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留学・国際交流

アラバマ大学バーミングハム 沼田彩花さん(文理学部)

アラバマ大学ーミングハム校交換留学報告書

私がアメリカで過ごした8ヶ月は、まさに毎日が困難と成長の連続でした。新たな困難にぶつかり、乗り越え、新たな可能性を見つけ、新たな自分に出会う。毎日がその連続で、8ヶ月間息をつく暇もなく過ぎ去って行ったような気がします。うまくいかなかったこともあれば、実現されなかった夢もありました。かし、そういったことを全てひっくるめて、この留学を通して私の世界観は大きく広がり、そして何より、自分自身大きく成長したのではないかと思っています。今留学をお考えの皆さん、お金や勉強の心配から諦めようとしている皆さんに声を大にしてお伝えしたいのは、そこに可能性があるなら是非トライしてほしいということです。もちろん一筋縄ではいかないし、私の場合は辛いことの方が多かった気がします。しかし帰って来て思うのは、本当に行って良かったと、そればかりです。
私は日本大学の文理学部で英語学・英米文学を専攻しており、将来は中学校教員として英語を教える立場に立つことを目標に、教職コースを履修しています。生の英語に触れながら勉強をし、将来教員になった時、自分の体験談を交えた授業で生徒を魅了したい、そう思ったことがこの留学のきっかけでした。もともと紋切り型にはまることが嫌いな私は、言うなれば「ちょっと面白い先生」になるために留学を決意したようなものでした。そして、初めての海外留学にも関わらず、何事も一生懸命やればなんとかなるだろうと、お気楽な気持ちで日本を出発しました。
しかし、実際の現実はそれほど甘いものではなく、全く慣れない環境で、誰にどう頼って良いのかもよくわからないまま一つのことを成し遂げるというのは、私が思い描いていたより遥かに難しいことでした。中でも一番苦労したのはやはり、言葉の壁でした。最初は相手の言っていることが聞き取れず、やっと聞き取れたところで何と答えて良いかわからず、なかなか思うように意思疎通ができないという時期がしばらく続きました。コミュニケーション能力には自信があった私は、しまいには人と目を合わせることすら恐がるようになり、自分らしさを発揮出来ないことにストレスも感じていました。しかし、どうにかその殻を破れないかと悶々としていた時、日本以外の国から来ている留学生が、文法間違いだらけの不完全な英語を平気でしゃべっていることに気付いたのです。「あんな英語で通じるなら、私の英語だって通じるはず。」そう思ってから、私は急に自信を持ち始め、色んな人に出来るだけたくさん話しかけるようにしました。顔を上げて、はっきり、ゆっくり、大きな声で話すという、まさにコミュニケーション基本に忠実に従うことで、意思疎通がぐんとうまくいくようになったのです。これは私にとって革命でした。とにかく誰に対してでも笑顔で “Hi! How are you?” と声かけをし、はきはきとした口調で話すことを心がけました。日本では謙虚さが美徳とされますが、アメリカではもごもごと話す人間は相手にされません。8ヶ月を乗り越えてもなお伝えきれないことが多いのは事実ですが、少なくとも、話す時の姿勢は随分変わったなあと思います。
留学先のアラバマ大学バーミングハム校(以下、UAB)では、日本大学と同様、英文学と英語学の授業を履修していました。アメリカで受ける授業は日本とは全く異なり、生徒からの意見が活発に飛び交い、授業を受けているだけでもすごく刺激になりました。予習では毎週 60 ージ近くの読書量をこなさなければならず、授業の復習にも膨大な時間と労力を必要とされました。しかしそれらを乗り越えて全ての授業で単位を頂けたことは、自分の自信に繋がりました。何よりも、そういった膨大な量の予習復習を何度も繰り返しているうちに、リスニング力も上がり、また英文を読む早さも早くなりました。自分の努力がそうして形に表れてくると、やる気も全く異なります。不安に打ちのめされてスタートした私の留学生活は、時間が経つにつれてどんどん楽しくなっていきました。
振り返ってみると、本当に色々なことがあった、濃厚な8ヶ月だったなと思います。休暇を利用して NY やワシントン D.C.、またフロリダまで旅行に出かけたのも、とても大きな経験となりました。UAB には日本語を勉強している学生も多く、自国の文化について改めて考え直す機会も多々ありました。いつか日本に行くことを目標に一生懸命日本語を勉強している彼らを見ていると、自分のモチベーションにも繋がりましたし、彼らに日本語を教えることで、自分の教師という夢を再確認することが出来ました。冒頭で申し上げました通り、私の留学生活はたしかに辛いことの連続でした。しかし、それでも行って良かったと思えるのは、辛さを乗り越えた後の達成感や、努力が認められた時の嬉しさは、この留学という特別な機会でないと味わえないものだったと思うからです。留学でしか得られないものは必ずあります。今現在留学を目指して頑張っている方、その努力は必ず実るものと信じ、腐らずに頑張ってください。努力は実ります。必ず実ります。この留学報告書が、少しでも誰かの励みになることを祈っています。
最後になりますが、準備段階から留学中まで様々な面でお世話になった国際交流室の方々、文理学部英文学科の先生方およびスタッフの方々、またずっと支え続けてくれていた友人そして家族に、心から感謝の意を述べ、この報告書の結びとさせていただきます。8ヶ月間、本当にありがとうございました。
撮影日時:2014年10月3日
UABの友人が私の誕生日にサプライズパーティーを開催してくれました。私の誕生日当日は中間試験期間中で勉強に明け暮れており、今年は悲しい誕生日だ〜などと嘆いていたのですが…このような大きなパーティーを開いてくれて本当に嬉しかったです。

2015年4月5日

月例報告を書くのも、来月の最終報告を含め残すところあと2回となりました。先週日本への帰国便を手配し、いよいよ留学生活も終盤戦といった感じです。Spring break が明けて4月を迎えたバーミングハムでは、気温もぐんと上がり桜も咲きました。学生も皆半袖で外を歩いています。リスを見かけることも多くなり春を感じますが、「バーミングハムには春と秋がない」と言われるほどなので、きっとこれからどんどん暑くなっていくんだろうなと思います。
さて、私は前回月例報告を書いた際に、「自分に自信を持てるようになること」を一ヶ月の目標に設定しました。アメリカ文学のクラスで、総合成績の3分の1の評価となる大きなプレゼンテーションを控え、自分の意見を堂々と発表することが求められたからです。そのプレゼンテーションが3月の中旬に行なわれ、結果としては満足のいく発表が出来ました。私のパートナーはクラスの中でもとても優秀なので、彼女の足を引っ張りたくない一心で必死に課題の作品を読み込みました。口ではうまく説明できないことがわかっていたのでパソコンで文書ファイルを成し彼女に手渡したのですが、最終的にはそれがすごく役立ったと言ってもらうことが出来ました。先生や周りの生徒からも私たちの着眼点やプレゼンテーションは高く評価され、諦めずに伝える努力をして本当に良かったなと思います。私の英語は、文学の批評をするにはまだまだ不十分ですが、それでも自分の着眼点には前よりも自信が持てるようになりました。自分に自信が持てると、文学批評も一気に楽しくなり、理解力も深まる気さえしてきます。と、気付くのが少しばかり遅すぎた気もしますが(笑)、ずっと自分の中にあった劣等感のようなものが軽減されたおかげで、残りの一ヶ月は今までより一層実りのある過ごし方ができそうです。

月末の Spring break は、1週間で2つの旅行に行くという強行スケジュールで最後の思い出作りに励みました。一つ目の行き先は、以前より計画していたワシントン D.C.への一人旅です。アメリカ文学の授業を通してアメリカの歴史に興味を持ち、ワシントン D.C.のスミソニアン博物館に足を運んでみたいと思ったのがこの旅のきっかけでした。一人旅は初めてだったので最初は不安もありましたが、静かな雰囲気の D.C.は 12 月の NYに比べるとかなり落ち着いていて、過ごしやすい街でした。スミソニアンは大きな博物館や美術館がお互いに隣接しており、その全てを無料で見て回ることが出来ます。建物の閉館時間が5時と少し早めなこともあり、結局回ることが出来た博物館は The museum of American history(アメリカ歴史博物館)、The museum of natural history(自然史博物館)、The Holocaust museum(ホロコースト博物館)の3つのみでしたが、余った時間でリンカーン記念碑やワシントン記念塔、また第二次世界大戦記念碑やベトナム戦争記念碑を見て回ることが出来たので、総じて充実した旅となりました。
ダウンタウンで地下鉄を下りるとすぐにワシントン記念碑が見えるのですが、広い公園のど真ん中にそびえ立つ白い塔は、まさに D.C.の顔といった感じでした。右の写真は、夕焼けを背景にしたところが見たく、寒空の下1時間待って撮ったものです。こういったことが出来るのも、一人旅の醍醐味なのではないかと思います。

歴史博物館では、独立戦争以降の戦争史に特化したフロアがあり、第一次・第二次世界大戦の展示コーナーでは日本との大戦が大きく取り上げられていました。日本人の教育では、第二次世界大戦といえば東京空襲や 1945 年の広島・長崎原子爆弾投下による被害が強調されます。私自身も日本は敗戦国として莫大な被害を被ったというイメージが強かったのですが、ここでは、日本が真珠湾攻撃でどれだけの被害をアメリカに与えたのか、また日本が降伏するまでにアメリカがどれだけ苦戦したのかということに重点が置かれて伝えられていました。日本という小さな島国が、アメリカという大国をここまで脅かしたという史実を、アメリカ側の視点に立って見るのはとても興味深かったです。結果としてアメリカはこの大戦で勝利を収めた訳ですが、VICTORY の隣に並んだ PEACE の文字と、その文字のもと負傷者を抱きかかえ泣き叫ぶ看護師の写真を見た時は、勝敗に関わらず平和の尊さを想う彼らの気持ちが伺えられました。
もう一つ私にとって衝撃的だったのは、同じスミソニアンにある The Holocaust museum です。ここは、1930 年代に起こったナチスのユダヤ人迫害に特化した歴史博物館です。アメリカ史博物館と、このホロコースト・ミュージアムが今回の旅行の一番の目的だったのですが、ここに行けたのは本当に良い経験だったと思います。今でも写真を見ると辛い気持ちになるほど、ここで私が見たものは痛々しく衝撃的な現実でした。ここでは、始めにエレベーターで最上階へ向かい、下の階に行くにつれホロコーストがどのような経過を辿ったのかを追える仕組みになっています。最後から2晩目の階では、実際に大虐殺が起こったユダヤ人収容所のガス室と、収容所全体を再現した大規模な模型が飾られていました。この階にあったものはほとんどこれだけでしたが、その巨大な模型の中に再現された何万もの人の影は、事態の悲惨さを物語るには十分な説得力がありました。ここで感じたことをうまく言葉にして伝えるのはすごく難しいですが、ここで見たものや聞いたことを今後忘れることは決して出来ないでしょう。12月に訪れた 9/11 メモリアルと同様、目を背けたくなる現実にあえて目を向ける大切さを感じ、今後もこういった機会は大切にしていこうと思いました。

こうして春休み前半はワシントン D.C.で多くを学び、後半は友人と数人でフロリダのビーチを楽しみました。早朝バーミングハム空港へ到着したその数時間後、友達の車で寮を出発というのはとてもハードなスケジュールでしたが、一人旅とは違い皆でワイワイするのはまた違った楽しさがあり、疲れを忘れさせてくれました。南部フロリダといえど3月のビーチは風が冷たかったですが、透き通った海と白い砂浜はとても綺麗でリラックスすることが出来ました。海に入るには水が冷たすぎるということで、皆で大きな sand castle を作ったり、シーフードを食べに行ったり海水浴とはまた違った楽しみ方をしました。ちなみにここで生牡蠣を食べたのですが、これが仇となり旅行から帰ってきた数日後、私ともう一人の日本人留学生が見事に食中毒にかかってしまいました。また曇りがちの天気に油断し日焼け止めを塗らなかったことで重度の日焼けを被り、腫れが引くのに数日間苦しむという苦い経験もしました。楽しい思い出には何かしらの教訓がついてくるものです。これからはもう少し行動に気をつけたいと思います(笑)

こうして月例報告を書いているあいだにも、ここで過ごす時間はどんどん過ぎ去り、帰国までの日数も指折り数えるほどになりました。しかし思い出作りに興じている間もなく、2週間後からは怒濤の Final exam week が始まります。今期は前期に比べ遥かに辛くなることが予想されるので、今から少しずつ準備を進めています。前回の Midterm で得た反省も生かしつつ、全ての授業の全ての課題に本気で取り組み、留学生活の集大成を華々しく飾れるように頑張りたいと思います。
ホロコースト・ミュージアムより。迫害が行なわれたユダヤ人収容所の模型。(中央に小さくひしめき合っているのは全て人間です)
夕暮れのワシントンモール。気持ちのいい日差しの中、ランニングをする人もちらほら見かけました。

2015年3月11日

3月を迎え、キャンパス内ではさえずりが聞こえてくるようになりました。しかし、初夏を感じさせるほど気温が上がったと思えば、次の日には雪が降って全日休講になるなど、全く予測のできない気まぐれな天候に振り回される毎日です。これがアラバマ特有なのか、それともアメリカ南部全体がこのような感じなのか、とにかく興味深く、厄介な空模様です。友達によると、4月はもっと気候が荒れるんだとか。暖かくなってきたとはいえ、それを聞くとまだまだジャケットが手放せません。(写真は雪が降った日に窓から撮ったものです。雪が降らないバーミングハムでは、皆大喜びでした。)

さて、6ヶ月目となる2月は、色んな意味において濃厚な1ヶ月でした。おそらく、留学生活においても一番苦しみ、一番成長した1ヶ月だったのではないかと思います。その理由のひとつは、全てのクラスで中間試験やエッセイの提出があり、今までよりも遥かに多い勉強量が要求されたことです。今までも「勉強しているうちに1ヶ月が終わった」ということはありましたが、2月は本当にほとんどの休暇を犠牲にして勉強に励んだ1ヶ月でした。それまでに扱った全てが対象となるため、教科書を読み返しながら録音した講義を聞き直し、ノートを作り、全てを頭に叩き込みました。日本とは違い1週間に同じ授業が2コマ、あるいは3コマ受けるため、たったの1ヶ月でもその授業量は膨大で、教科書の進むペースもかなりのものです。また私は当然ながら一つの講義を聞き返し理解するのにも人一倍の時間がかかるので、毎日夜中まで起きて勉強する日々が続きました。勉強しすぎて頭が破裂するのではないかと本気で心配したほどです。(笑)それでも、苦しみながらなんとかテスト期間を乗り越え、音声学のテストでは満点、生成文法でも96点と高得点を取ることが出来ました。イギリス文学の筆記試験は78点とまあまあでしたが、何度も先生のもとへ通って完成させたエッセイ(中世英語作品の比較)では90点をいただくことができました。アメリカ文学の試験はまだ結果が返って来ていないのですが、エッセイ形式と筆記試験の2種類のうち、筆記試験の方は前期に比べてかなり手応えのある出来になりました。別日程で行なわれたエッセイ形式の試験は、初めてだった為かなり緊張しました。普段からエッセイはかなり時間をかけて仕上げる為、50分という限られた時間内で1つのテーマについて論じるというのは、私にとってはとてもハードなものでした。4月の Final exam でも同じ形式がとられるので、次回は今回の経験を踏まえつつ対策に臨みたいと思います。
テストが終わった後でも息をつく暇はなく、シラバスはお構いなしに進みます。生成文法の授業では X バー理論という分野に入り、いよいよ内容も本格的なものになってきました。アメリカ文学の授業では学生が2人1組でプレゼンテーションを行なうグループプロジェクトが始まりました。授業には大方ついていけるようになり、わからないことがあれば先生や友達に聞いて解決する、といったことも出来るようにはなったのですが、その一方で、授業中に発言することに対する恐れは、未だになかなか克服できずにいます。ついていくのに精一杯だった先学期に比べて、今学期は自分の意見を持つことも増えました。先生や他の学生はそれをわかってくれているので、私の言わんとすることをなんとか汲み取ってくれようとします。あとは自分に自信を持つだけなのですが、それでも何かを伝えようとして失敗するたびにどんどん消極的になり、もっと英語が話せたらと歯がゆい思いをします。本来であれば6ヶ月目の月例報告では「話せるようになった!」といったポジティブな報告をするべきなのでしょうが、現実はそううまくはいかないものです。来週は自分とパートナーがプレゼンテーションを行なう番なので、きちんと自分の思っていることを表現できるかと考えると、プレッシャーに押しつぶされそうになります。帰国まであと1ヶ月半といったところで更なる大きな壁にぶち当たったという感じです。しかし、自分に自信を持てないというのは、私にとって前々からのコンプレックスでもあるので、これを乗り越えれば、自分は遥かに成長できるのではないかと思います。

私生活では、3月3日の桃の節句に合わせて、日頃仲良くしてくれている友達やお世話になった先生方に、折り紙で折ったひな人形をプレゼントしました。日本人にとってはなじみ深い文化ですが、皆珍しそうにひな人形を眺めては「素敵なお祭りね」と喜んでくれました。通年でお世話になっているアメリカ文学の先生には、少し豪華に立体的に仕上げたものをプレゼントしたのですが、これはすごく感激してもらえました。アメリカに来てから半年、新しい環境で言葉もままならず慣れないことだらけの中、本当にたくさんの人にお世話になっています。それを自覚しながら、自分に出来ることはなんだろうとずっと考えていたのですが、自国の文化をこのような形で伝えることによって、私なりの恩返しになっているのではないかなと思います。せっかくの留学、ただ受け身となりアメリカ文化ばかりを吸収するのではなく、日本の良さを周りに伝えるにも良い機会です。自分たちが大切にしているものが喜ばれるのはとても気持ちが良いので、これからもちょっとした折にこうしたことを続けていきたいと思います。

また他にも、友達に Birmingham Civil Rights Institute に連れて行ってもらったり、少し遠出をして NASA Space and Rocket center までドライブをしたりもしました。BCRI では、今まで知らなかったバーミングハムの黒人差別文化に触れ、自分の無知さを恥ずかしく思うと同時に、まだまだ知るべきことがたくさんあるなと実感しました。ここで私が見た物はあまりに痛烈で、「どうだった?」と聞かれても、言葉に出来ませんでした。すごく勉強になったので、日本へ帰るまでにもう一度足を運びたいと思います。NASA のSpace and Rocket center では、実際にアポロ計画で打ち上げられた SaturnⅤを見学することが出来ました。写真などで見ることはありましたが、実際に目の当たりにするとものすごい迫力で驚きました。また、博物館に展示されていた中でも一番衝撃を受けたのは、宇宙の歴史を 365 日分におさめたカレンダーです。それによると人類の歴史が始まったのは大晦日の午後 10 時 30 分、イエスキリストの生誕は年が明けるほんの3秒前だそうです。宇宙の歴史に比べると人間がいかに小さな存在なのかが一目瞭然で、これのカレンダーにはしばらく見入ってしまいました(笑)この感動を少しでもお伝え出来るよう、少し大きめにカレンダーの写真を載せておきます。(是非拡大してご覧ください)
このような感じで、勉強に奔走し、文化を肌で感じ、歴史に衝撃を受けた濃厚な一ヶ月でした。そしてこのハードスケジュールが仇となったのか、月例報告を書こうとしたその矢先、体調を崩してしまいました。一生懸命勉強し遊ぶことも大切ですが、それ以上に自分の生活管理もしっかりしなくてはいけない、という教訓もおまけでついてきました。残りもあとわずかとなり焦る気持ちは日ごとに強くなります。今まで以上に時間を大切にしつつ、また今月は新たな課題も見つかったので、来月の月例報告ではもっと成長したお話が出来るよう、頑張っていきたいと思います。

2015年2月3日

年が明け新学期が始まってから、早くも1ヶ月が経とうとしています。2月を迎え寒さが厳しくなるかと思いきや、アラバマは早くも春の匂いを感じさせるほどにあたたかくなってきました。昨年のバーミングハムは大雪が降って大変なことになったと皆が口を揃えますが、今年はそうならないことを切に祈るばかりです。
さて、履修科目が4つとも学部の授業という時間割で幕を明けた後期。留学生用の英語コースばかりだった先学期とはうってかわり、半端の無い読書量と予習・復習に追われています。先学期も、アメリカ文学の授業の為に毎週30ページほど読むのが当たり前でしたが、今期は文学の授業を二つとっているせいもあり、前期の記録を大幅に上回る読書量を抱えています。言語学の授業は特に予習として教科書を読むことは課されていませんが、それでも文学の授業よりも専門用語が多いので、事前に教科書を読み、内容を理解しておく必要があります。また授業後の復習は、録音した講義を自分で書き起こすという形で理解を補っているのですが、こちらもやはり相当な時間と労力を要します。むしろ、先学期に比べ聴き取れる量が多くなった分、ノートに重要事項として書き留める量も増えたので、以前より時間をかけているかもしれません。(笑)各講義の前後でこれだけの勉強量をこなすために、授業のあとは図書館に直行し、夜中までキーボードを叩くかページを捲るかの毎日です。それでも前述の通り聴き取れる量がぐんと増えたことで、最近は自分の理解度にも確かな手応えを感じるようになりました。そしてそれがまたモチベーションに繋がるので、いくら大変でも続けることが出来ています。
とにかく「勉強」の一ヶ月だった今月の月例報告として、せっかくなので授業で学んだことを、自分の留学について感じたことと併せてご紹介したいと思います。
週に3回行なわれるアメリカ文学の授業では、19世紀、主に南北戦争以降の文学作品(短編小説、詩、演劇)を授業1コマにつき1作品というペースで読んでいます。生徒数が10人に満たない少人数制のクラスで、授業中は生徒からの活発な意見が飛び交います。文学を学ぶことの面白さは、そこに映し出される当時の時代背景や人々の価値観の変化を観察できることですが、その一方で、背景となる文化になじみがなければ、その内容の深さを理解することはできません。現代アメリカ文学を学ぶ上で私の足を引っ張ったのは、この国に根強く蔓延る「人種差別問題」でした。黒人として生まれてきた子供の未来を案じ、母親が心中を謀る Desiree’s baby (Chopin,1895)、色の薄さが職の機会と質を決める社会を描いた The Wife of His Youth (Chesnutt,1899)など、肌の色が人の一生を左右するという現実は、日本人として育った私には実体験として共感できるものではなく、言われて初めて気付く、というものでした。しかし、アメリカ文学を理解する上でこれは必要不可欠な視点であり、いまだに理解はおぼつかないものの、それについて学べただけでもすごく良い勉強になりました。
また、これらの作品は local realism という思想に分類され、19世紀初期の文学体系を彩ります。これは、肌の色だけでなく地域性や性別(ジェンダー)など、何らかの形でマイノリティ(少数派)と考えられ排除された marginal voice(重要ではない声)を反映する思想です。1月はこのテーマをもとに何作か作品を読んだのですが、これらは私に新しい視点を与えただけではなく、その意味をもってして強く心に響くものでもありました。アメリカでも南部の田舎に位置するアラバマはとても地域色が強く、南部訛りの強い英語を話す人がたくさんいます。人種も、私のルームメイトの3人中2人がアフリカ系です。それでも私にとっては、彼らは全員「アメリカ人」であってマジョリティ(多数派)です。そして、彼らと違う国の違う文化で育ち、違う言語を話す自分の方がよっぽどマイノリティです。アメリカに来てから、言葉が通じないことで生活が限りなく制限され、「英語が自由に話せれば全てがうまくいくのに」と何度も思いました。そんな中、今回 local realismという文学思想を学び、『マイノリティは誇るべきものでありマジョリティにとけ込む必要はない!』という理想を描くその一方で、自分自身もマイノリティの立場からマジョリティに憧れていたことに気付かされました。最初はそこに皮肉を感じましたが、同時に、自分が他の人とは違った視点から主張が出来る存在であることを自覚し、もっと自分に自信を持とうと思うきっかけになりました。また、先生に質問をしに行った際も、拙い英語で必死に思いを伝える In the Land of Free (Sui Sin Far)の Lae Choo がまさに今の私そのもので、彼女には強く共感できることを伝えると、「周りとは違った価値観から意見が言える学生がクラスにいるのは、すごく嬉しい」と言われました。自分の語学力に引け目を感じ、授業ではただ頷くばかりだった私に、この言葉は大きな力を与えてくれました。まだまだ小声ではあるものの、残りの期間はもっと自分から marginal voice を発信していこうと思います。

日常生活では、相変わらずジムに通ったり友人と食事に出かけたりなど、適度に息抜きをするようにしています。先週末は友人と近くの山にハイキングをしに行きました。私の実家がある北海道では1月の山登り=自殺行為を意味しますが、冬でもあたたかいアラバマでは、晴れの休日には皆でハイキングに出かけることが多いようです。山の上は空気も澄んでおり、少し暗い寒くても歩いているうちに体温も上がるのでとても気持ちが良いです。右の写真は山の頂上から撮影したバーミングハムです。また、アイスホッケーのシーズンも始まったので、友達と数人で車で少し遠出をし、試合を見に行きました。アイスホッケーは日本ではアメフト以上にマイナーなスポーツですが、リンクをプレーヤーがものすごい勢いで駆け抜ける光景は爽快で、とてもかっこいいです。機会があれば、シーズンが終わらないうちにあと数回行きたいと思います。
長いと思っていた留学生活も、あっという間にあと3ヶ月を切ってしまいました。毎朝目が覚めて頭をよぎるのは、その日の予定と同時に、帰国までのカウントダウンです。勉強がやっと追いついて来た段階で帰国が視野に入り、寂しさや焦りを感じています。しかし、UAB ではどの授業でも中間試験や中間レポートの時期に入り、より一層多忙な日常が始まるので、情に浸っている暇もありません。残りの日数で、何を、どこまでできるのか。行動さえ起こせば何でも実現可能であることを信じ、何事にも今以上にアグレッシブに、時間をもっと大切にしながら、次の1ヶ月もまた頑張りたいと思います。

2015年1月7日

新年あけましておめでとうございます。UAB では先日から早くも春学期がスタートし、キャンパスにも忙しく賑やかな雰囲気が戻ってきました。私もさっそく朝から3つ連続で授業があり、旅行者モードから一気に学生モードへと引き戻されました。留学生活も残すところあと半期となり、達成感と共に少し寂しさも感じます。今期は前期よりもずっと忙しくなる予定なので、気持ちを新たに引き締め直して頑張りたいと思います。
先月は final week が終わるや否や学生は一気に帰省し、キャンパスはすっかり静まり返りました。私はというと、教会のイベントに参加したり、知人のお子さんの世話をするバイト(?)をしたりしながら数日を過ごしました。教会では聖歌隊の舞台があったり、NATIVITY といって、イエス・キリストの一生をブースに分かれて人間が実際に演じ、それを見て回るという伝統行事がありました。日本にいた頃はキリスト教に関しては全くの無知だった私ですが、何も知らなくても十分楽しむことが出来ました。写真は NATIVITY の一場面です。

20 日からは友人の家に一週間ほどお世話になりました。家族でゲームをしたり、友人とクッキーを焼いたりなど、こちらに来てからはずっと寮生活だった私にとっては久しぶりに「家族」を感じた心温まる一週間でした。滞在先のご家庭はカトリック信仰だったので、週末には礼拝にも参加しました。カトリックの礼拝は初めてだったので少し戸惑うこともありましたが、荘厳な教会と美しい賛美歌にはすごく感動しました。クリスマスには、家族全員がそれぞれプレゼントを受け取り(なんと私にまで用意されていた!)、その後は伝統的な Christmas dinner を楽しみました。Corn casserole という、コーングラタンのような side dish がとても気に入ってレシピを教えてもらったので、これは日本に帰ってから自分でも作ってみようと思います。日本人にとってクリスマスは友人や恋人と時間を過ごしたり、中には通常通りの平日として過ごす人も多いですが、アメリカ人のクリスマスは Thanksgiving のように家族で過ごすイベントであることを知って少し驚きました。また、前々からカードを用意するあたりは、どこか日本のお正月に似ているなあとさえ思いました。

最後の週は、友人とニューヨークへ6泊7日の旅行に行ってきました。友人に会うまで、一人での飛行機の乗り換えや、ネットワークの繋がらない中知らない街を歩くことに対し最初は不安だらけでしたが、実際に到着してみると時間はあっと言う間に過ぎて行きました。年末年始ということもあり行く先々はどこも混雑しており、Moma(近代美術館)では行列が1ブロックを一周するほどでした。それでも有名な観光地はほとんど見て回ることが出来、NYC の綺麗な夜景やイルミネーションを楽しむことが出来たので大満足です。にこやかに話しかけて来た黒人のお兄さんに謎の CD を売りつけられるというハプニングもありましたが(笑)それも社会勉強として良い経験だったかなと開き直っています。暖かければ、セントラルパークでのんびりするなどまた違った楽しみ方があるんだろうなと思い、また違った季節に行ってみたいなと思いました。
中でもこの旅で一番思い出深いのは、タイムズスクエアでの年越しです。タイムズスクエアがあるマンハッタンの7番街では、前日から交通規制がなされ、当日の午後3時頃からバリケードが設置されます。カウントダウンに集まった人たちは荷物検査を受けてからバリケード内に入り、そこでひたすら 12 時になるのを待ちます。私たちも、当日は水分摂取もそこそこに防寒対策をしっかりして臨みました。トイレにも行けない中寒空の下で9時間待つのは体力的にも堪えましたが、ショーを楽しんだり1時間ごとのカウントダウンを周りの人たちと一緒に数えたりしているうちに、気付けば時間は過ぎていました。9時間待った後のカウントダウンは本当に感動的で、一生忘れられないものになりました。日本の元旦とはまた違った華やかな新年の迎え方が出来、2015年は幸先の良いスタートが切れたと思いました。
旅行の余韻に浸ることが出来たのも束の間、再び大忙しの日々が始まってしまいました。今期は前期に取れなかった言語学のクラスを2つ取っています。そのうちの一つは統語論の生成文法を扱い、これは私の卒業論文のテーマにも大きく関わってくるので、今期の中では一番楽しみな授業です。日本で学んだことと比較しながら、また違った視点での興味深い新発見があると良いなと思います。加えて、アメリカ文学とイギリス文学の授業も履修しています。前期の経験もふまえ膨大な読書量を覚悟していますが、それでもこちらでの文学の授業はとても楽しいので、自分自身楽しみながら頑張りたいと思います。始まって3日目にして既に、かなりの量の予習と復習に追われていますが、前期に比べると英語を読むことにも聴くことにも随分と抵抗がなくなりました。未だに難は伴いますが、前期よりも確実に、自分の中で成長が感じられます。この4ヶ月を乗り切ったあと、自分はどれくらい英語が聞けて、話せるようになっているのかが楽しみです。
新年を迎えた時に、自分の中で新たな目標をいくつか設定しました。今年はアメリカにいるという特殊な経験を存分に生かして、毎日を充実させていきたいと思います!

Brooklyn bridge からの夜景
フェリーから見た Manhattan
World Trade Center
元旦の Times Square
メトロポリタン美術館

2014年12月7日

12月に入り、長いと思っていた留学生活もあっというまに折り返し地点を迎えようとしています。南部のアラバマにも冬が訪れたようで、以前と比べ風がだいぶ冷たくなりさすがに半袖で出歩く人も限られてきました。それでも東京の冬に比べれば暖かく、寒い気候が苦手な私にとってはありがたい快適な日々が続いています。
師走といえば、年末に向けて全てがバタバタと慌ただしくなる時期ですが、ここUAB も例外ではなく、学生は皆 final grade のための試験、レポート、プレゼン等々の準備に勤しんでいます。かく言う私も、今週の水曜日と木曜日にほとんど全ての授業でテストが行なわれたため、遅くまで図書館に残り勉強をする日々が続いていました。寝不足が続きましたが、友達に手伝ってもらいつつ、皆よりは少し早めに今期全ての授業とテストが終了しました。残すところはあと文学の授業の final essay のみです。最後の大仕事、気合いを入れて頑張っていきたいと思います。
以前もご報告したかとは思いますが、UAB には日本語を勉強している学生達によるとても大きなコミュニティが存在します。今期は、自分の勉強もさることながら、空いた時間に UAB の学生の日本語の勉強をお手伝いする機会がたくさんありました。授業でわからなかったところを教えてあげたり、会話の練習に付き合ったり、問題集の答えをチェックしてあげたりなど、なかなか役に立てているようでやりがいがあります。同じ外国語を学ぶ身として、ニュアンスを掴めない歯痒さや、思いを言葉に出来ない悔しさは嫌というほど理解できます。なので、使い方などを聞かれた時はなるべく丁寧に細かく教えてあげるようにしています。もちろん、説明はところどころで英語を使わなくてはいけないので、自分の英語力を鍛えるのにも良い練習になります。私が”Hi, how are you?”とたずねると「こんにちは、元気です」と答えられるという謎の現象もしばしば。(笑)また、彼らの日本語を聞いていると、英語と日本語の違いが顕著になるので面白いです。例えば、”Ididn’t do well on my exam.”とテストで調子が悪かったことを伝えると、多くの学生に「ごめんなさい」と言われます。最初は「なんで謝るんだろう」と戸惑い、「謝らないで!」と否定していましたが、I’m sorry のもう一つの意味知って、なるほどと思いました。英語における”I’m sorry”は、「ごめんね」の他に「残念だったね」「お気の毒にね」というような、同情を表す際にも使われます。要するに、日本語を学ぶ彼らがそういった場面に出くわした時、頭に浮かぶのは”I’m sorry”であり、それを日本語に直訳した「ごめんなさい」を「残念だったね」という同情の意味として使ってしまうのです。しかし日本人にとって「ごめんなさい」と「残念だったね」は全く違う意味に聞こえますよね。なぜこの二つの感情を一つの形容詞で表すことができるんだろう、アメリカ人にとってこの二つの感情は同じなのだろうか…そう色々考えてみると、言語って面白いなと思います。逆もまたしかりで、日本語にすると一つの言葉で訳されることが英語では何通りもの表現になったりします。言語学の大前提として one form for one meaning(一つの形に一つの意味)という言葉がありますが、新しい表現を学んだり、日本語との違いを発見をするたびに、そこには単なる言葉の違いだけではなく、思考や文化の違いも根付いていることを実感します。感覚的なところを理解しようとしない限り、真に習得したと言えないのが、言語学習の最大の難関だと思います。これはただ英語の文法書を日本語で読んでいただけではわからなかった感覚なので、留学生活を通してこういった経験が出来たのは、これからの勉強においてかなり大きいなと思いました。

日常生活では、アメリカ国民にとっての 11 月の大イベント thanksgiving day を経験しました。後から調べてみたら、どうやら畑の実りが多い秋にみんなで集まり、一年の収穫をお祝いする日だそうです。たいていどこの家庭でも話を聞くと、家族みんなで集まって、ターキーやマッシュポテト、パンプキンパイなどを食べて、食べて、(とにかく)食べて、テレビを観たり買い物に出かけたり、完全な break といった感じでした。日本人にはなじみのない文化なので不思議な感じがしましたが、学校が一週間お休みになり、学生は帰省し、お店も校舎も図書館もジムも全て閉まるので、寮周辺はかなり静かでした。私も友人の実家に泊まりがけでお招きいただいて、久しぶりにゆっくりした時間を過ごしました。右の写真は、そちらのお宅でいただいた伝統的な Thanksgiving dinner です。

勉強の秋、食欲の秋とくれば、最後はスポーツの秋です。今月はずっと行ってみたかったアメリカンフットボールとバスケの試合を観に行くことができました!どちらの試合も Home で行なわれたのですが、ブラスバンドが会場を盛り上げ、観客が声をそろえてチームを応援する光景は圧巻です。また、友達の家でアメフトを観戦する機会もありました。私は日大の PHOENIX の試合を何度か観に行ったことがあったので、ルールを知っていたことで本当にすごく楽しめました。来年度、アメリカの大学に留学が決まった人は、今から PHOENIX の試合を観に行ってアメフトのルールを学んでおきましょう。もしかしたら、英語を学ぶよりも大切かもしれません(笑)。まさに、「スポーツは国境を超え」ます。新学期が始まったら、アイスホッケーも見に行こうという話が出ているので、それも今からすごく楽しみです。
やっと秋学期が終わったと思えば、春学期が1月の5日から始まります。来期の授業選択も既に終了し、今から不安と期待に胸を膨らませています。留学生活ももう半分。次の月例報告を書く頃にはもう次のセメスターなのかと思うと…まさに Time flies soonといった感じです。冬休みはクリスマス関係のイベントに参加するつもりなのと、年末年始は NY へ出かける予定なので、そこでは思いっきり羽を伸ばして、またひと味違ったアメリカを楽しんできたいと思います!

2014年11月3日

早いもので、月例報告を書くのも3度目となりました。前回の報告書を書いた時は、そろそろ2ヶ月が経つのかと時の早さに驚いていましたが、3ヶ月目に突入してからというもの、今まで以上の時の流れの早さを感じています。ここ最近のアラバマはぐっと寒くなり、羽織ものが手放せなくなりました。それでもアメリカ人は半袖でキャンパスを闊歩しています。縮こまっているのが情けない気がして背筋をのばしてみますが、それでもやはり寒いです。体の作りの違いを感じます。
2ヶ月半が経ち生活に不自由を感じることがなくなったため、新しい行動を起こそうと思い立ち、先週から Writing のトレーニングを始めました。UAB の図書館にはUniversity Writing Center(以下 UWC)といって、UAB の全学生を対象にした essaywriting 専門の個別指導機関なるものが存在します。予約制ではありますが、UAB の学生であればいつでも無料で、writing のプロによる 30 分の個別指導を受けることができます。予約できる回数は週に2コマと限られていますが、その制限さえ守れば組み方は自由なので、自分のスケジュールにあわせて好きな時間、好きな講師で flexible に活用することができます。
UAB に来てからというもの、essay を書くたびに自分の英語の拙さを目の当たりにし、うまい表現が浮かばない歯痒さを、既にたくさん経験しました。そこで、「このままじゃいけない」と一念発起し、思い切って UWC の門を叩きました。そして出迎えてくれた一人の tutor に、身振り手振りと拙い英語でなんとか思いを伝えたんです。返って来た答えは、「とにかく何でも良いから書いて持っておいで」。「なんでもいいから」と言われて、「はいわかりました」とすぐに英文が書けますか?(笑)(それが出来ないから困ってるのに…)と半ば愚痴をこぼしながらも一晩悩み、最終的には開き直って、かなり初歩的な”Mymother”というテーマで1パラグラフを作成し、翌週再び乗り込みました。それはそれは緊張しましたが、「卒業論文を英語で書く」ことが帰国後の目標である私にとっては、かなり大きな第一歩だったと思います。指導は今週で3回目となりますが、tutor はただ単に添削するのではなく、私が書きたいことを理解した上でより better な書き方を教えてくれるので、すごく良い練習になります。文章レベルはまだまだ初級ですが、これからたくさん練習を重ねることで、更に高度な英語を無理なく使えるようになっていきたいなと思います。
今月の頭に、文学のクラスで essay の提出があったのですが、その際に T. S. Eliotの The Love Song of J. Alfred Prufrock と Edmund Waller の The Songs という詩を比較しながら、”carpe diem”というテーマについて論じました。Carpe Diem とは、もともと紀元前1世紀の古代ローマ詩人、ホラティウスが Ode という詩で用いたラテン語で、英語だと”seize the day”、日本語では「時を掴め」と翻訳されます。最近の言葉でいう YOLO(YouOnly Live Once)と同じく、若くて美しいうちに人生を楽しもう、という思想です。英文学では英詩におけるジャンルのひとつとして考えられ、かの有名な Shakespeare も同ジャンルの詩を何篇か残しています。この essay を書くにあたり私が Carpe Diem を取り上げることになったのは単なる偶然でしたが、今考えてみると、現在の自分にとって最も指針とするべき言葉だなと思います。実は、UWC に行く勇気を奮い立たせてくれたのも、この言葉でした。たった 10 ヶ月しかないこの貴重な期間の中で、何が可能で、何が不可能なのかはまだわかりません。それでも、良い意味で「後先を考えず」、今しか出来ないことに挑戦することは大事なんじゃないかと思います。今、この報告書を読んでいる人の中に、今年の交換派遣留学に挑戦しようと思っている人がいたら、是非今出来ることを全て行動に起こして欲しいと思います。去年の今頃、私は自分が選ばれるなんて夢にも思っていなかったけど、とにかく出来ることだけをひたすら頑張りました。諦めようとしたこともあったけど、それでも自分に何が出来るかを常に考え、諦めずに行動を起こし続けたから今ここにいるんだと思います。私はもともとすごく procrastinator(仕事を後回しにする人)なのですが、この留学を機に変われたらいいなと思っています。ちなみに、前述の essayですが、先ほど先生の方から評価を伝えられ、A マイナスをいただくことが出来ました。毎日遅くまで粘り続けた結果見事に体調を崩し、提出日の夜のコンディションは最悪でしたが(笑)、それでも高評価をいただくことができたので結果オーライです。

日常生活では、ジムに通ったり、友達と街を散策したりと、勉強以外もなかなか充実しています。UAB のジムはかなり設備が整っており、学生証を見せればいつでも無料で利用できるので、運動好きとしてはかなり楽しいです。ランニングトラックを走ったり、マシンで汗を流したり、アリーナでバスケットボールをしたり・・・無料のヨガのクラスがあるみたいなので、今度はそちらに参加してみょうかなと思っています。
こちらがトレーニングジムの写真です。

そして、アメリカ人にとって10月の一大イベントといえばハロウィンです。1週間前からあちらこちらで催し物が開催され、”costume”、“party”、“trick or treat”という言葉が毎日飛び交っていました。かく言う私もピエロに扮し、人生初の pumpkin curvingに挑戦しました。
当日は、こちらで牧師をなさっている日本人のご家庭にお邪魔し、子供達とこれまた人生初の trick or treat を経験しました。さすがパーティー好きのアメリカ人、お祭りとなると意気込みが違います。ハロウィンコスチューム専門のお店があったり、スーパーはキャンディやチョコレートの山。家々の玄関前には見事なジャックオランタンが飾られ、UAB のカフェテリアのデザートでさえ目玉が飛び出る始末です。

今までそれほど大仰にハロウィンをやったことがなかった私はただただあっけに取られるばかりでしたが、一つのイベントを大人も子供も一緒になって楽しむ姿勢は、休日返上で仕事をしたがる日本人にとって、見習うべき文化だなと思いました。11月にはThanksgiving day、12月にはChristmas とイベントが続きますが、日本とは違った楽しみ方が出来るのを、いまから心待ちにしています。
そのような感じで、とにかくめまぐるしく過ぎていった一ヶ月でした。気付けば秋も中旬、4ヶ月目も目の前まで迫って来ているので、これまで以上に時間を大切にしつつ、もっともっと濃い時間を過ごしたいなと思っています。

2014年10月5日

夏の焦げるような日差しがまぶしかったバーミングハムも、ようやく秋の訪れを感じるようになりました。10月に入ってからは気温がぐっと下がり、半袖1枚で外を歩くのは少し辛いため、先日は上に羽織るパーカーを新しく購入しました。こちらに来てから早1ヶ月半。月例報告もこれで2回目となり、季節の変化を感じながら、時間が経つのは本当にあっという間だなと感じています。
この1ヶ月は、本格的に授業がスタートしたこともあり、とにかく毎日毎日「よく勉強したなあ。」というのが率直な感想です。今期は専攻科目よりも自分の英語力を鍛えることに集中するため、留学生用の英語クラス4つと、専攻科目のクラス(英文学)を1つ履 修しています。日本では1つの科目につき週1回90分が主流ですが、こちらでは同じ授業が1週間に2回から3回行われるため、授業と授業の間のスパンが短く、宿題に追われ る毎日です。英語のクラスでは、日本人にありがちな「英文法は出来るけど会話ができない」という特徴をまさに痛感しています。ワークシートの課題で高得点を取ることができても、他の留学生に比べて発言数が遥かに少なく、自分の意見を主張しようにも何と表現したらいいのか言葉が見つからない。更に「伝わらない」ことや「間違う」ことを恐れて発言を憚るため、最初のうちはクラスにとけ込むことすらできずに苦労しました。それで、毎日何気なく交わす、友達との会話の大切さに気付いたのです。UAB には日本語を学んでいる学生が多く、そのお陰で一気にたくさんの友達を持つことができたので、彼らとの会話を通して、英語を学ぶことができます。わからなければ何度も聴き返して、間違いを恐れずにとにかく何かを発言し、時々英語を正してもらいながら、新しい言い回しを覚える。このように、彼らとの会話を通してたくさん訓練しているうちに、授業でも少しずつ、発言出来るようになってきました。発言すれば答えが返ってくるので、相手の言葉を聞き取ることの練習にもなります。そしてこれは当たり前のことですが、発言は会話に繋がり、会話は関係性をより良くします。発言できるようになれば、クラスでの居場所も確保出来るようになるし、何より黙っているよりも笑って会話している方が遥かに楽しいです。「将来のため」とか「英語学習」などと難しいことを考えずに、ただ「会話を楽しむ」ということに方向転換したことがきっかけで、リスニング力も格段にアップした気がします。
専攻科目のEnglish Literatureのクラスは、正直本当に大変です。週に2回、火曜日と木曜日に授業があるのですが、毎回授業前に小テストを受けなければならず、その為に毎回 10〜20ページ、多いときは30ページ以上読まなければなりません。専門の教科書というのはただでさえ理解するのに時間がかかるのに、わからない単語を調べながらだと、当然ネイティブスピーカーの倍以上の時間がかかります。小テスト自体は5問だけなのでそれほど難しくはないのですが、膨大な量からたった5問だけなので全てを網羅するしかなく、またその勉強をすることは即ち予習をすることにも繋がるので、ノートにまとめながら毎回せっせと時間をかけて教科書と向き合っています。sonnet(14 行詩)を1度の予習で30篇近く読みこなした時には、さすがに自分でも感動しました。授業では、やはりこちらも当然、クラス内で意見が飛び交います。日本とはまったく違うスタイルに初めこそ圧倒されたものの、 英文学を学ぶとなると個人で意見が様々に異なるため、すごく刺激的です。まだまだついていくのには苦労していますが、文学についてのディスカッションにかなり魅了され、毎回ポジティブな気持ちで、30ページの予習に取り組んでいます。来週にはエッセイの提出があり、題材もハイレベルですが、先生がとても優しい方なので、毎回授業後にオフィスを尋ね、時間をかけてじっくり相談に乗ってもらっています。日本で学んだ知識を基に、私も自分なりに気付いたことや考えを伝えると、先生も褒めてくださり、たくさんアドバイスをしてくれます。その考え方で間違ってないから、自信もって頑張って!と言ってもらえると、更なるモチベーションに繋がるので、勇気を出して相談してみて本当に良かったなと思います。
勉強の話ばかりなので、楽しい話もいくつか。先々週、アトランタでJapan Festival というのが開催され、そこに数人の友達と遊びに行ってきました。バーミングハムからアトランタまでは車で3時間、朝は6時に出発という強行スケジュールでしたが、 太鼓や弓道のパフォーマンスがあったり、駄菓子を売っているお店があったり、久しぶりに母国を感じることができてすごく楽しかったです。日本人に会えたことはもちろん、自分の国の 文化がこうして他の国でも愛されているのを見るのは、とても誇らしい気持ちがしました。 写真は、Japan Fes.での展示品です。

また、先週末は私の誕生日だったのですが、友人がサプライズでパーティーを開催してくれ、たくさんのメッセージカードやプレゼント、大きなケーキと共に、みんなからのメッセージを集めた大きな寄せ書きをもらいました。
こっちに来てから、日本の友達や家族に会いたくなることは多々あるけれど、それでも寂しいと思ったことが一度も無いのは、これだけ素敵な仲間をたくさん持つことが出来たからです。

留学は最初の2〜3ヶ月目が勝負所と言われるので、これからが本当の試練なのかなと覚悟しています。しかし周りに助けてくれる人がたくさんいるので、何とか頑張っていけるだろうと思っています。勉強に遊びに、本当にめまぐるしく過ぎて行く毎日です。充実しすぎていてまだまだ書き足りないくらいですが、今回はこのへんで、9月の月例報告をおわりにさせていただきたいと思います。来月の月例報告では、もっと成長を感じていただける報告ができるように、また1ヶ月奔走したいと思います。
最後に、UAB のキャンパスと、図書館の私のお気に入りスポットの写真を載せておきます。 窓からの景色がよく、とても気持ちが良いです(図書館では、静音カメラで撮影しました。)