろを一般の人が何人かついて歩いていて、まるでハーメルンの音楽隊のようでした。この街には一体どのくらいのピッコロ奏者がいるんだ?と思うほどピッコロの音楽隊がたくさんいました。バーゼル最終日はパレードが行われていて、山車からヴァギスという仮装をした人たちが、カラフルな紙吹雪を撒き散らしたり、みかん、花などを投げ渡したりしていて、日本の節分のようでした。普段は静かで綺麗なバーゼルの街がカーニバルの日だけは、深夜までピッコロ音楽隊の音が聞こえ、紙吹雪やゴミで溢れかえっていました。しかしカーニバル最終日の次の日にはすでに道が綺麗になっていて、人も消え去っていて、その差に驚かされました。バーゼルのカーニバルは長い歴史を感じさせ、このお祭りの古来の姿を想像することができて、まるで自分が中世の世界にいるような感じになれました。先月に世界三大カーニバルの一つであるニースのカーニバルに参加しましたが、それとはまた違った、地元に根付いた伝統的なカーニバルでした。
 
スイスの公用語はドイツ語、フランス語、ロマンシュ語、イタリア語の4ヶ国語で、私の行ったバーゼルはドイツ語圏なのですがスイスドイツ語はドイツのドイツ語とは違い、会話を聞いていてもたまに何を言っているのか分からない単語が出てきたり、書かれている言葉がスカンジナビアかどこかの言語に似ていてドイツでは全く見たこともない言葉だったのでこんなにも違うのかととても驚きました。ただこちらが標準ドイツ語を話せば相手も理解してくれるので、旅行をする分には全く困りませんでした。またほとんどの人がフランス語も話せるようで(もちろん英語も)、DankeではなくMerciと言ったり、子供とドイツ語で話しているのかと思いきや、フランス語で通話をし始めたりしていてとても興味深かったです。公用語が4ヶ国語ということもあるのか、スイスの人々は最低でも英語、フランス語、ドイツ語の3ヶ国語を話せるようで、スイスからスペイン行きの飛行機に乗った際、空港のスタッフは3ヶ国語のどれで話して欲しいのか、旅行客一人一人に聞いていました。また飛行機の中のCAは全員スペイン語も話せるようで、機内アナウンスが4ヶ国語という今までに経験したこともないフライトでした。ほとんどが日本語しか話せない日本とは全く違うなと思いました。
 
バーゼルはフランス、ドイツの国境近くにある街なので、バーゼルを拠点としカーニバルのあとは日帰り旅行をしました。ハウルの動く城のモデルになった街でもあるフランスのコルマール、チューリッヒ、首都ベルン、そして世界で6番目に小さい国、リヒテンシュタインにも行きました。リヒテンシュタインも公用語はドイツ語なのですが、スイスドイツ語ほど訛りがないと感じました。ヨーロッパで一番のお金持ちの国にもかかわらず、それを見せつけずに質素に暮らしているのが見て取れてとても気に入りました。
 
スイスを旅行していて嬉しかった出来事が、カメラをぶら下げて、観光客丸出しでバーゼルの街を散策していたら、地元の子供達2人が私の元に「ドイツ語話せる?」と話しかけてきてくれて、あやとりを披露してくれたことです。見ず知らずの外国人にはなしかけるなんて自分が子供の時には絶対できなかったことを彼らは自然にできていて感激しました。地元の子とドイツ語で交流するという貴重な経験ができて良かったです。
 
そのあとはスイスから、友人に会うためにスペインに行きました。当初はスペインを一周するつもりだったのですがあまりにも訪れたい街が多すぎて時間とお金が足りなくなりそうだったので、主要都市とその周辺の街に絞って旅行をしました。まずバルセロナを訪れたのですが、卒業旅行シーズンと被っていたせいか日本人の学生旅行客がとても多く、どこに行っても日本人に遭遇しました。また、日本人と同じくらいドイツ人も多く、私が泊まったホステルにもドイツから来ている大学生2人がいました。まさかスペインに来てドイツ語を話せると思っていなかったので新鮮でした。彼女たちとはフラメンコを一緒に見に行ったりして仲良くできてとても嬉しかったです。また、バルセロナの近郊のジローナという中世の街を巡る英語のツアーに参加したのですが、そこでは英国の夫人が親しくしてくれて自由時間中は一緒に街を散策したりしました。このジローナという街は海外では知らない人がいないほど人気の海外ドラマ「Game of throns」のロケ地でもあり、ガイドの人が画像とともに説明してくれて、ドラマのファンの私を含めほとんどのツアー客が興奮していました。
 
バルセロナのあとは友人が住んでいるバレンシア地方のアリカンテという街を訪れました。この友人は2年前に私がニューヨークに短期留学していた時に同じ学校に通っていた生徒で2年ぶりの再開に喜び合いました。友人の家に何日か滞在していたのですが、ホステルとは違い実際のスペインの文化と暮らし(シエスタなど)を体験したり、レストランとは違う家庭の味のパエリアを食べたり、友人の家に行ってたくさんのスペイン人と関わることができてとても良い時間を過ごすことができました。最後にマドリードと近郊のトレドとセゴビアという街を訪れて長い旅を終えました。
  
ベルリンにいた時に何回も配送してもらったにもかかわらず全く届かないチケットがあり、その配達会社がマドリードにあったので交渉して、マドリードの滞在場所に送ってもらうように手配してもらったのですが、指定していた時間に届かず、なんとか次の日にようやくチケットが届くという出来事がマドリードでありました。一時は一生届かないと諦めていましたが、配送会社とドイツ語で交渉し、マンションの管理人は英語が全く話せないので辞書を片手に片言のスペイン語でチケットが届いたか確認したり、時には住民に英語の通訳をしてもらったりして、多くの人の力を借りつつもチケットが届いた時の達成感は半端なものではありませんでした。このこともあり今回の2週間半ほどの旅は間違いなく今までで一番の旅になりました。また、全て自分で計画してそれを成し遂げたということもあるのですが、最大のポイントは多くの人と出会い、人とたくさん交流できたということです。スペインは英語を話せる人があまり多くないのですが、こちらが片言でもスペイン語を話そうとすると誠意が伝わるのか理解しようとしてくれたり、英語で話す時よりも態度が少し良くなったりします。それはスペインに限ったことではなく、こちらが誠意を持って話せば、相手もそれなりに誠意を持って返してくれます。今回の旅を通して多くのことを学んだだけではなく、色々な面で自分に自信を持つことができました。
 
旅行をしていない時は図書館に行って5月までに提出しなければならないレポートを書いたりしていました。一応、勉強と娯楽のメリハリをつけて過ごせたかなと思います。
4月の半ばからはついに最後の学期が始まるのでまた気を引き締めていきます!
バーゼルのカーニバルの様子。道の上は紙吹雪で覆われていて、どこの道を歩いてもこのような仮装をした音楽隊がいました。
友人のお母さんと一緒に作ったスペインの家庭料理。バレンシア風パエリア、サラダ、ムール貝。レストランで食べるよりもとても美味しかったです。
スペインで一番のお気に入りの街、トレド。この街は歴史的背景からキリスト教、ユダヤ教、イスラム教による異文化の混合がなされていて、この街を歩いているだけで、キリスト教建築、イスラム教建築、ユダヤ教建築を一遍に見ることができるだけでなく混合している建築もありとても興味深かったです。
バルセロナのユダヤ人街にあったシナゴーグ。中に入ってカタルーニャ地方にいたユダヤ人の歴史についての話を聞きました。初めてシナゴーグに入ったのですが、初めて見るものばかりで、一つ一つ丁寧に説明してくれました。一般の人は入れないシナゴーグが多いので、とても貴重な経験でした。前期に古代のユダヤ人の歴史の講義を聴講していたのですが、後期も聴講しようと思いました。
念願のサグラダファミリア。内部は太陽の光をうまく活用してステンドグラスから美しい光を作り出していて入った瞬間動けなくなるほど綺麗でした。完成前にいけて良かったです。完成後にまた絶対に行きたいです。

2017年3月3日

ついに冬学期が終わってしまいました。10月から学期が始まりましたがあっという間でした。
2月はテスト期間で、私は2つテストを受けました。一つはドイツ語クラスのもので、ドイツ語のリスニング、文法、長文から成る150分のテストでした。辞書の持ち込みが可能だったので簡単でした。もう一つは留学生用のゼミの建築のテストでした。これはとても難しく、3つの課題から成り立っていました。一つ目は与えられたベルリンの地図から読み取れる都市計画について5つ以上述べるもの。二つ目は与えられた統計グラフを分析し、そこから読み取れることを5つ以上述べること。三つ目はベルリンの建築の中から好きなテーマを選んでエッセイを書くというものでした。
日本で受けてきたようなテストとは全く違い、文系の私は統計グラフを分析するということもやったことがなかったのでドイツのテストの難しさにとても驚いたのと、日本の試験との質の差にとてもガッッカリしました。なぜなら、今まで私が日本で受けてきたテストは暗記をすればどうにかなるもので、自分で考える、自分で分析して自分の言葉で説明するということをあまりすることなく試験準備もあまり大変ではなく、しかも簡単に良い成績が取れていたので今まで自分が受けてきてパスした試験は世界では通用しないものなのだと落ち込みました。今回の建築の試験では成績証明書をもらえなかったので5月までにエッセイをワードで5ページ、自分の言葉を使いドイツ語で書けば証明書を発行するということでした。
他の授業は聴講だけだったのでテストはこの2つだけでした。来学期はこの経験を踏まえて、授業にしっかり取り組むのと、単位が取れなくても難しいゼミ、所属している学科のゼミ(ドイツ人しかいない、ドイツ語でディスカッション)にも参加してみようと思います。
冬学期は寒くて、すぐに外が暗くなっていったので授業が終わったらそのまますぐに家へ帰るということが多かったのですが、だんだん暖かくなって、日も延びていくので来学期はすぐに家へ帰らずに図書館等で勉強してから帰るということを習慣付けようと思います。

テストが2つだけだったということもありすぐに私のテスト期間が終わったので、2月9日から19日までにやっていたベルリン映画祭に行ってきました。映画が大好きな私は、ベルリンの留学が始まった当初から絶対にいくと決めていたので実現できてとても嬉しかったです。
ベルリン映画祭はカンヌ映画祭等と違い、一般客も入ることができます。しかし人気の映画はチケットがすぐに売り切れてしまいます。チケットは映画館のチケット売り場、映画祭の近くのチケット売り場、あるいは映画公開3日前からオンラインでチケットを買うことができます。
私はThe Lost City of Z というハリウッド映画を見に行きましたが、予想以上にあまり面白くありませんでした。また、映画は見ていないのですがTrainspotting 2 という映画の俳優陣、スラムドッグミリオネアでアカデミー賞監督賞を受賞したDanny Boyle 監督にたまたま遭遇して記者陣の中に混ざって彼らがレッドカーペットを歩く姿を見ました。初めてハリウッド俳優と監督を目にして、また初めてマスコミ陣と海外のファンの熱狂ぶりを生で見て圧倒されました。とてもいい経験でした。

2月18日に大学の授業が終了して、次の週の20日から世界三大カーニバルの一つであるニースのカーニバルを見るために南フランスとモナコ公国に行ってきました。現地に行って実際にカーニバルに参加するということが留学を決めたときからの夢でした。ニース以外にもヴェネチア、ドイツのケルン、デュッセルドルフなども有名なのですがテスト期間とかぶっていていけなかったのでニースを選びました。そもそもカーニバルはただのどんちゃん騒ぎのお祭りだと思っていたのですが、四旬節の断食の前に行われるカトリック圏の祭りであるということを3年生のときの授業で学んで以来、宗教的祝祭に興味を持ちいつか参加してみたいと思っていました。
今年のニースのカーニバルのテーマは『エネルギー』でドナルド・トランプなど現在の社会情勢などを反映した山車が数多くありました。夜のカーニバルだったにもかかわらず、子供から高齢者の方まで年齢問わず多くの人が参加していました。
また、ニースから40分の所にあるイタリアとの国境近くのマントンという所にも行きました。そこはレモンの生産で有名でこの時期はレモン祭りが行われていました。今年のレモン祭りのテーマは『ブロードウェイミュージカル』だったのでミュージカルが大好きな私には最高の空間でした。
そしてこの旅のもう一つの目的である、日本大学からアヴィニョン大学に留学中の同期の友達に会いに行ってきました。アビニョンを案内してもらったのですが、フランス人と流暢にフランス語を話している姿はとてもかっこよかったです。私もドイツ語をもっと上達できるように頑張らなきゃという気持ちにさせてくれました。同じ日大からの同期の留学生に会って、お互いの留学生活について報告し合ったのはとても良い刺激になりました。会えてとてもよかったです。

フランスから帰国すると、多くのヨーロッパの留学生(ERASMUS)が自分の国に帰ってしまう時期で、私のフラットメイトのイタリア人とスペイン人も帰ってしまいました。彼らとは月一の頻度でお互いの国の料理を振舞ったり、ベルリンのラーメン屋に連れて行ったりとたくさんの楽しい思い出があったので別れるのがとても辛かったです。彼らは私にとって初めてのフラットメイトであり、もう他にはいないようなベストなフラットメイトだったのでとても寂しいです。冬の気分が沈むような時期でも鬱にはならなかったのですが、人との別れにより、何日間か泣いて、留学に来て初めて鬱を感じました。イタリア人の女の子は絶対に日本に行くと言っていたのでその言葉を信じて何年後かにまた再会できることを楽しみにしています。彼らが去ってから3日後には新しいフラットメイトが越してきて、一人はデンマークの女の子でした。もう一人は会っていないので分かりませんが、仲良くできることを願っています。

私に残されたベルリンでの時間もあと4ヶ月。4ヶ月なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。ベルリンに来る直前は1年間という長さに不安を覚えていましたが、今となってはベルリンでの生活が当たり前になっていて、4ヶ月後に自分もここを去らなければならず、友人、自分の部屋、大学とも別れなければいけないんだということを想像すると、日本に帰りたくないという気持ちが日に日にとても強くなってきているこの頃です。
ベルリン映画祭
Berlinale ベルリン映画祭のメイン会場であるBerlinale Palast。
真ん中がレッドカーペッドになっている。
ニース
ニースの上からの景色。ベルリンに比べると暖かくて過ごしやすい。イタリアに近いせいか人も温かい。
カーニバルが始まる前のニースの広場
カーニバルが始まる前のニースの広場。この2つの山車はエネルギーの王様と緑の女王様。それぞれの山車にはエネルギーや社会関連の意味がちゃんとある。
ドナルド・トランプの山車
ドナルド・トランプの山車。この写真だと見にくいですが、トランプに向けてドライヤーをかけています。これは風で私たちの世界を変えるということを意味しているそうです。
マントンのレモン祭り
マントンのレモン祭り。これはライオンキングをモチーフにしたもの。
全てレモンとオレンジで作られています。ここの空間はレモンの良い香りで溢れていました。マントンで取れたレモンを使用したホットレモンを飲んだのですがとても酸味が強かったです。
フラットメイトと
フラットメイトとラーメンを食べに行った時の写真。日本にも興味を持ってくれていて、優しくて、面白くて、最高なフラットメイトでした。
アヴィニョン大学に留学中の友人と
アヴィニョン大学に留学中のみかこちゃんと。アヴィニョンにはスターバックスがないのでスターバックスの代わりに人気のmilk shopというところで買ったティーは美味しかったです。みかこちゃんガイドありがとう。会えてよかったです。

2017年2月5日

お正月の文化がないドイツでは、三が日をゆっくり過ごすことなく新年早々1月3日から授業が始まりました。
ベルリンへ来て早5か月が経ち、来た当初に比べると授業で先生の言っていることがほぼ理解できるようになった点は成長が感じられるのですが、ネイティヴ同士の会話にはまだついていくことができず、また自分の言いたいことを母国語である日本語のように言えないことにももどかしさを感じています。留学生同士で話すドイツ語はお互いネイティヴではないので簡単な単語で、しかも単語の知識内容も同じくらいなので話すのに楽なのですが、互いから単語を学び合うことが滅多にないので、あまり成長することができないなと思います。やはり、会話についていけなくてもネイティヴの人と話したり、ネイティヴ同士の会話を聞くことが大事だなと思い、最近はタンデムをするだけでなく、一人で色々なカフェにいって隣の人の会話を聞いたりして耳を慣らすということをしています。家でDeutschWelleなどを使ってドイツ語のリスニング練習をするのもいいのですが、実際の生の会話を聞くのとは少し違って来ますし、外に出ることでドイツ人の生活スタイルや文化も肌で感じることができるので、私にとってはとても良い勉強法の一つとなっています。

寮では主に英語で会話をしているのですが、英語も来た当初に比べるとリスニング力、スピーキング力は少し伸びたとは思います。しかし、英語とドイツ語の切り替えがすぐにできなくて、簡単な英単語も出てこないというのがよくあり、頭が混乱してしまいます。私はドイツ語も英語もどちらも中途半端なので、話しの初めはよく混乱して頭が真っ白になりますが、ほとんどの留学生は少なくとも英語は問題がなく話せるので、混乱することなくすぐに切り替えて話している姿を見て、落ち込むことがあります。英語圏ではない国にいるのにもかかわらず、毎日英語を使っているのでやはり世界の共通語は英語であり、英語が話せるのと話せないのとでは会話の幅が違い、第3外国語はより多くのコミュニケーションを取ることができ、より多くの情報を得られることができる一つの付加手段でしかないのだなと感じました。

そして今年初めての旅行として国際ホロコースト記念日(1月27日)の一週間前にポーランドのクラクフとアウシュビッツへ行きました。アウシュビッツ強制収容所で起きていたことやホロコーストについては本や映画等で知識はあったものの、実際に行って見るのとは全然違いました。施設を見学していると当時のドイツの文化的水準の高さ、効率の良さ、人を殺しているという罪悪感を感じさせない心理的方法にとても驚きました。幸運にも都合が合い、アウシュビッツでは日本人で唯一の公式ガイドである中谷剛さんにガイドをしてもらいました。中谷さんのガイドは実際に起きたことを淡々と説明するだけでなく、当時の人々はどういう気持ちだったのかを考えさせる問いかけをしたり、私たち若い世代がこのようなことを二度と起こさないようにするためにはどうしたらいいのかを考えさせてくれるような話を今現在の世界情勢と比較しながら話してくれました。現在の世界情勢を見ていると少し右に傾いている傾向にあるので”政治を見る判断材料として歴史を振り返る” ということがとても重要なテーマだなと思いました。今回アウシュヴィッツを訪れたことで、自分の研究したいテーマを再確認することができたと同時にとても大きな課題を与えられました。ベルリンからバスで8時間ですが、ベルリンへ留学する場合はぜひ一度足を運んでここで何が起きたのかを見て感じていただきたいです。また、ここで起こったことを説明するのにその国によって見方が変わると思うので、まずは他の言語ではなく中谷さんのガイドをつけて見学することをお勧めします。その三週間後には、ドイツ語クラスの研修(Exkursion)として先生とベルリンから40分のところにあるザクセンハウゼン強制収容所にも行きました。ここはアウシュビッツのビルケナウのような絶滅強制収容所ではないのですが、政治犯罪者、ユダヤ人、ロマなど多くの人がここで亡くなり、人体実験も行われていました。クラスメートにアウシュビッツから17km離れたところに住んでいるポーランド人がいるのですが、ポーランドに強制収容所があることでポーランドの人がホロコーストを行った国だと勘違いしている人が多いそうなのですが、ポーランドは一番最初のヒトラーの被害者であると強く言っていたことがとても印象に残りました。他のヨーロッパの国は分かりませんが、ドイツとポーランドでは過去の出来事を忘れないために中学生、高校生のうちに強制収容所を訪れることが必須である、と聞きました。ザクセンハウゼン強制収容所でも観光客の他に、多くの学生の団体が教育の一環として見学に来ていました。
マイナス3度で厚手のダウンコートを着てカイロをつけていても30分以上外にいられないほど凍える寒さなのに、当時はマイナス20度という極寒の中で薄い生地の収容服だけで、時には靴もはかされず、きつい労働をさせられ、粗末なご飯、トイレも1日に2回だけという過酷な状況で過ごしていたのです。収容されていた当時の人々がいかに過酷な状況下で過ごしていたのかを想像することができたのでとても寒い冬に2カ所の強制収容所に行けたことはとても良い機会でした。また中谷さんの日本語による日本視点でのガイドとドイツ語クラスの先生のドイツ語による説明と、ポーランドのクラスメートの被害国側としての説明、3ヶ国からの視点の話を聞けたのはなかなか経験することのできないことであり、とても貴重な時間となりました。
強制収容所を訪れたことで、一月は主に人種差別、ナショナリズムについて考えさせられた月でした。

P.S. サバティカルでベルリンにいらっしゃるドイツ文学科の初見先生と保阪先生の息子さんにお会いしました。初見先生の家に招待していただき日本の料理をいただきました。ベルリン自由大学へ留学しているのは日本大学からは一人なので少し寂しかったのですが教授とお会いできて安心しました。
ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)
これは新しく来た収容人(ユダヤ人、ロマ、同性愛者など)を安心させるため、また抵抗をなくすためにドイツ人ではなく同じ収容人に作らせたもの。同じ収容人の中でも差をつけて少数の収容人を優遇させることで収容人内での憎しみ、優越感を生み出し、収容人が団結して抵抗を起こさないようにしていたのです。よく考えられた収容所での心理的作戦がドイツ人の頭の良さ、文化的水準の高さを示していてとても恐ろしいなと思いました。また、Bが逆さになっているのは抵抗を表しているという説があります。
広すぎるビルケナウ強制収容所。ここに着くまでに何日間も食事なしでぎゅうぎゅうに詰められた列車の中ですでに4人に一人が亡くなっていたのですが、この強制収容所に着いたらまずSSの医者が健康チェックをして健康ではない労働に使えない人(特に老人、病人、顔色が悪い人)はすぐにガス室に送られて殺されました。
夜のクラクフの旧市街。とてもきれいでしたが、どこからかシンドラーのリストの曲が流れてきてとても悲しい気分になりました。
ポーランド料理が一皿に全部入っているプレートとポーランドビール。ドイツ料理と同じでほぼ肉とジャガイモで成り立っていましたが味がドイツとは違い美味しかったです。ビールはドイツの飲みやすいビールとは違い日本の少し苦いビールの味に近かったです。とにかくポーランドは物価が安いです!
ザクセンハウゼン強制収容所の門。ここにくるまで、この言葉はアウシュビッツ強制収容所だけに掲げられている言葉だと思っていました。
人体実験が行われていた部屋。
ザクセンハウゼン強制収容所の収容施設。今は博物館になっています。しかし以前ネオナチの人々がここで起きたことの歴史を隠滅するためにこの収容所を燃やしたのでこの収容所は当時を再現して作られたものだそうです。

2017年1月3日

明けましておめでとうございます。
ドイツに来て早4ヶ月が経ちました。ヨーロッパの12月はどこもクリスマスマーケットが開催され、街の雰囲気も普段と変わり、素敵なイルミネーションで溢れていました。

12月3日に大学のインターナショナルクラブのツアーでドレスデンに日帰りで行ってきました。最古のクリスマスマーケットと言われているドレスデンのクリスマスマーケットは人がとても多く、規模もとても大きかったです。他の都市のクリスマスマーケットと違うのはドレスデン発祥のシュトレンという菓子パンが多く売られていることです。クリスマスマーケットの他にも聖母教会(Frauen Kirche), ツヴィンガー(Zwinger)など名所を英語とドイツ語のガイドとともに巡りました。7日には再びインターナショナルクラブのツアーでバレエのくるみ割り人形を観に行きました。今回の演出は古典的なものではなく、演出も踊りも少し新しい解釈が入っていたのでとても面白かったです。ヨーロッパのクリスマスには欠かせないくるみ割り人形をクリスマスの時期に観るのが夢だったので一つ夢が叶いました。

また、私のタンデムパートナーの実家でドイツの伝統的なクリスマスを祝わせてもらいました。クリスマスツリーの飾り付けから始まり、クッキーを焼いて、家族とともにクリスマスディナーを頂きました。ドイツのクリスマスのご飯は、主にカモ(Ente) あるいはガチョウ(Gans)の丸焼きとKnödelというジャガイモ料理とキャベツを煮た料理があります。このキャベツの煮物には紫キャベツを使ったRotkohlと緑のキャベツ(普通のキャベツではなく、縮れた葉っぱのキャベツの仲間)を使ったGrünkohlがあるのですが家庭や好みによってどちらを食べるのか違うためよくドイツ人同士は争っています。私はどちらも好きなのですが、どちらも好きという人は珍しいそうです。クリスマスは3日間このような料理を食べ続けるので準備が忙しいのと、食べるだけなのでこの時期は太りやすいそうで、日本のお正月のようだなと思いました。
クリスマスは家族と過ごすのが普通なヨーロッパでこんな経験ができて嬉しかったです。
ちなみに、日本のクリスマスの定番料理はKFCのフライドチキンとデコレーションケーキだということを紹介するとよく笑われます。

ドイツ語の語学授業では東西分断時代のベルリンの歴史の歩みについて映像を観て学んだり、ベルリンでの外国人に対する態度についての映像も観て少し話し合ったりしました。ベルリンの人は冷たい、フレンドリーではないという意見が多かったですが、私はそうは思いません。知らない人でも、何か困ったことや問題があれば助けてくれるし、バスや電車で知らない人同士が話してそこから仲良くなることもできるし、ドイツ語が通じなければ英語に切り替えて話してくれたりもします。フランスに留学している友達を訪ねるためにフランスのリールという街に行ったのですが、そこでベルリンがいかに外国人に寛大な方なのかということを実感しました。そこではフランス語が話せないと会話が成り立たないのです。例えば、フランス語で話しかけられて、英語で『すみません、フランス語を話すことができません』と言うと返答もなく会話が終了します。これは私にだけ起こったことではなく、他の外国人にもよく起こることなのです。このようなことをベルリンではまだ経験したことがなかったので驚きました。大都市で外国人がたくさんいるがゆえにベルリンはまだ外国人排斥(fremdenfeindlich)の雰囲気が少ない街であるなと感じました。しかし12月19日のテロによって少しその流れは変わってしまうのではないかと恐れています。テロの実行犯は難民としてドイツに来ていた人なので難民排斥の流れがこの襲撃事件によって強くなるのではないかと思います。その日、私はテロが起きる一時間前にテロ現場にいたのでその事件が全く他人事のようには感じられません。その報道を知ってからはパソコンでニュースの中継放送を見て何が起きたのかを見ながら、みんなと安否の確認のため連絡を取り合いました。ちょうど大学の授業が終わってクリスマスホリデーに入っていたのでヨーロッパの留学生は自分の国に帰っている人が多かったのですが、多くの人が大丈夫?という連絡をしてくれました。幸い私の周りには事件に巻き込まれた人はいませんでした。これからも何が起きるのかわからないし防ぎようがありませんが、常に情報を収集して、気をつけて行動したいと思います。

12月22日から24日までは友達とスコットランドに行ってきました。スコットランドのクリスマスマーケットは今まで訪れたどのクリスマスマーケットよりも大規模でした。クリスマスイブをスコットランド、クリスマスをベルリン、と2カ国で過ごすことができました。そして30日からは両親が来てくれたので大晦日を家族揃って過ごすことができました。大晦日の夜はタンデムパートナーとブランデンブルク門の近くに行き、花火を見て年を越しました。日本の静かな大晦日とは違い、道中でたくさんの人がロケット花火や爆竹を飛ばしたりしていて街中が轟音で戦争のようでしたが、これがドイツの大晦日の過ごし方だそうで文化の違いを充分に感じました。

ホリデー期間は旅行をしたりして楽しんだので、新年は気持ちを切り替えて勉強に励んでドイツ語と英語をもっと向上させたいです!!
世界最大のパズルと言われた聖母教会
第二次世界大戦時、ドレスデン空爆で焼け落ちたが東西統一後に修復工事が始まり、2005年に完成した。ところどころの黒いのは焼け落ちたオリジナルの瓦礫。
フランスのリールに行く途中、ベルギーのブリュッセルに行ってきました。
グランプレスのイルミネーション。
世界三大がっかりで有名な小便小僧。この像の前でワッフルを食べていたらドイツ語でおばさんに話しかけられた時は嬉しかったのと、ドイツ語圏ではない国でドイツ語を聞けて安心しました。
タンデムパートナーの実家でのクリスマスディナー。左がRotkohlで真ん中のがGrünkohl
とても美味しかったです。
美しいスコットランドのクリスマスマーケット。

2016年12月3日

11月に入って、最低気温がマイナスにまで下がり冷え込んできました。
授業にもだんだん慣れてきて、留学生向けのゼミナール(Berliner Stadtentwicklung und Architektur)では東西分断時代の東ベルリンの建築についてプレゼンをしました。グループ発表だったので誰がどの建築についてどのような流れで発表するかの話し合いから始め、図書館で本を借りて調べて、パワーポイントを使って発表をしました。私はアレクサンダープラッツにある東ベルリンの象徴であるテレビ塔(Fernsehturm)の歴史、建築方式、機能について主に調べました。ゼミが始まって以来の最初の発表グループだったので準備期間が2週間しかなく大変でしたが、ドイツ人の友達に文を修正してもらったりしながらも、先生にパワーポイントを褒めていただき、なんとか終えることができました。日本と違って、ノートではなくパソコンを使って授業を受けている人も多く、特にプレゼンの準備などをするときはパソコンが必要なので、これから留学をする人はパソコンかタブレットを必ず持って行った方がいいと思います。

このゼミは月に一度土曜日に課外授業(Exkursion)があり、今月は東ベルリンと西ベルリンの住居の建築様式の違いについて実際にStalinalleeとHansaviertelに行き学びました。
また、今月は私のタンデムパートナーの誕生日だったので彼女の家の誕生日パーティーに誘ってもらい参加しました。彼女のギムナジウム(中学高校)時代の友達、大学での友達が来ていて、私の他に15人来ていたのですが、みんなドイツ人で最初は緊張しましたが、一緒にドイツの遊びをしたりして仲良くすることができました。日本では大学の友達と中高の友達とそれぞれ別れて誕生日を祝っていたので、初めて会っても共通の友達を通して仲良くなることができて知り合いがどんどん増えていくドイツの文化は本当に素晴らしいなと思いました。そして、ドイツではプレゼントの他に何か料理を作って持って行ってみんなで食べるのが普通みたいなので私は焼きうどんを作って持って行きました。(彼女はベジタリアンなので作りやすく、肉が入っていない日本食を考えるのに少し時間がかかりました)気に入ってもらえるか心配でしたが、美味しいと言ってくれたので嬉しかったです。今回のバースデーパーティーはたくさんのドイツ人と交流することができて、日本の事も少し紹介することができて私にとってとても良い機会でした。

そして今月は芸術に浸った月でもありました。11月11日にはベルリンで開催されているサーカスを見に行き、23日にはベルリン・ドイツ・オペラ(Deutsche Oper)でユグノー教徒というオペラを同じ学部のロシア人の友達と観に行きました。このオペラは1572年のサンバルテルミの虐殺をテーマにしたもので上演時間が5時間も続く悲劇のオペラでしたが、 英語とドイツ語の字幕の助けもあり5時間あっという間で見入ってしまいました。主役のラウルを演じたのが現代最高のテノール歌手と言われているファン・ディエゴ・フローレスという方でオペラ初心者の私でもわかるくらい素晴らしい超高音の歌声でした。その次の日はベルリン国立歌劇場(Staatsoper Berlin)でクラシックバレエのジゼルを観に行きました。この日が今年最後のジゼルの公演だったのですが前日の夜にチケットをとったのでチケットが高く、席も全然なかったので一人で行きました。3年生の時のドイツ文化講義の授業でジゼルについて学んでいたのですが、主人公のジゼルの解釈など授業でやったことを思い出しながら観たので、この演出家はどんな趣旨で舞台を作り上げているのか観るのがすごく面白かったです。他の日にはよくジャズバーに行きジャズを聴きに行きました。Jam Sessionでは知らない人同士がその場で即興で音楽を作り上げていて、何も練習も打ち合わせもしていないのにこんなに素敵な音楽を奏でることができるんだ、と感動しました。言葉でなく音楽だけで心を通じ合い一つの演奏を完成させている姿を観て、音楽もコミュニケーションの一つになるんだなと思いました。
素晴らしい芸術、温かい人々に囲まれ、今のところホームシックもなく過ごしています。
11月21日の月曜日からクリスマスマーケットが始まり、12月の楽しみはクリスマスマーケット巡りになりそうです。
私のタンデムパートナーの誕生日パーティー
ベルリンでオペラ、バレエ等を鑑賞する際、当日に公演の一時間前にAbendkasseに並んでチケットを買えば、普通の値段の2倍以上安くチケットを買うことができます。
Hansaviertel 西ベルリン時代の住居。東ベルリンの住居建築よりもモダン的です。
ベルリンKudammのWeihnachtsmarkt
ホットワイン、ソーセージ、レーブクーヘンなど可愛くて美味しいものがたくさんあります。

2016年11月2日

10月16日まで2週間の期間限定で行われていたFestival of lights
街中の至るところが芸術家によって綺麗な光に照らされていて、芸術で溢れているベルリンがすごく好きになりました。

フンボルト大学の図書館。観光客がたくさんいて、もはや観光名所になっていました。

日の入りが早くなり、気温もすでに一桁台でだんだん冬を感じてくるようになりました。
ベルリンは体感温度としては秋がないように思えます。9月の終わりくらいまでは20度ほどはあったのに10月になった瞬間急激に寒くなり、コート、マフラーなしでは外に出られません。
木々もだんだん紅く染まってきて落ち葉の量がたくさんありますが、まだ緑色の葉も残っているところもあり、木を見ていると夏と冬が混ざっていて不思議な気持ちになります。
10月に入ると寮に新しい学生が入れ替わって入居してきて、私のフロアにもスペインとイタリアの人が新しく入ってきました。彼らとは夜ご飯をたまに一緒に食べてお互いの国のことについて英語で話しています。特に、漢字とカタカナとひらがなの違いについて説明するのがとても難しく、何も考えずに使っていた文字についてよく考えさせられました。ただ、日本から日本の文化を紹介する英語の本を持ってきていてよかったなと思いました。

10月4、5日には大学のオリエンテーションがあり、語学コースに参加していなかった学生も増えたため留学生全体の数がとても多く(おそらく400人くらい)、日本大学の留学生の数との差を感じさせられました。10月14日までは語学コース(Vorkurs Deutsch)があって、17日から授業が始まりました。ベルリン自由大学での専攻がKunstgeschichte(美術史)なので、中世の彫刻、像の講義を取っているのですが全てドイツ語で行われ、留学生向けに開かれている授業ではないため教授の言葉が早く、理解するのがとても難しいです。他には、ロマやユダヤ人など迫害されてきた少数民族にもともと興味があり、日本でのゼミナールで研究していたので、聴講としてJewish Studies(ユダヤ学)の講義を2コマとっています。ユダヤ学の方の教授はドイツ人ではないため、ドイツ語がネイティヴに比べて少しゆっくりしているので聞き取りやすいです。講義を取っている学生は若者だけでなく、高齢者の方も多いので、仕事を引退してからも学び続ける姿勢は素晴らしいなと思いました。単位のために講義を受けているのではなく、自分が興味があるから講義を受けているので講義中に何か質問があるとその場ですぐに質問しているところ、寝ている人がいないところ、スマートフォンをいじっている人がいないところなど日本の大学での講義の雰囲気とは全く違います。講義の他にはドイツ語コースと留学生向けのゼミナール(Berliner Stadtentwicklung und Architektur)を取っています。

あとはUni Sportsという大学が提供しているスポーツクラブがあり、私はクラシックバレエのクラスを週一で取っています。もともとバレエを子供の頃にやっていて、本場のヨーロッパでやるのが夢だったのと、何か体を動かすスポーツをやりたいなと思ったので取ることを決めました。月に36ユーロで、クラスは初心者コースから経験者コースまであり、生徒はFUの学生もいれば、他の大学から来ている人もいて、最大15人でやっています。

また、International Clubというドイツ人学生と留学生が一緒にどこかに行って(ハンブルグ日帰り旅行、バレエ鑑賞、チョコレート工場見学など)交流することができる大学の団体にも入りました。1ゼメスター5ユーロ払えば、メンバーになることができてInternational Clubのパーティーでの飲み物が最初の一杯だけ無料で頂くことができる特典付きです。

10月は学期始めということもあるのか、イベントが盛りだくさんで毎週金曜、土曜の夜はベルリンの全学生向けのパーティーがあり、ほぼ毎週参加して色々な大学の人と知り合うことができました。さらに10月31日はハロウィンということもあり、連日至る所でパーティーが開催されていて電車やバスのなかは仮装(メイク)している人がいました。しかし東京ほどは盛り上がっていない様子でした。ドイツではハロウィンよりも1517年10月31日に起きたマルティン・ルターの宗教改革(Reformation)の方がテレビで取り上げられていたりして、重要視されているのかなと思いました。ちなみに来年は宗教改革500周年記念で祝日になるそうです。このように友達を作るため、英語やドイツ語で話す機会をたくさん設けるために毎週パーティーやいろんなイベントに参加していたため体力が持たず39度の高熱を出してしまいました。日本から薬を持ってきていたのですぐに治りましたが、咳が止まらず授業を何コマか休んでしまいました。11月はもっと寒くなると思うので健康に気をつけて落ち着いた生活を送りたいと思います。

秋を感じるような風景。
大学のオリエンテーション初日。たくさんの学生がいました。
タンデムパートナーとDDR博物館に行きました。これは東ドイツのシュタージーの部屋です。
こんなに可愛らしい部屋でスパイ活動をしていたのかと思うと少し面白いです。

2016年10月4日

平日は毎日9:15〜13:00まで語学授業があり、文法を中心に学んでいます。内容としてはグループ練習やパートナー練習などが豊富で会話の練習もしています。またベルリンの壁についてのテーマが取り上げられ、歴史や文化に関することも少し勉強しています。クラスは18人ほどいてヨーロッパ人が大半を占めています。 授業が終わったあとは大学が提供している文化プログラム(kultur program)に参加して美術館や国会議事堂を回りました。また、ポツダム観光のツアーが先週の土曜日にあり、そこで他のクラスの人たちと友達になることができました。

同じクラスの友達とは念願のブンデスリーガの試合を見に行きました。ベルリンが本拠地のHertha Berlin と日本代表の内田選手が所属するSchalke 04の試合でした。Herthaに所属している原口元気選手が活躍しているのを見て友達が、あの日本人いい動きしているねと言っていたことが嬉しかったのと、私も彼のように違う分野で活躍して、世界で認められるようになりたいと思いました。

留学生同士はドイツ語で話す場合もあれば英語で話す場合もありますが、基本ヨーロッパの人たちは英語が普通に話せる人が多いです。 あとはスタムティッシュ(日本に興味があるドイツ人とドイツにいる日本人が交流できる飲み会)に参加してドイツ人の友達も何人か作ることができました。彼らとは、お互いの言語を教え合うタンデムパートナーになり週に1.2回は会うようにしてドイツ語を話す機会をできるだけ多く作るようにしています。 また、10/3がドイツ統一記念日で3連休だったので、大学の友達と飛行機でミュンヘンに行ってオクトーバーフェストに行ってきました。本場のオクトーバーフェストは遊園地も建設されていてビールも1リットルという大きさで、みんなdirndlという伝統衣装を着ていて日本のオクトーバーフェストとは全く違いました。少しの期間でしたがたくさんの人と交流することができてミュンヘンに行ってよかったです。 基本的に毎日どこかに行ってドイツ語を話すようにしていますが、これから本格的に正規の授業が始まるのでついて行けるか心配です。
サッカー会場のOlympia Stadion
もちろんHertha Berlinのユニフォーム着て応援しました。
この競技場はナチスドイツが1936年のベルリンオリンピックのために建設したものです。
ミュンヘンのオクトーバーフェスト
相席のおじさんに東京オリンピックの時に東京をガイドしてあげる代わりに、ドイツ料理とビールをおごっていただきました。
知らない人とすぐに仲良くできるのはドイツの良いところだと思います。
BMWミュージアム

2016年9月3日

一年間留学するという実感のないままベルリンに到着してしまいました。 最初の1日目は入寮せずに、ホテルに宿泊しました。空港の近くだからか、飛行機が真上を3分ごとに飛行するのでとてもうるさかったです。ホテルにはエレベーターがなく大荷物を2階にあるロビーまで運ばなければいけなかったのが辛かったです。重量オーバーのスーツケースと野球部並みに大きい鞄とバックパックとショルダーバッグを一人で持って身体が悲鳴をあげるくらいその日は疲れました。ただ、ベルリンに到着したその日にホテルの人やタクシードライバーとの会話で覚えた言葉や思い出した言葉が沢山あって、ドイツに来たことを実感したのと、1年もいればもっと多くの言葉を知ることができるかなと思いました。
次の日に大学のwelcome serviceを利用して、ホテルから寮まで車で送ってもらいました。車の中で、これから同じ大学に留学する香港の子と知り合いました。その子はドイツに来る前に一ヶ月だけ日本にいて日本語を学んでいたので、日本語や日本の文化を少し教えて仲良くなることができました。寮はキッチンだけ4人で共有の部屋にしたのですが、同居人にまったく会えず一人で寂しく食べてます。早く友達を作りたいです。 それから、下見をしに大学にも行きました。夏休みにもかかわらず、生徒がいて図書館などで勉強しているようでした。文理学部のキャンパスとは比べものにならないほど大きく、びっくりしました。ここで勉強するのが楽しみです。
私の住んでいる寮は湖が近くにあるからなのか、高級住宅地に位置していて、並木通りには御屋敷が多く建ち並んでいます。
寮から徒歩20分のところに湖(Schlachtensee)があります。まだ気温が30度くらいあるので多くの人が湖に入って遊泳をしたり、日を浴びていました。私も人生で初めて湖に入りましたが、葉っぱなどが沢山水の中にあって綺麗とは言い難かったです。しかし水が冷たくて暑い日に入るとすごい気持ち良いです。
大学のメインキャンパス。建物がモダン的で、中にはエレクトリックマップもあり日本の大学よりもテクノロジーが進んでいるのを感じられました。
メインキャンパスの最寄駅。メルヘンチックでとても可愛らしいです。